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うまく咲けない花なのか
昔から、何をするにも他の人の何倍も時間がかかる。
勉強もすきなのにあまり得意じゃなかったし、運動自体もすきだったのに壊滅的にできなかった。
基本的に結果よりも過程を重視するとはいえ、かけた時間と労力の割に結果がついてこなくて、悔し涙を流すことも多いし自己嫌悪や自信のなさにつながることも多い。
いや、結果がついてこないから過程を重視するようになったのかもしれない。
何事も向き不向きがあるというけれど、そんなことを言っていたら私は大人になってもなにもできないんじゃないか、と小さいころから不安でとりあえずなんでも頑張ってみる癖だけついた。
でも世の中には努力でまかなえることばかりじゃない。
すきなのに、やりたいことなのに、うまくできない。
もしくは、やらなきゃいけないことなのに、うまくできない。
「勉強は積み重ねだけど、あなたは積み重ねられてない」
「そんな仕事の出来じゃ、多くは任せられない」
そう言われて、置かれた場所で咲けない自分に嫌気がさす。
いや、咲けてないのかな。
「咲く」が意味することは何か。うまくやることなのか。
常に綺麗に花を咲かせられる人なんて、いるんだろうか。
「努力できるあなたは素晴らしい」と、ときどき人はというけれど、どれだけ頑張っても結果がついてこなければ、その努力は見て見ぬふりされることもある。まるで、無かったみたいに。
大人になるって、こういうことなんだろうか。
みんなが見るのは、結果だけなんだろうか。
大人と言われる年齢になって、「楽しい」だけで何かを続けていくことが少し難しくなったように思う。
役に立つか、とか学びがあるか、とかそういうことを含めて取り組むものを選んでしまう自分がいることに少しがっかりする。
本当はもっと素直に「すき」「楽しい」「わくわくする」みたいな感情を大事にして選びたい。
私にとって輝いて見える人は、自分の好きなことを夢中になってやっている人だ。社会的に成功している人と少し違う種類の輝き。
うまく咲けなくたっていい。私は私の花を咲かせられるようになりたい。
いびつでも、少し欠けてても、太陽に向かって思いっきり花を咲かせたい。
そうやって生きると、決めた。