見出し画像

J1開幕前に、改めて興梠慎三の功績と思い出を振り返る

Jリーグの2025年シーズンが直前に迫っている。
このオフも多くの名選手が現役を引退したが、その中でも浦和サポの私にとって一番思い入れがあるのが興梠慎三選手である。
浦和での通算在籍は11年、その間に150を超えるゴールを決めてきた稀代のストライカーだ。

年末あたりに興梠にまつわる思い出を振り返ろうと考えつつ、ずるずるとできずにいたので、彼のプレーが見られなくなるシーズンが始まる前に記事にすることにした。




「禁断の移籍」から始まった

それは「禁断の移籍」だった。
興梠は高校卒業後、鹿島アントラーズで主力として活躍。 リーグ三連覇など輝かしい実績を作って2013年から浦和の選手となった。

Jリーグでも屈指の対立感情が渦巻くクラブ間での、人気選手の移籍。 加入する浦和のサポーターさえ、否定的な感情が多くあった。
興梠本人が、「多分浦和のサポーターは誰も歓迎していなかった」と引退に際して語ったほどだった。

本音を言えば、私自身も「よりによってなんで鹿島の興梠なんだ」と思っていた。
それだけ強い感情が生まれるのは、何度も痛い目に遭っているからである。
浦和のサポーターこそ、興梠の凄さを身に染みてわかっていた。
それでも、素直に喜べなかった。 勝手なものである。


またたく間に「浦和のエース」に

そんな前途多難ともいえるスタートだったのであるが、浦和サポーターはすぐに掌を返した。
RPGで、強力なライバルがストーリー途中に仲間になってくれる感覚と言えばいいだろうか。 ミシャ・ペトロヴィッチ監督を筆頭としたパーティー全体のレベルが上がったのだ。

やがて興梠は浦和のエースとチャントでも歌われるようになった。
加入初年の11ゴールを皮切りに、リーグ記録となる9年連続の二桁得点。
Jリーグ通算ゴール数は歴代2位。 浦和の選手としては最多。
そして、ACLでの日本人歴代最多得点。
数々のタイトルとともに、浦和の第二次黄金期を築いてくれた。

興梠(K)、李忠成(L)、武藤雄樹(M)の「KLM」に司令塔の柏木陽介を加えたユニットは、浦和史上最強の攻撃陣だったのではないだろうか。
この10年あまり、浦和の最前線には興梠がいた。 キャリア終盤はメンバーを外れることも増えたが、出場したときの存在感は健在だった。


興梠慎三の凄さ

興梠は、素人目にもわかる万能型のストライカーだった。
鹿島時代はドリブル、裏抜けとスピードを活かした選手というイメージだったが、浦和に来てからはポストプレーや下がってのゲームメイクをする場面も増えて「なんでもできる」選手になっていった。

両足、頭、どこからでも点が取れ、裏抜けからのループも得意でPKも外さない。こぼれ球への反応は誰よりも速い。 「変態キープ」と称賛されたポストプレーは彼の真骨頂となった。

あのしなやかな身のこなし、柔軟性、俊敏性、跳躍力はネコ科の猛獣のようだと思っていた。 さしずめ、生息域が広く適応力の高いヒョウだ。
一瞬の動き出しで相手の視界から消え、一発で仕留める。
近年のJリーグでいえば、興梠と川崎の小林悠が双璧だったと思う。

ド派手なスーパーゴールや、華麗なドリブルは多くなかったけれど、サポーターも、きっと監督や選手も、誰もが全幅の信頼を置いていた。
目に見える数字が求められるフォワードの選手として、歴代最多出場という結果が、それを雄弁に語っている。


ACL2度制覇の思い出

興梠は2回、アジア制覇をもたらしてくれた。
一度目は2017年、ミシャ監督が途中解任され、一時代が終焉を迎えようとしていたとき。
優勝を決めた夜、浦和の吉野家にふらりと現れてその場の全員分おごったという話は語り草になっている。

二度目は2023年、1年間の札幌へのレンタルから戻ってきてすぐだった。
正直なところ、ミシャ監督との約束を果たすために札幌へ行ったとき、レンタルという契約だったとはいえ、これが片道になることを覚悟していた。
しかし、彼は戻ってきてくれた。浦和でタイトルをまた獲るために。

スコルジャ新監督のもと序盤に躓いた浦和は、3試合目で初勝利を摑んで流れに乗った。 その試合、ワントップで初のスタメン出場をしたのが興梠だった。 

迎えたACL決勝ファーストレグ。
圧倒的不利の大アウェーで値千金の同点ゴールを決めたのも興梠だった。

アクシデンタルなルーズボールに誰よりも速く反応した。
現代の激しい肉弾戦で90分走り続けることはできなくても、嗅覚は健在だと示してくれた象徴的なシーンだ。

彼のキャリア、最後で最大の輝きだったかもしれない。
その後、昨シーズンにかけて出場機会は目に見えて減っていったが、変わらずサポーターは浦和のエースと歌い続けた。


引退、そして興梠監督への期待

引退した興梠は将来の目標について、はっきりと浦和の監督と公言している。 攻撃的なサッカーをやって、Jリーグを獲りたい、と。

彼が浦和で唯一獲れなかったのが、リーグタイトルだった。
ミシャ監督のもと、リーグで一番魅力的なサッカーを展開した選手たちが、ついぞシャーレを掲げられないまま引退していっている。

S級ライセンスを取り、コーチ修行をしてトップチームの監督になる。
まだまだ先は長いが、その頃には宇賀神GMをはじめ、なじみのメンバーも揃っているかもしれない。 期待せずにはいられない。

興梠慎三は、そのフランクな言動も魅力だった。
引退セレモニーのスピーチでは、サポーターへの直接的な苦言もあった。
彼でなければ言えないし、また彼のような選手に言われたことはとても重い。

試合中も闘志を剝き出しにして昂ることはなく、いつも飄々として見えた彼が、これほど浦和に強い思い入れを持ってくれているのだと知る機会がここ数年で何度もあった。
どうか浦和の監督として、シャーレを摑んでほしい。

近年、アスリートを形容するときの「レジェンド」という言葉が随分安売りになっているようで気になっている。
実績を残した選手への敬意は必要だけれど、レジェンドとは、まさに殿堂に入り永く栄誉を称えられるような人にだけ使われるべきではないだろうかと。

そんななかで興梠慎三という選手は、まごうことなく浦和の、そしてJリーグのレジェンドであり宝だったと言えると思う。
現役最後の試合でピッチを去る時に、残留争いのただ中にいた新潟の選手たちも集まりガード・オブ・オナーを作ってくれたのも、それを示している。 見ているサポーターにとっても嬉しい瞬間だった。

自分はあくまでも「箱推し」で、選手がどれだけ入れ替わっても浦和を応援するつもりでいる。
それでも、やはり彼が本当に選手としていなくなるのは悲しい。 あのチャントが聞けないのは寂しい。
彼の存在が、強いときも勝てないときも、浦和をもっと魅力的にしてくれていた。

長いあいだありがとう、浦和のエース。
また埼スタにピッチで見られる日を楽しみに待ちたい。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集