相生市長の姿に、あの人が重なった&公職選挙法の件
21人のお仲間と一緒に選挙終盤に特定候補の支持を表明し、机バンバンで一躍全国区になった相生市長。
ところが、反斎藤であれだけイキってたのに、自らが大バッシングに晒されるや一転平身低頭で謝罪会見。
しかも、まさかの「知事様」発言。
自分が正しいと思っていたなら、せめてもう少し毅然としていられなかったのかな?
いくら謝罪会見だからといっても、あれだけ罵ってた知事に様を付けて媚びる必要はあったのかな?
その情けない姿を見てて、ある人を思い出しました。
それは、あの名刺二つ折り役人。
田中康夫さんが長野県知事に当選し、初登庁した時に知事の名刺を二つ折りにした県職員(当時企業局長)です。
外様の新知事に対して拒否感を持っていたと言われる県職員たち。
緊張感漂う空気の中、初登庁した田中知事を取材するカメラの前で、知事が差し出した名刺を二つ折りにした企業局長は、その後今で言う大炎上をして釈明会見をする羽目になりました。
当時、県庁には抗議の電話が殺到し業務に支障が出たと言います。
その責任を取る形で企業局長は辞表を提出しましたが田中知事に引き止められて、最終的に定年まで勤め上げられたようです。
テレビに映った、県庁の自分の席で小さくなってる局長の姿、私も覚えています。
とても名刺を折った人と同一人物には思えませんでした。
うろ覚えになっていたので、記憶を呼び戻すためにいろいろ検索してるうち、このような記事を見つけました。
名刺を折った時の知事と局長のやり取りを文字起こしされています。
そう言えばそうだった。
「社長が社員に名刺を配るような会社は倒産する会社」
そう言われれば、そういうの聞いた気がする。
だから、知事としてでなく、田中さん一個人の名刺として受け取る、という意味で知事の部分を折り曲げたって事だったんですね。なるほど。
この記事の筆者の補足文、いちいち頷ける事ばかりなんですが、今の兵庫県知事を巡るアレコレを念頭に置いて読むと、より一層深みを感じられます。
私個人は、この藤井局長のとった態度は「最低の許し難い態度」だと思っているけれど、「事件」の流れの全体から見たら、もっと違う面の方が気になってくる。それは、この企業局長が、「戦う相手」を甘く見すぎていたということについてである。
この局長は、確かに、新知事を青二才と見なして、小馬鹿にしていた節がある。最初にガツンとやっておけば、相手はビビルだろうし、県庁の管理職に一目置くようになるだろうと、高をくくっていたんだろうと思う。彼は、自分の相手にする「田中康夫」という男の恐ろしさを、あの時全く量り損ねていたのである。
「田中康夫」という男のどこが恐ろしいのか。それはこの男がマスコミを使うことを誰よりもよく心得ているというところにある。マスコミをバックにもった男とケンカをすることほど、不幸なことはない。そういう現実が見えていなかったことが、この閉じられた県庁にしかいなかった管理職の悲劇の始まりだったのだ。彼の悲劇は、自分の言動が、自分の味方の取り巻きの中で発せられるものと思いこんでいたのだが、実はそれは違っていた。彼は田中新知事の前で啖呵を切ったつもり居たのだが、実は彼はカメラの前で、日本中の視聴者の前で大見得を切っていたことを、全く計算できていなかったのである。
相生市長=藤井局長
斎藤知事=田中知事
として見ると、斎藤知事と田中知事はメディアとの関係において真逆です。
片やメディアリンチに晒された知事、片やメディアを強かに利用した知事。
だから、この引用文に書かれてる事が今回の一件にそのまま当てはまるわけではありませんが、仲間を従えた会見の場で机バンバンした相生市長と、仲間内でヒーローになろうとしてカメラの前で名刺二つ折りをやらかした藤井局長のメンタリティは結構似てるんじゃないかな?と思います。
「マスコミ」は「醜態」を一番好んで食べる「怪物」なのだから。そんな「怪物」を「怪物」と知らずに、「醜態」という「エサ」を自ら与えてしまった藤井局長の悲劇は、これから「公の仕事」にたずさわるものにとっては「他山の石」とすべきである。
相生市長は、ご年齢から考えて当然名刺二つ折り事件の顛末をご存知だと思います。
あれを見て、公の立場にいる者がカメラの前=全国の国民の前で何らかのアピールをするリスク、学んでなかったんですかね?
いや、学んでないのは相生市長だけじゃない。多くの政治家や官僚、公務員も同じだと思います。
醜態とは違いますが、斎藤知事もカメラの前で度々オウンゴールを決めている気がします。
口下手で不器用な方なんだと思いますが、ご自分の言動がテレビの画面にどう映るのか、観ている人たちにどういう印象を与えるのか、叩く気満々のメディアにどう切り取られどう報じられるのか、そろそろそういう事にもう少し気を遣われた方がいいんじゃないかな?と思います。
知事というのは、政治家というのは、ただの一個人でなく、多くの有権者の信任を受けた公人なのですから。
斎藤知事は110万人の県民の意思と、県民全ての生活を背負ってるのですから。
ご自分が他者の目にどのような人物に映るのか、という事に無頓着では困ります。
瞬きの回数とか、同じ言葉を何回繰り返したとか、そういうしょうもない事でいちいち揚げ足を取られる。
だから、自治体のトップとして発言その他に慎重になるのはわかります。
言質を取られないよう、最低限の事しか言わないように、おそらく弁護士から指導があるんだろうと思います。メディアはいちいち強引でイジワルな受け取り方しますからね。特に今回はコンプライアンス云々ではなく法律の話ですし。
でも、失言しない事に囚われすぎてロボットみたいな対応をしてると、何を言っても嘘っぽく怪しく見えてしまうのも事実。「なんかやましい事があるんだ」と勘繰られます。
その結果、メディアや世論がますます想像を逞しくしてどんどん疑惑が深まり、ますます知事や周りのスタッフ、職員が対応に追われる事になって本来の仕事が出来なくなる、県政が滞る。
県民からすれば、加熱しがちなメディアはもちろん、脇の甘い知事も含めて「いい加減にしろ!」という気持ちになると思います。
今炎上してる件、公職選挙法に違反してるのかどうか、私にはわかりません。折田さんのnote記事を読む限り(そこに書かれてることが正確な事実だとして)、選挙のためにSNSの環境を整備しただけで世論操作を窺わせる文章では無かったと思います。
ただ、公職選挙法というのはかなり厳しく細かく規定があるようで、世論操作してるしてないとは関係ないみたいですね。
だから、法律の専門家でない者から見て「え!?そんな事も違法になるの?」と思っても、法に抵触していればアウト。そういう法律は他にも結構ありますよね。
法治国家である以上、もし納得いかなかったとしても現行の法律には従わなければいけないし、「知らなかった」で情状酌量してもらえる案件とそれでは通じない案件があると思います。
公選法は後者。
斎藤知事は元官僚であり、政治家になって何年も経っているので、元より「知らなかった」は通用しません。
おそらく公選法について弁護士に確認した上で折田さんの会社にポスター作成を依頼(有償、これは合法)されたのだと思いますが、それ以外の広報活動についてどうだったのか、知事側が頼んだのか、頼んでないのに折田さんが勝手にやったのか、勝手にやったとしてその動向を知事側がどのように認識していたのか、例えば善意でやってくれてるのだから断るわけにはいかないと思ってプレゼンを受けてたのか、それについて弁護士のチェックは入っていたのか。
知事側が公選法に違反するかもしれない事を積極的に頼んだとは思えないんですよね。もし頼んでたらアホすぎるし、その場合はしっかり口止めしてあんな記事なんかアップさせないと思います。
まあ、どちらにしても知事側の認識が甘すぎ。
あれだけ各方面から叩かれまくって、その結果不信任決議を突きつけられて、周りが敵だらけだというのはわかってたはずなのに、なんでこんなに脇が甘いんでしょうね。
頭のいい方のはずだから、状況が見えてない事はないと思うんですが。
あまりにもメディアや百条委員会が一方的すぎたのと、不信任決議が拙速すぎたので、一応斎藤知事を応援していますが、だからこそ今回の事にはイラついてます。
いったい何をやってるんだ💢と言いたい。
公選法の話に戻ります。
「公選法は今の時代に合ってない悪法」という声もありますが、法の改正についての議論はまた別の話です。
また、一部で「折田さんは反斎藤派が送り込んだ刺客ではないか、斎藤知事は嵌められたのではないか」という説もあるようですが、記事を読んだ感想としてそれはないかな?と思います。
良かれと思って書いた事が波紋を呼ぶ内容だった、想定外の炎上に驚いて一部を削除した、という流れな気がします。
note記事自体を削除してないのも、消すと増えるの法則があるからだと思います。実際「今更消しても遅い。魚拓取ったから」というコメントがたくさん寄せられています。
追記:弁護士からの指示かもしれませんね。「これ以上いじるな」と。今更ヘタに修正したり削除したりすると、かえって更なる憶測を呼ぶかもしれませんから。
今のところ、知事と代理人弁護士の見解、折田さんのSNSでの数々の発信、この2つの内容にズレがあり、どちらが正しいのかわかりません。
ただ、知事側が「法には抵触していないと認識」とだけで発信が不十分なために、憶測が憶測を呼んで話がどんどん飛躍して行ってるように思います。
「1人で立っていた頃から作られたストーリーだったのか」
「公選法違反するくらいだから、やっぱりおねだりもやってたんだろう」
「パワハラで人を追い詰めて死なせた奴のやりそうな事だ」
と、メディアがスクラム組んで一定方向に偏向報道していた頃の認識に戻ってしまっています。
実際にnote記事を読んだ上でそこまで想像を膨らませているとしたら、もう何を言っても耳を貸してもらえないと思いますが、
おねだり疑惑はほとんどが当事者によって否定されています(しかも知事へのバッシングの嵐が吹き荒れてる真っ只中に、その関係者は名前も顔も出して否定されています)し、
県民局長の死の本当の原因を知る手掛かりは公用パソコンの中にあるのではないか、という疑惑があり、百条委員会がそのパソコンの中身の開示を拒否している事に対して疑義が持たれている、
というのが今の状況です。
公職選挙法違反の話と、おねだりやパワハラ疑惑、公益通報と県民局長の死にまつわる話、これらは分けて考えられるべきものです。
一つ一つ個別に、印象や感情論を出来るだけ排して客観的事実に基づいて検証されるべきもの。
「最初斎藤さんは悪い人だと思ってて、でも実はいい人で嵌められたんだと思ってたけど、やっぱり悪いヤツだったんだ。マスコミの報道は全部本当だったんだ」という極めて短絡的なコメントを見ましたが、いい奴か悪い奴かで罪があった無かったを判断するのはナンセンスですし、仮に公職選挙法違反があったとしても、それでメディアの偏向報道が無かった事にはなりません。
それとこれとは別の話。
とにかく、公選法に照らして問題があったのなら近いうちにしかるべき機関が動くと思いますので、その捜査と結論を待ちたいと思います。