妻のいい間違えから思う日本語の難しさ
妻と一緒に散歩していると「遠回し」という表現が出てきました。正しくは「遠回り」。
他では「わけみち」→「分かれ道」
「かくればいい」→「隠れればいい」
など
こうしたいい間違えもずっと一緒にいるからなのか、中国語脳でも同時に考えてるからなのか、ちっとやそっとのいい間違えなら瞬時に理解できるようになりました。
これって動詞の活用系での変化だったり、自動詞と他動詞の違いだったり、正直文法的な解釈は僕でも説明できません。で、あらためて思うのは日本語よりも中国語の方がシンプルで、もし自分が外国人で日本語をイチから学ぶと考えたら、相当過酷だなぁ・・と
基本中国語の漢字の読み方は1つ(稀に2つ)。
例えば「遠回り」なら、回り込むという意味の「绕」という字と、道路や道を表す「路、道」を合わせて「绕道」とか「绕路」などと言います。タクシーなんかでわざと回り道するような事を「绕车」と言ったりもします。つまり、意味を持った漢字の組み合わせでしかないので、活用系とかあんまないんじゃないかな?
何しろ、これだけ複雑な体系の日本語を習得している私たちは、発音なんかは置いといて、少なくとも文法的側面で言えば中国語や英語を学ぶのはそう難しくはないと思っています。