間に合わなかったのは、なぜか。
私はごく普通の中学生だった。中学校の野球部に所属し、プロ野球のピッチャーになることを目指して毎日の練習に夢中になるどこにでもいる中学生。
自宅で弟とゲームで遊ぶことも気に入っていたが、それよりも圧倒的に野球が楽しかった。少年野球をやっていなかったので、野球経験は学童保育所での”縦割り草野球”だけ。9人対9人が揃うことなんて皆無。常に変則ルール。なので中学校での入部時は同級生(少年野球出身が大半だった)よりも圧倒的に野球経験が足りなかった。もちろん野球エリートたちとは全く違う世界に住んでいた。
それを自覚していた私は練習時間以外の時間を重視し、父や弟の協力を得て自主練に精を出していた。プロ野球選手になりたかったから。今から思うと”強くなること”に比重がかなり偏っていたと思う。鍛えて鍛えて鍛えまくっていた。
3年生が引退し、2年生に上がる頃から徐々にピッチャーとしての力が認められてきた。ボールのスピードは先輩と変わらないぐらい速くなっていた。もちろんやる気も増し増し。明らかに過剰な人数の部活チームの中でのベンチ入りも見えてきたその日、その後の私の人生に大きく影響を与える出来事が起こる。
肩が外れそうなぐらい痛い。急に痛くなった。
投げる時に力を入れなければならないタイミングのほんの少し前で、激痛。
すぐに監督に伝えて投げる量をセーブすればもしかしたら解消できたかもしれない。
でも”ビッグチャンス”を狙っている13歳にとっては、すぐに伝えるという行為は簡単な決断ではなかった。野球初心者にとって肩が痛いということの重大さはまだ理解できていなかった。
もちろん、痛みは強くなり、投げられなくなった。もう日常生活でも痛い。
野球界では”よくあること”かもしれない。
漫画だったらその後に成長と復活と成功のストーリーが待っている。
でも現実はもちろんそう簡単ではない。
私の場合はまず痛みの原因が見つからなかった。
毎日通った整骨院でも、大きい病院のスポーツ整形外科でも。見つからなかった。
痛みの原因が見つからない結果、対処は二つだった。
一つはとにかく休むことを勧められる。炎症を抑える対処としては妥当ではあるが、原因が解消されない限り投げ出したら起こる結果は「同じ」だ。
もう一つが、とにかく鍛えろ、である。筋力が弱いから痛みが出るんだ、ということが大真面目に言われていた。全て、筋肉のせい。強くなれば全て解決する。
現在ではさすがにこんな単純ではないと思うが、当時はどこに行っても本当にこの二つしか提案されなかった。少なくとも野球エリートでもない普通の部活中学生にたどり着ける範囲では。
そしてこの作戦が実らなかったときは、明らかに「ピッチャー終了/野球終了」を意味していた。
実際に医師からも整骨院の先生からも同じ意味のことを言われた。
あのとき見つからなかった肩痛の理由。難病にも思えるほどだったが、今なら簡単に原因が分かるものだ。
いわゆる肩のインナーマッスル(ローテーターカフといいます)が弱っていて肩関節が不安定になることが起因となる痛み。
この程度の問題、今は”当たり前に”チェックされるし、そもそもローテーターカフのトレーニングなんてもはやピッチャーの常識。
小学生でもやっている(やったほうがいい)基礎中の基礎。常識。
でも、当時はなかった。
ローテーターカフどころかインナーマッスルという言葉やグローバル/ローカルマッスルという概念すらなかった。大病院のスポーツ整形外科でもだ。
肩が痛む原因が分かっている。だから適切な改善プロトコルが実行できる(その結果痛みが解消する確率は大幅に高くなる)。
同じ痛みなのに、時代によって治るものと治らないものが生じる。
これは医療の進歩における葛藤の一つだ。(「時代」と言っても計測技術などのハード的な側面とソフト面である人為的な側面があるが)
この経験は、私の人生に大きな影響を与えた。
この出来事こそが現在の私の仕事のきっかけを作った。今の技術で治らないならば、自分がやる。自分と同じ”地獄”を後輩たちに経験させたくない。もう15歳になろうとする時だったと思う。
(主観的にはとても長い)時を経て私は今、プロ野球選手を含む非常に多くのプロや代表選手を支える立場にいる。日本代表チームのコーチでもある。海外でも指導している。
何のコネクションもない、どの組織の後ろ盾もないところから歩み始めての現在地だ。
ただし私にとって肩書きは全然意味を持たない。優勝メダルも重要ではない。飾ったりもしていない。私にとって意味があるのは選手のパフォーマンスのみ。
”毎日整骨院に通っても、スポーツドクターに教わったリハビリ筋トレメニューをどれだけやっても、それでも治らない経験をしてきた選手”が今、フルパフォーマンスを発揮できているのか否かに意味がある。
解剖学も生理学も統計学も論文も運動学習理論もトレーニング理論も、そこに繋がっていなければ私にとっては無意味である。自分がそこに繋げられなければ、無意味なものに終わってしまう。
あの長期間の怪我は私の人生に大きな影響を与え続けている。
何度も繰り返す怪我、何をしても取れない違和感、パフォーマンスの壁に苦しんでいる、そんな選手たちが遠方からでも私に頼ってきてくれている。
13歳の自分には間に合わなかったけれど、きっと納得してくれる。
そんな重い想いを持った人間が、少しずつにでも想いを実現するために作ったのがJARTAです。
目の前の選手のパフォーマンスを少しでも向上させるために、全てはパフォーマンスアップのために、手段に囚われずに。
追伸
当時の同世代の中では、誰よりも先にインナーマッスルのトレーニングに出会い、周囲の常識とはかけ離れたトレーニングをやってしまったことで「中野筋肉」というめちゃ微妙なあだ名をつけられ、それから約20年、「トレーニングの常識」の変革を目の当たりにしました。
そんな私の青春エピソードは、こちらからどうぞ。
全てはパフォーマンスアップのために。
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中野 崇
YouTube :Training Lounge|”上手くなる能力”を向上
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