第3章「なりすましのすすめ」は、宮台ムズいと思っている人にオススメです。
法外のめまいがあるから、クソな社会に耐えられた
あらためていうと、この社会はクソだというのは、最近の社会が腐っているという意味じゃありません。もっと、ずっとずっと本質的な意味です。
僕たちの本体は、法の外にあります。法の外でのシンクロが、仲間かどうかを示してくれます。仲間を守るために、法を守り、破ります。仲間が目的で、法が手段です。
いまは、法に従うだけで仲間を忘れて生きられる(と思える)ようになりました。でも最近の話です。映画などでノスタルジーの舞台になる昭和までは、違いました。
法が禁止していても、花見のときは公園内で焚き火をして、お巡りさんも大目に見てくれました。タテマエ=法内と、ホンネ=法外のシンクロが、両方ありました。
法内と法外の両方があったから生きる甲斐があった。交換バランスと損得勘定から成る法内に、閉じこもることがないよう、定期的に無礼講の祭りをしてきました。
祭りには、バランスを崩した過剰な贈与があり、内から湧く力で贈与を支えました。そこから眺めれば、平時は〈なりすまし〉によってようやく生きられる世界です。
普通に社会というとき、法外ではなく、法内を指します。そんな社会は〈なりすまし〉でようやくしのげるクソ社会。でも、法外のめまいを知るからやっていけます。
〈なりすまし〉を忘れてマジガチになったら終了
もうそれがわかったあなたに、その先の話をします。気をつけなければいけないのは、〈なりすまし〉を忘れ、マジガチになること。ミイラ取りがミイラになること。
社会のクソぶりに引っ張られて自分もクズになっちゃオシマイです。愛に見返りを求めるストーカーみたいなクズ。法外にいきり立つネトウヨみたいなクズです。
クズにならないための原則を子どもに伝えなきゃいけません。まず、多くの人が法内を社会だと思っている。でも法外の営みがある。それも含めて〈社会〉です。
社会じゃなく〈社会〉。その感覚がないと、祭りにノレず、性愛もショボい、貧相な人になります。ビジネスでエラぶっても、仲間がいないさびしい人やキモい人。
社会じゃなく〈社会〉。その感覚がないまま大人になるのは、頓馬な親のせいです。
子どもをコントロールし、カオスを全面回避し、法内に留め置きたがる、ダメな親。
そんな親だらけなのはなぜか。親もそう育ったから。共同体が空洞化し、親が子を抱え込める度合がどんどん上がり、頓馬が連鎖するようになってきたのです。(『ウンコのおじさん』3章「なりすましのすすめ」より)