今夏浦和を去る選手たちへ サポーターの感謝と嘆き
3人の主力がシーズン途中に去る浦和レッズ
だんだんと気持ちの整理はついてきたが、6月は心穏やかではなかった。春秋制のシーズンを送るJリーグにおいて、キャプテンを含む複数人の主力が夏の移籍市場で流出するというのは異常事態だ。
浦和レッズからはこの夏、酒井宏樹、岩尾憲、アレクサンダー・ショルツが移籍することになった。いずれも実力的・精神的にここ数年クラブの支柱となってきた選手たちである。
私も含め我々サポーターは相当なショックを受けたが、ここで思い出を書きとめることで未練(?)を断ち切り新生レッズの応援に目を向けたいと思う。
現役日本代表として来たキャプテン 酒井宏樹
2021年6月、酒井宏樹の加入はおそらく国内外で衝撃だっただろう。
日本代表、そしてフランスの名門オリンピック・マルセイユでレギュラーを張るサイドバックが浦和に来るというニュースは、浦和サポーターでも喜びよりも驚きの方が先に立つほどだった。
酒井は「ACLで優勝したい」という思いを持って浦和に来てくれた。家族を含め、はじめはその判断に賛成する人はいなかったという。
彼がやってきたのはリカルド・ロドリゲス監督就任1年目のこと。
「3か年計画」1年目に大槻毅監督のもとミシャサッカーの遺産を払拭し、選手を刷新していたところだ。彼はまさに、「新生レッズ」の象徴と呼べる存在だった。
代表戦でずっと見てきた、相手を弾き飛ばすような強靭なフィジカル、豪快なオーバーラップ、高速クロス。タッチライン際をあの大股のフォームで駆け上がる姿は、ぐわーっという効果音が出ているかのよう。生観戦してそのスケール感に驚いた。生で見る酒井宏樹はすげえ、と。
先日奇しくも期を同じくして退団となったダヴィド・モーベルグとの連携も見事だった。マルセイユのサイドバックにスパルタ・プラハのウインガー。短期間のみ実現したコンビだったが、そのときの浦和の右サイドはELレベルといっても過言ではなかったはずである。
そして昨年、彼はACL優勝という目標を達成した。
21年の天皇杯優勝から始まり、集中開催となった22年のACL本戦、そして大会期間の移行に伴い時期がずれた昨年の決勝戦。この長丁場の戦いを、最後はキャプテンとして戦い抜き、浦和に3度目の栄冠をもたらしてくれた。自信もMVPを獲得する活躍ぶりだった。
ただこの3年間、酒井は常にケガとも戦っていた。これまで長くヨーロッパを舞台とし、代表にも参加し続けていた身体には、徐々に蓄積していったダメージがあったのかもしれない。
浦和に来てからも、国内タイトルに加えACL、オーバーエイジとして参加した東京オリンピック、そしてカタールワールドカップを高いインテンシティで駆け抜けてきた。国際大会に浦和の選手として参加してくれることは誇らしかったが、常に全力でケガを押してまで試合に出続けた代償は確実にあったのだと思う。私の目には、出力の大きすぎるエンジンに車体が追い付かなくなっているような、そんな風に見えていた。
今シーズンは新加入の石原広教の台頭もあり、目に見えて出場機会は減った。残念なことに、ケガの影響からしくないプレーが散見され、サポーターからもネガティブな意見が出ていたことも事実だった。本人は以前からオーストラリアに興味があり、オファーを知ったときは即決だったという。しかし、もし仮に万全なコンディションを維持し、浦和で出続けていたとしたらあるいは……という邪推をしてしまう。
離脱していた期間も多かったが、酒井がチームを救う活躍を何度もしてくれた。
昨年、駒場スタジアム開催の新潟戦で豪快に叩き込んだゴール。マチェイ・スコルジャ監督体制の序盤で停滞しかけた流れを変える一発だった。
今年は、ヘグモ監督就任後初勝利を手繰り寄せた札幌戦のヘディングシュート。フォワードのようにゴール前まで入り込んでいく、浦和で酒井が開いた新境地を見せてくれた。
そして一番は、一昨年のACL準決勝・全北現代戦の終了間際に見せた渾身のタックルとクロス。敗色濃厚の中で最後までファイティングポーズを崩さなかった酒井のプレーが生んだ劇的な同点弾だった。猛然とボールを奪ったあと、歯を食いしばるようにモーベルグのパスに追いついた姿は今後も浦和サポーターのあいだで「酒井のアレ」として語り継がれるはずだ。このプレーを現地観戦できたことは幸せな体験だった(しかしこのゴールに絡んだ選手がもう大久保しか残っていない……。入れ替わりの激しさが感じられる)。
オリンピックの際、久保建英をして「モノが違う」と言わしめた世界基準のプレーと闘志を浦和に持ち込んでくれた貢献は多大だった。昨年は半月板の損傷を負いながらプレーを続け、手術後3か月かかると言われていたところを1か月で復帰しクラブワールドカップに出場するなど、超人的な面も見せてくれた。ともすればそれは選手生命を縮めかねない決断だったかもしれないが、それほどの強い思いを浦和で体現してくれたことは嬉しい限りである。
6/30、最後の挨拶をしてくれた彼の表情は晴れやかだった。全くこの決断に後悔がないことを表しているようだった。それがちょっとだけ、私には悲しかった。スピーチにもあったように、彼が対戦相手として埼スタに来てくれる日を楽しみに待ちたいと思う。
理想の中間管理職だった「課長」 岩尾憲
岩尾憲の加入が決まったとき、サポーターの反応は賛否両論だったと記憶している。
彼はリカルド・ロドリゲス体制2年目の2022年に、徳島からレンタルで呼び寄せられた。リカルド監督が徳島時代にキャプテンとして信頼を寄せた選手であり、監督のサッカーをより浸透させ、体現する役割として加入したのである。しかし、34歳になるという年齢とそれまでJ2が主戦場だったという経歴から、懐疑的な見方もされていたのだ。
彼はそんな疑念を、加入後初の公式戦でいきなり吹き飛ばした。
一昨年の富士フイルムスーパーカップ。相手の川崎がエンジンのかかり切らない状態だったにせよ、この試合で早くも岩尾は中盤を仕切っていた。柏木陽介、阿部勇樹という中盤の要が去ったチームに新たな柱となるプレーメーカーが来たと、サポーターは大いに期待したのである。
ただ、その後の彼のキャリアは順風満帆ではなかった。
常にチームの中心として試合に出続けていたが、それゆえに思うように勝てない時期はスケープゴートにされやすかったと思う。私も試合を見ていて、悩みながら試行錯誤をしているように感じられる場面も多くあった。
しかし、恩師であるリカルド監督の退任後完全移籍に移行し、マチェイ監督、そして今年のヘグモ監督のもと、スタッフ・選手・戦術が入れ替わっていくなかで、彼は常にメンバーに選ばれ続けた。
岩尾が出た試合で勝てず批判を浴びたあと、いざ出場しないと全体の動きが停滞する。結局岩尾がいないと回らないじゃないか!ということが何度も繰り返された。
彼は爆発的なスピード、華麗な脚ワザ、強いフィジカル、そういったスペシャルな身体能力は持っていなかった。ただ、戦術理解やゲームの流れを読むことについては浦和のなかでも抜けていたと思う(素人が何を生意気な……というのは重々承知している)。パスの出口になる、そして次の攻撃の端緒になる。そして、守勢のときはゴール前まで戻って芽を摘み取る。そういった、ともすればすぐ忘れられそうなプレーを徹底してこなし続けてくれていた。
昨年の鳥栖戦での超ロングシュートであったり、ACL決勝ファーストレグでカード覚悟で相手の攻撃を止めた場面などは、常に冷静にピッチを俯瞰する岩尾の真骨頂が現れたシーンではなかっただろうか。(結果的にこのファウルは相手の主力の退場を誘発したし、セカンドレグの決勝点も岩尾のフリーキックからだった。彼は陰のMVPと言っても過言ではないと思う。)
守備強度や年齢面を否定的に語られることも多かったが、過去2シーズンの総走行距離は彼がチームトップだった。常に黙々と、彼は走り続けてくれていたのだ。
そんな彼のあだ名は「岩尾課長」だった。誠実なサラリーマン然とした風貌に比較的地味で損な役回りも相まって付けられたものだが、監督の意図を表現し、年下の選手たちをまとめる姿はまさに日本の理想的な中間管理職だった。ちなみに教員免許も持っているとのことで、「岩尾先生」派もいた。私も先生呼びしていたが、徐々に「課長」がしっくりくるようになった。堅物そうに見えて、広報用の写真ではハジけた表情を見せてくれたりするギャップも魅力である。
全くの後出しなのだが、私は今年のキーマンは岩尾だと思っていた。
新監督・新戦術、そしてそのキーマンとして獲得したサミュエル・グスタフソンは初めてのJリーグ挑戦。必ず岩尾の力に頼ることになるし、実際に序盤戦はそうなった。慣れないアンカーシステムにおいて、彼は積極的にグスタフソンとの距離を縮め、チームを循環させた。早いうちに下位に低迷せずに済んだのは岩尾によるところも大きかったと思っている。
それだけに、個人的に彼の決断は非常に悲しかった。背番号を「6」に変更したこともあり、今後も屋台骨でいてくれると思っていた。彼はクラブを通じたコメントで、「ここがここが僕の浦和レッズでの最大であり最終着地点だと思います。」と残している。そんなことはない、まだまだ先があったと私は思ってしまう。シャーレを摑む、その瞬間が到達点だろうと。
しかし、J2で苦戦する古巣徳島に帰るという決断は理解のできるものであるし、徳島サポーターの歓迎ぶりを見て、いい選手が浦和にいてくれたのだということを再認識した。移籍選手の登録がまだ先であるにも関わらずすぐに徳島に合流し、サポーターへの最後の挨拶の場が間に合わなかったことも、またどこか彼らしいと感じた。
MVPとして来て、神として去る アレクサンダー・ショルツ
この見出しはかのズラタン・イブラヒモビッチがパリ・サンジェルマン退団時に言ったことばをもじったもの。アレクサンダー・ショルツという選手は浦和サポーターにとって神のごとき存在だった。
デンマークリーグでセンターバックながらMVPを受賞し、CLではリヴァプールとアタランタからゴールを記録。日本ではほぼ無名だったものの、のちに同胞のキャスパー・ユンカーが「あのレベルの選手が来ることに驚いた」と語ったというほどの選手だった。
彼の凄みは最初の1、2試合を見ただけでもすぐにわかった。
これは凄い選手が入ってきたな、と感じた。ひと足先に加入しすぐに結果を残したストライカーのユンカーをしのぐほどのインパクトがあったのだ。
長身に長髪、全身に入るタトゥーとこわもての風貌から、はじめは荒々しい闘将タイプの選手だと思っていたが、むしろ実際のプレーはその真逆。
広い視野と優れた予測能力、間合いの取り方でクリーンにボールを奪い取るのがショルツのスタイルである。いま浦和に所属しているマリウス・ホイブラーテンや佐藤瑶大はどちらかというと対人の競り合いに強みを持つハードマーカーだが、ショルツはそもそも相手のフォワードがボールを収めきる前にチャンスを潰してしまえるうまさが際立つ選手。
相手の縦パスに素早く寄せてノーファウルで回収してしまう姿を見るたびに、我々サポーターは「残念そこはショルツ」とニンマリしていたものだ。現地観戦していても、「上手いなぁ」という感嘆の声を周囲から何度も聞いたし、実際私も何度も言った。個人的に、ディフェンダーで現地でそのプレーを見たい、と強く思わされたのは田中マルクス闘莉王以来だった(偶然にもショルツのチャントは闘莉王を引き継いだものだった)。
彼の貢献は守備面だけではなかった。なぜか取られない独特の間合いのドリブルでチャンスメイクができたし、PK職人でもあった。相手にブロックを敷かれて攻め手を見いだせないときに、しびれを切らしたように自ら持ち上がっていく姿を幾度も見せた。私はこれを「ショルツ怒りのドリブル」と勝手に呼んでいた。
そしてその魅力はプレー面だけにとどまらなかった。
試合を離れれば物静かで柔和な表情を見せ、読書を愛し、積極的に日本の文化に触れようとしていた。
納豆を好んで食べ、大宮の盆栽美術館を訪れ、オフには英訳で川端康成をはじめ日本文学を読み、自ら日本語の学習をしてインタビューにも織り交ぜる――。かつてこれほどまでに文化・生活面からも日本を受容した助っ人は浦和にいなかったように思う。
攻守両面でチームを支えるだけでなく、リーグ戦70試合目にして初めてカードを受けるほどのクリーンなプレー、そして理性的な受け答え。
浦和サポーターは彼を「神」と呼ぶようになった。
その神が、今シーズンは目に見えて苦しんでいた。
これまでに比べ明らかに前方に重心が傾いたスタイルを志向したため、手薄になった自陣を守りきるためにイエローカードが激増した。そのほとんどが、相手のチャンスを止めるためのタクティカルファウル。昨季に比べ失点がほぼ倍増するなか、心なしか審判への異議も増え、内心穏やかでないのは伝わってきていた。
そしてこの6月、彼は浦和を離れる決断をした。
最後の挨拶では、通訳を介さず全て日本語で気持ちを伝えてくれた。
「ずっといると思った。」という言葉がつらかった。もともと彼の経歴やインタビューを見ていて、どこか達観しているというか、ひとところにこだわり続けない少しドライともいえる面があるとは感じていた。それにしても、これほど早く神を失うことになるとは思っていなかった。
私にとって、永遠のアイドルであり浦和史上最高の外国人選手はロブソン・ポンテである。浦和の全盛期を作り出し、最も在籍期間が長かった助っ人でもある。ショルツはそれを超えるほどの選手になると期待していた。
きっと彼は、フットボーラーとしてだけでない、ひとりの人間としての決断としてカタール行きを決めたのだろう。移籍はタイミングによるし、感情だけでどうこうできるものではないと理解はしている。ただ、もっともっと長く赤いユニフォームを、浦和のエンブレムを身にまとったショルツを見ていたかった。
彼もまた、今後ACLで再会する可能性もあるし、セカンドキャリアで浦和と関わることもひょっとするとあるかもしれない。神が再び我々の前に影向することを心の隅で祈るばかりである。
それでもクラブは続いていく……
さて、長々と書いてきたが、この3選手の退団が大きなショックだった理由のひとつには、来年のクラブワールドカップ2025の存在がある。アジア王者として世界の強豪と勝負をする、それがひとつのサイクルの終わりになるだろうとおそらく多くのサポーターは考えていたはずだ。この挑戦が始まったときからすでに多くの選手が去ってしまってはいるが、現体制の集大成がその大会であると私も捉えていた。
それだけに、あと1年、どうにかならなかったのかという無念は大きい。これまでチームの支柱であったベテランが抜けることで、大きく刷新されたチームで大舞台を戦うことになる。そこに対する期待も当然あるが、無念さが残るのも正直なところだ。もっと言えば、一番残念なのはこの3人がシャーレを掲げるところを見るのが叶わなかったこと、つまりリーグ優勝ができなかったことだ。彼らの献身が、リーグ優勝というかたちで報われてほしかったという思いは非常に大きかった。
そんななか、クラブは堀之内SDの名前で声明を速やかに発表し、可能な範囲で今回の経緯を伝えてくれた。これによって、私を含め多くのサポーターの溜飲はある程度下がったと思う。一直線とはいかなくとも、クラブはしっかりと方向性を持って取り組んでいる。だとすれば、それが結実するまで、多少の痛手は負っても新しい浦和レッズを応援するのが我々にできることだろう。私もこの記事を限りに未練を断ってまた前向きに試合を楽しみたい。
ただ、それでもやっぱり、今後何度でも「彼らがいてくれたら……」と感じてしまうだろうなぁと思う。