はじめてレッズの優勝をみた日
最初に、この記事を書き終える前にまた不名誉なかたちで浦和レッズの名前が人々の耳目に晒されたことが残念でならない。
今回暴挙に出た人たちにとってどんな理由があったにせよ、行ったことは言語道断である。クラブは迅速に調査と処分の発表をしたが、正直に言って甘い裁定だと思う。ここで断固とした処置をしなければ、浦和は別の意味で「Jリーグのお荷物」になってしまうのではないだろうか。
いちサポーターとして、本当の意味で今後浦和が魅力的なクラブになってくれることを切に願う。
はじめに
「はじめてレッズをみた日」というお題を見つけたため、浦和を見続けて20年を超えた私も投稿することにした。
文字どおり浦和レッズをはじめてみた日は定かではない。最初の記憶は埼玉スタジアムが竣工して間もなく、まだ私は幼稚園生。断片的な光景は今も思い出せるのだが、克明に書くには幼すぎた。おまけに負け試合だったので、あえてここで書きたくはないのがサポーター心理である。
そこでこの記事のテーマは、タイトルのとおり私がはじめて浦和レッズの優勝を見届けた日のこととした。それは2017年11月25日、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦、場所は埼玉スタジアム。相手はサウジアラビアの雄、アル・ヒラルだった。
「その日」までの長い日々
もともとサッカーをやっていた父の影響もあり、私が地元のクラブである浦和を応援し始めるのに時間はかからなかった。
幸運なことに、私の少年期は浦和の全盛期とともにあった。毎年のようにタイトルを獲るクラブを見てきたが、残念ながらスタジアムでその歓喜の瞬間を見届けることは長らくなかった。
そして迎えた2017年。我々は優勝に飢えていた。2007年にアジアの頂点をも極め、栄光の味を知った浦和にとってその後の10年は長く苦しい時間だった。
王座から転がり落ちてからの低迷の数年間。魅力的なサッカーを作り上げ強豪に返り咲きながら、あと一歩で敗れ続けたその後の数年間。この10年で、メジャータイトルはルヴァンカップの1回だけだった。そして、長く指揮をとったミシャ・ペトロヴィッチ監督をシーズン途中で解任したこの年、再び混迷に足を踏み入れようとするなかで辿り着いたアジア王者への挑戦権は、浦和サポーター、そしておそらくはクラブにとっても是が非でも掴みたい光だった。
いざ決戦の舞台へ
決勝のチケットは争奪戦だった。それも当たり前である。長い間苦杯をなめ続け、シルバーコレクターのレッテルさえも貼られてきた。まだJのクラブが到達したことのない、2度目のアジアという山の頂へあと少し。
圧倒的なタレントを揃え一気に昇りつめた10年前とは違う。下馬評は決して高くはなく、主導権を握られる試合も多くあったなか、この年の浦和はACLで強靭な精神力を見せて対戦相手を跳ね返してきた。決勝のファーストレグでも、完全アウェーで終始ペースを握られながらも虎の子のアウェーゴールを活かし1-1という結果を持ち帰ってきた選手たちに、サポーターの熱はいやが上にも高まっていた。
当日は小学校以来の友人と集まった。同じメンバーで準決勝セカンドレグも参戦しており、その帰り道に決勝も行こうと既に約束していたのである。お互い翌春に大学卒業を控える年齢だったが、サッカー、そして浦和という共通項でまた集まれるのがまた嬉しかった。
そして歓喜の瞬間へ
埼玉スタジアムは試合前から異様な熱気だった。
ACL決勝を一大イベントにしたいAFCが企画した試合前のちょっとしたセレモニーは、大声援とブーイングでかき消された。
キックオフ直前には、浦和だからこそできる見事なビジュアルサポート(コレオグラフィーのことを、浦和サポーターは「目に見えるサポート」としてこう呼ぶ。)が披露された。ふたつの大きな星。ひとつ目は10年前に手に入れたもの。そしてもうひとつは、今日掴みとるはずのもの。
実はこの数日前、ファーストレグのあとにこんな記事が出ていた。浦和のFWズラタンのインタビューである。
優勝に向けて、最低でも点を取って勝たなければならないアル・ヒラルの選手たちは、まさにこの重圧を感じていたはずだ。
大音量のチャント、全方位から響く手拍子、そして自分たちがボールを持つたびに鳴り響くブーイングの嵐。試合はアル・ヒラルのペースで進んだが、埼玉スタジアムの作る独特な空気と浦和の選手たちの途切れない集中力が、クオリティで勝るはずの彼らの決定力を微妙に狂わせたと思う。
アッパースタンドで見ていた私たちは、アル・ヒラルの猛攻に肝を冷やしながらも拍手を送り続けた。0-0でもいい。時計の針が刻一刻と進むにつれ、熱気は増していく。
アウェーゴールという枷を負う焦りは形となって現れる。試合終盤、ゴール前で脅威となり続けていたアル=ドーサリが遠藤航へのラフプレーで退場になると、いよいよ赤のボルテージは上がった。
勝てる。絶対に勝てる。誰もがそんな気持ちを持ち始めていた。
そしてその気持ちが確信に変わるときが訪れる。
武藤雄樹がこぼれ球をすかさず前線へ。
前のめりになったアル・ヒラルのDFが突っ込む。
ラファエル・シルバが冷静に反転し入れ替わる。
ワンタッチを入れてから、思い切り右足を振り抜く。
この瞬間の映像は、今の脳裏に焼き付いている。強烈なシュート、ガッツポーズをしながら走り出すラファエル・シルバ、そして狂喜して集まる選手たち。
スタジアムでは地鳴りのような歓声が轟いていた。私も言葉にならない叫び声を上げていた。
後にも先にも、サッカーファンとしてこれほど思い出深いゴールはないかもしれない。
そのあとの数分間の記憶はない。
ゴールの興奮が冷めやらぬまま、その瞬間はやってきた。
歓喜を爆発させる選手たちを見ながら、私たちサポーターは勝利の味に酔いしれていた。それまでの長い苦難の時間を吹き飛ばすほどの時間が、この夜にはあったと言えるだろう。表彰式の「森脇芸」にいたる全てが楽しかった。
そして、これはあとから映像を見てわかったこと。キャプテンとしてチームをまとめ上げた阿部勇樹は、優勝の瞬間に喜びと安堵が混ざり、涙を堪えるような表情で頭を抱える仕草をしていた。それを見てまた感動に耽ったサポーターは私以外にも何万人いただろうか。
おわりに
正直なところ、浦和レッズというクラブを応援していて、特にここ十数年は辛い思い出の方が多いと思う。なまじ優勝の瞬間を知ってしまったことが、そこへ至れないときの悔しさを増幅させる贅沢な悩みだろう。
ただ私たちサポーターは、何度でもあの瞬間を、埼玉スタジアムで歓喜する選手たちの姿を見るためにこれからも応援を続けていくだろう。
あれから選手はほとんど入れ替わったし、幸運なことに、私は自分にとって2度目となるACLの優勝を見届けることができた。
それでも、私にとってはじめてレッズの優勝をみたあの日は、今も、そしてこれからも塗り替えられることのない、色あせない真っ赤な記憶だ。
さて、こんな長文を最後まで読んでくれた方は、ほとんどが浦和のファン・サポーターの方々だと思う。私は歴だけそこそこ長い、シーズンチケットも持たない草の根のサポーターである。
私はこのクラブが、そして浦和サポーターが作る無二の雰囲気が好きだ。
アウェーまでサポートに行く人たちの熱心さには頭が下がる思いである。
しかし、一部の人たちが度重なる違反行為には閉口している。
「サポーター」とは、「応援する人」である。We Are Redsを口にする人たち全員が、自分の行動がWe、つまり浦和レッドダイヤモンズの行動として見做されうること、その行動がクラブを応援することになっているのかを考えなければいけないと思う。
純粋に選手・監督を後押しする気持ちだけを持ったスタジアムが作り上げられれば、きっと浦和レッズはもっと素晴らしいクラブになれるはずだ。
「浦和レッズを応援している」ことを、大げさかもしれないが誇りを持って他人に話せるようになってほしい。
これを読んでくれた人が、同じ思いを持ってくれていることを願っている。