わたしの小さな黒い箱のために 2

3月28日

渋谷区定点として、Uberめちゃ多い

3月29日

健診からずっと永寿、義実家帰りがなければそのまま産院だったのでとても他人事じゃない気持ち!

3月30日

家族からしてみたら私がそれらを掌ですくうたびに家族の時間がこぼれてしまうように感じる瞬間があるだろう。それが生命にかかわるなら尚更。
それが身にしみる1年を過ごしてきたし粉々になっても守る生命がある。だからこそ、私の店があることも、わかる。

昔、自身の家でやっていたように鍵を開けたい。文字通り、鍵をかけずに誰でも入ってよい部屋。ルールは2つ、必ず冷蔵庫をいっぱいにしておくこと、連れてきた人間に責任をもつこと。あれは店はできない。でもあの時の空気感はたぶんぜったい必要で、どうつくるか。この季節が終わるまで考え続ける。

色々な方法から考えてたけどまだ考え続けてるけど、私のやってる事が成り立つのは薄い氷の上を歩く人々がいて、それは例えば自身のトランスであったり真っ直ぐ過ぎた心だったり自閉症者だったりその母だったり健全な生活に宿る闇への憧れだったり、様々だけれども。改めてそうだった、と。

なんというか、この、私の私との対話はいつまで続くんだろう。身銭を切りたい、みたいな。小学校の頃からある自意識爆発的な主体感というか。

前に働いていたところで某著名ミュージシャンさんがいらっしゃったときに当たり前の顔で「領収書いりません」みたいな。そういう生き方をみたときキュっとする。経費で落としたくないんだよね、結局はだれかより自分の最高のためだから。

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