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R-指定の「エイッ」に隠されたヒットの秘訣【日本語ラップを譜割りで見る】

出典:「かつて天才だった俺たちへ」

◆「エイッ」にも意味がある

 テレビやラジオで活躍し、すっかりお茶の間の人気者になったヒップホップユニット・Creepy Nuts。そのMCであるR-指定の口癖と言えば、「エイッ」。本番前のマイクチェック、MCバトル、さらにはリリースされた音源の中にまで登場する、彼のファンならおなじみの台詞? だ。

 しかしこの「エイッ」、広く親しまれているわりには、それが果たしている役割はあまり知られていない。「ey ってちゃんと歌詞に書いてあって草w」みたいなツイートすら散見される。多くの人が「ラップの合間埋め用かけ声」くらいにしか思っていないはずだ。これは、厳密には間違いではない。

 けれども、”譜割り”というラップの決まりごとを知ったうえで聴くと、この「エイッ」にも違った印象が出てくる。そこには、Creepy NutsがJ-POPのフィールドで戦うために行った創意工夫の痕跡が見てとれるからだ。

 この記事では、知名度的にCreepy Nutsの代表曲と言える「かつて天才だった俺たちへ」を、譜割りの観点から分析していく。

◆”譜割り”はラップの楽譜

 だがその前に、まず”譜割り”について簡単に解説しておこう。

 タイトルにもある「譜割り表」というのは、ラップに限らず全ての歌に存在する、楽曲の中での歌詞の割り振りを示す図のことを指す。『Zeebraの日本語ラップメソッド』や『HOW TO RAP』を筆頭に、ラップのやり方について論じた本には必ず、譜割り表かそれに近いものが掲載されている。

 上の記述だけではうまく伝わらないと思うので、図で説明しよう。例えばfoorinの「パプリカ」を譜割り表におこしたものがこれだ。

 通常の楽譜と見比べればわかるが、一般的な楽譜からメロディの要素など小難しいところを排除して、”歌詞をどこに配置するか”を表すことに特化させたものが譜割り表といえる。

 つまり、メロディの要素が限りなく薄い(言い換えれば歌ではない)ラップを分析したり、カラオケで歌う参考にするのにとても都合の良い図であり、同時に、音楽理論の"お"も知らない人間でも理解しやすい優しい図でもあるというわけだ。

 また、”譜割り”の概念はラップの作詞に不可欠なものであり、どんなに何も考えてなさそうなラッパーでも、(表は使っていなくとも)”譜割り”を意識しながらラップを作詞している。ラップ界隈でよく見る”フロウ”という単語も、実際にはこの”譜割り”のことを指していることが多い。

 要するに、”譜割り”はラッパー全員が共有している大前提であるということ。ラップを分析する際に韻や歌詞の意味だけを見て、”譜割り”を考慮しないようでは片手落ちだということだ。

◆曲の概要

 「かつて天才だった俺たちへ」の分析へ移る前に、曲の概要について紹介しておこう。

 「かつて天才だった俺たちへ」は、Creepy Nuts が2020年に発表した楽曲で、帝京平成大学のCMソングとして書き下ろされた。ウッドベースのソロから始まり、スウィングジャズ感がほんのり漂う曲調のもとで、それまでのCreepy Nutsのひねくれた歌詞とは雰囲気が異なる、直接リスナーを鼓舞するラップが披露されている。

 曲全体のコンセプトについて、R-指定はインタビューで「いろんな経験によって可能性が閉ざされて、無力感に苛まれることもあると思うけど、もう1回その万能感みたいなものを取り戻そう、だって一度は天才だったんだからっていう曲ですね」と説明している。

 テレビCMでも使われた「かつて天才だった俺たちへ」のサブスクやYoutubeでの再生数は彼らの楽曲の中で最高を記録し、その代表曲となった。

◆1番で入門、2番で応用

 いよいよ本題の譜割りの話に入る。なお、テーマを絞るため、分析は1番と2番のサビ以外の部分を対象とする。

 一聴して分かるのは、1番と2番で楽曲上の役割が分担されていることだ。

 本来日本語に存在しないアクセントの付け方でラップをしたり(図2で言葉の後ろにコンマ=,がついている部分だ)、複雑な韻の踏み方を披露したりしている2番は、技術の高さを誇示し、1番だけでは満足できないリスナーを満足させるためのいわば”応用篇”のラップと言える。

↑2番の譜割り表。早口や自然でないアクセントが多用されている。

 この2番とは対照的に、わかりやすい・歌いやすい”入門篇”のラップを心がけているのが1番の特徴だ。

 CMソングとしてテレビでも流れる1番は、普段ラップを聴かない層にも届くものである必要があった。そのためここには、「わかりやすさ」を演出するためのさまざまな工夫が施されている。

◆「わからせる」ための3つの工夫

 第一に、自然な日本語が使われている。日本語ラップによくある、倒置法を使って名詞を後ろに持ってくる歌詞(韻を踏みやすくするための工夫)は、ラップに慣れたリスナー以外には曲を楽しむ障壁となってしまう。ロックやネット音楽の作詞にも押韻や倒置法が取り入れられて久しいとはいえ、この曲の対象である「テレビで音楽聴く」ような層にとって、倒置法が使われた歌詞はいまだ耳慣れず、歌詞の内容が頭に入る上での障壁になってしまう。

↑Dragon Ash「Grateful Days」のZeebraパート。自然な日本語なら「この街を見てきた」となるところを、動詞を前に倒置させて「みてきたこの街」にして韻を踏んでいる。なお、譜割り表では表記上の都合により母音一つにつき一文字を対応させている。例えば東京の「きょ」は「こ」に置き換えており、以下の表でも同じルールを適用している。

 R-指定はこの壁を突破するために、1番の歌詞では動詞が後ろに来る自然な日本語を使い、一文の途中の仮定(気づかなければ、思わなけりゃ、笑われなけりゃ)と文末の過去形の動詞(なれた、解けた、漕いでた、守ってた)という、非常に自然な韻の踏み方を選んでいる。

 第二に、韻を踏む場所を固定している。「かつて天才だった俺たちへ」では多種多様な韻が踏まれているが、ラップに慣れていないリスナーが聞き取れるのはもっとも馴染みやすいとされる脚韻(一文の最後の韻=画像内では赤で表記)だけだ。

↑1番の譜割り表。最初の8小節の間、同じ場所で同じ脚韻[えあ]を踏み通している。

 この脚韻を踏むとき、もっとも踏んでいることがわかりやすくなるタイミングが、4拍目の頭(画像では上の数字が赤い3になっている列)だ。R-指定は最初の8小節の間、ずっとこの4拍目の頭で同じ韻を踏み通している。わかりやすい場所でわかりやすい韻を繰り返すことで、どんな初心者にでもリズムが伝わるようなラップになっている

 第三に、高度なラップテクニックを排除している。現代のラッパーは一般的に、複雑な押韻、自然でない譜割り(三連符、早口、アクセントの変形など)、英語や方言との混合など、様々なスキルを駆使して作詞をしている。

↑AKLO「カマす or Die」より複雑な作詞の例。3連符(画像で文字間の間隔が大きく空いている部分)を使ったり、英語と日本語を混ぜたりしている。

 対してこの1番では、このような高度な作詞法はすべて排除されている。もっとも基本的なテクニックである母音の省略(漕いでたの"い"を短く発音して譜割り上は省略するような工夫)もほとんど使われていないのだ。もちろん、スキル豊富なバトルMCとして活躍してきたR-指定がこういう作詞をするのは、より広い層に向けた”あえて”のことだ。

 以上、3つの工夫を紹介した。これらの工夫はすべて、「自然な日本語で、わかりやすく韻を踏む」ために使われている。曲に込められたメッセージを広い層に届けるための、親しみやすいラップの作詞。こうした工夫は、間違いなくこの曲のヒットに貢献したはずだ。

◆場面転換としての「エイッ」

 しかし、このような「わかりやすさ」を重視した譜割りは、広い人に届く利点とともに大きな欠陥を抱えている。その欠陥とは、単純に分かりやすすぎて飽きやすいということ。この飽きやすさを克服するために存在しているのが「エイッ」だ。

↑1番の譜割り表。「ヘイッ」と「エイッ」で前後が区切られている。

 もちろん「エイッ」は、歌詞と歌詞の間を穴埋めする言葉だ。だがそれは単なる穴埋めではなく、いくつかの効果を持っている。

 一つ目は、文章を区切るという効果だ。「エイッ」や「ヘイッ」は、どう聴いても日本語ではない。だから、聴いている人々に「ここで文章が区切られているな」という認識を与える。普通の文章でいう改行や句読点の役割を果たしているのだ。

 そしてもう一つ、「エイッ」には、「”譜割り”をずらす」という効果がある。特にこの「かつて天才だった俺たちへ」の1番では、「ヘイッ」と「エイッ」の前後で、歌い出しや脚韻の位置がまるっきり変わっている。

ラップの印象は歌い出す位置と韻を踏む位置で大きく変わる。「ヘイッ」より前は、一つ前の小節の4拍目から歌い出す前のめりなラップだったのが、「ヘイッ」が入ったことで場所がずれて、2拍目からスタートするゆったりしたラップになっているのだ。そして「エイッ」の後も同じことが起きている。

つまり「エイッ」は、存在するだけで文章上の意味を区切り、さらにラップ自体の雰囲気まで変えてくれる非常に便利な場面転換ツールだ。この「エイッ」のおかげで、"飽きやすくてわかりやすい"1番のラップに緩急が生まれているのだ。

◆「エイッ」でなきゃダメなのか?

 しかし、ここで疑問を覚える読者もいるかもしれない。別に「エイッ」じゃなくても場面転換はできるんじゃないのか? 「エイッ」が別の意味のない言葉、たとえば「ウィスリ」でも「Skrr」でも「アララァ」でも、譜割りがズレるのは一緒じゃないのか? その間黙ってても効果は同じじゃないのか? と。

 だが、黙っているのは良くない。CMソングとして流れるこの曲は、ドラムがリスナーに聴こえないことを前提にして作られなければならない。つまり、口ずさむだけでリズムがとれるようなラップでなければならないのだ。「エイッ」を抜いて一拍休むと、この口ずさむことの難易度が跳ね上がってしまう。黙るよりは何かを言っておいた方が良い。

 では、そこに別の言葉を入れるとどうなるか。想像してほしい。応援ソングの中に唐突に「ウィスリ」という言葉が出てくる異様さを。その存在感のせいで、本題の応援メッセージはリスナーの頭から消え去ってしまうだろう。場面転換の言葉は、日本語であってもいけないが、同時に聴き流せるくらいには耳慣れた言葉でないとダメ。穴埋めの「エイッ」や「ヘイッ」にも、それがそれであるに至った理由があるのだ。

◆「エイッ」は氷山の一角

 「エイッ」がいかに大事か、理解してもらえただろうか? 理解してもらえたなら嬉しいが、以上の分析は本人へのインタビューなど無しに、全て筆者が勝手に妄想で分析したものなのであまり真に受けないで欲しい。

 そういうことを意識してもらった上であえて言うと、この「エイッ」は、韻や社会的な文脈を重視した歌詞分析からこぼれ落ちたものの、氷山の一角にすぎない。こっちはたぶん本当のことだ。

 韻や歌詞の意味の解釈はたしかに大切だ。だが、それだけで曲を分析して、譜割りやフロウの要素を無視してしまうと、ラップの工夫の半分以上を切り捨ててしまうことになる。その切り捨てられたものの一例が「エイッ」なのだ。

 筆者はこのラップの切り捨てられた部分に光を当てるため、今後も譜割りに焦点を当てた分析を続けていく。なお、今回作成した各曲の譜割り画像やリアルタイム譜割り表示動画などは、最近できたヨーツベというサイトで公開しているので、興味のある人はツイッターをフォローしとくべき!

動画リンク

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