⚖ 6年+本人訴訟【42】都職員S本 申立て事案を放置(不作為)後,握りつぶし?【10】
↑ 画像は,(ハローワーク川越の管理機関)埼玉労働局から開示された内部記録文書;
退校手続をした,平成30年3月12日,都職員S本(マスキング部)が,ハローワーク川越担当者に話した内容が明示:「3月9日付除籍」の一方,「中途退校」「本人と学校で話し合う」と矛盾。しかし,本連載で見たように,学校に除籍通告指示を重ねていた。S本は,ハローワーク川越担当者から,除籍決定の違法性を指摘される等した結果,急遽,矛盾した説明をしてごまかし,強引に「排除」し事案を隠蔽,又は握りつぶす必要に迫られ,副校長に,退校申請書を書かるよう指示した,と考えられる。
(⇒本連載【41】↓ のつづき;【訴訟3】での本人陳述書から)
平成30年3月12日、センター担当部署(再就職促進訓練室(以下、「訓練室」)でのS本氏の対応
3月12日(月)、私は、正に這うような状態で、退校手続をしに学校に出向きました。
そして、同校事務職員の指示に従い、退校届を書き、「これを訓練室のT本さんに提出して」と渡された封筒を抱え、地下鉄で訓練室に向かったのです。
訓練室に向かう私は、心身共に這っているかのようでした。半年くらい前からあった不眠症はあったものの、数日前からの混乱の中、まったく眠れなくなり、食欲もなく、胃がキリキリしていました。飯田橋駅から歩く道中、訓練室が近づくにつれ、逃げ帰りたい衝動を抑えるのに必死でした。
それまでの人生で、私は、周囲から「真面目過ぎ」、「もっと適当に」等と言われることは多々あり、自分の不器用さを自覚していました。そして、そんな生真面目さや実直さを、疎ましく感じる人がいても不思議はないと認識しています。ですが、間違っても、「対応に値しない人物」と端から対応を放棄され、強引に排除されるに匹敵する素行があったとは思えず、何が何だかわからなすぎ、世界がグルになって自分をこの世から排除しようとしているかのような恐怖を感じていました。
果たして、初めてセンター側職員と接してみて、恐怖心が募りました。
封筒を渡したT本氏は、明らかに素気なく、私が「S本さまがこの件の担当だと東京労働局(厚労省)から聞いており、ご挨拶したいのですが」と申し出たものの、「その必要はありません。もう帰っていいですよ」と、まるで厄介者を追い払うかのようでした。私は、事前に、厚労省側担当者から、「今後も対応します」と快い言葉をもらっていましたが、本来の事案対応窓口はセンターであったため、学校側の不当処分について追って確認する場合の窓口について、「訓練室のS本さんに連絡してください」と言われていたのです。
多忙なのはわかりますが、事案申告後、相談者であった私に一度も事実確認等の連絡をせず、面談の立会も拒否した挙句、除籍での退校手続で初めて言葉を交わそうとしている私に、「帰っていい」とは、あまりに惨すぎ、「何なんですか」と叫んで泣きたくなりましたが、冷静を努め、「お待ちします」と、待機を主張しました。結果、しばらくしてS本氏と面会することができたのです。
私は、S本氏とテーブルをはさんで面し、「なぜ対応していただけなかったのですか」、「警察に行くべきだったのでしょうか」、「なぜ退校にならなければならないのですか」と訴えました。途中、感情が抑えきれず、嗚咽し、図らずも涙をこぼしていました。
S本氏は、ずっと意味不明な笑みを浮かべたまま黙っていましたが、ひと事、「悔しいですか」と言いました。私は、その言動を受け、それまで以上に何が何だかわからなくなり、改めて発狂して叫びだしそうになりましたが、背後にいた女性職員の目がこちらに向いているのを感じ、堪えました。そして、かろうじて、「除籍は不当です。今は心身ボロボロで何もできませんが、落ち着いたら確認させていただくつもりですので、よろしくお願いいたします」と伝え、去ったのです。
(⇒本連載【43】↓ につづく)