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スピノザの診察室

スピノザの診察室ー夏川草介 著。
この一冊の中で多大に共感し、人間の個性の面白さを実感し、その共鳴に心踊らされる。そして人の温かさに涙し、人それぞれの死への向き合い方を学ぶ。

一言で言うと、よくこれだけの人間の感情という複雑極まりないものを、文字に起こしてくれたな、と。物語にくっきりとした背景を映し出し、その中で人がふと考え、抱えるであろう問題をここまでクリアに、温かく肯定してくれたなあと。

初めに言いたいのは、本を書く人は本当にすごい。みんなが求めている言葉や表現をすーっと言葉として飲み込みやすいものにしてくれる。

まず私が医療に携わるものして印象に残ったものを。
地域医療であることから、たくさんの患者が運ばれてくる。在宅診療も考えると、慢性期もたくさんいるわけだ。そこでの哲朗の思い

この領域には、万人が納得する正解などないということ。
食事も取れなくなった患者にどこまで点滴をするのか。癌の終末期の患者に、どんな言葉をかければいいのか。認知症の患者に癌が見つかったとして、切除に行くべきか、見守るべきか。そこには、治療、回復、退院といった分かりやすい道筋じゃ用意されていない。

-P.65,66

本当に正解がない。それぞれの生きてきた背景も、今後目標とするものも。もしかしたら死を望んでいることだってある。

私はもっぱら、というか結構な人が賛成であると思うけど、安楽死を合法化した方がいいと思う。

そして急性期と慢性期の明確な違いを表したこの一文。

この仕事は、難しい病気を治すことじゃなくて、治らない病気にどうやって付き合っていくかってことだから。元々分かりにくいことをやってるの。

-P.192

急性期で常に治し、元気になっていく人を見ていた私からすると、慢性期で苛立ちを感じたのを覚えている。どうしてこんなウズウズしているんだろう?例えば浮腫であれば、さっさと引いてしまえばいいのでは?と。なんて乱暴な考え方だと我ながら思う(笑)。

そして何より、哲郎がその都度家族にかける言葉、それがなんとも言えないくらい、絶妙で素晴らしい。
私の偏見かもしれないが、患者や家族、その他医療従事者を労える医者は少ない。領域にもよるだろうけど。哲朗は、しっかりと絶妙なワードチョイスで労うことができる、かなり優秀な医者である(笑)。この人と働きたいよ、正直。

昔、実習をしていた時に一人だけ医者の鏡だという人に出会ったことがある。
それは慢性期で往診をしていたDr。終末期の患者を診た後の、看護師とのカンファレンスで、「あれだけ浮腫があっても、傷一つなく、あそこまで綺麗でいられるのは皆さんの努力のおかげです」と、彼らの努力を労っていた。
学生ながら、呆気に取られたのを覚えている。この人は、慢性期にいるだけあって、人を、行為を、真髄を見ていると。

最後に哲朗なりの幸せの定義を。

地位も名誉も金銭も、それが単独で人間を幸福にしてくれるわけじゃない。人間はね、一人で幸福になれる生き物ではないんだよ。

小さな明かりは、きっと同じように暗闇で震えている誰かを勇気づけてくれる。そんな風にして生み出されたささやかな勇気と安心のことを、人は『幸せ』と呼ぶんじゃないだろうか。

-P.51,396

哲学の哲朗なのかな。
医療という難しい分野の中で、人の幸せを考える機会は少ない。慢性期の方が考えるシーンがたくさんあると思う。それを追求するというか、その人に合った方法を模索し続けることが、哲朗の課題であり、やりがいでもあるのかもしれない。そして全員に対してしっかりと希望を残しながら、優しさで包み込むマチ先生、本当に温かい本でした。

夏川草介さんに一度会ってお話ししてみたいな、と思う素晴らしい本でした。

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