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「外遊び」……仕事や家事が忙しい等という問題は、親が真剣であればコントロールできるはずです。
外遊びはなぜ必要か? 『ち・お』No.109「親がお疲れ? 忙しい? インドア派? こどもと外遊び!! 無理なく楽しむコツ」より
大事なものを見極め、ほかを省けばいい。はっきり言って、英会話なんてどうでもいい。乳幼児英才教育に費やす時間があるなら、外遊びを優先させましょう。それが結論です。
小さい子どもにとっては、知識や技術の習得よりも、世界への適切な感受性をもつことが重要だという実感が、親になければどうにもなりません。
外遊びはなぜ重要か。
学問的観点からいえば「カオスを体験できるから」。それがなぜ大切なのか。例を挙げます。
深い森で一日子どもたちを遊ばせると、確実に成長します。森は明るいときと暗いときとでは、まったく様相がちがいます。日が暮れるにつれ、だんだん辺りが見えなくなり、鳥や獣の鳴き声が聞こえてきます。
子ども達は、畏怖の念を抱きつつも、得たいの知れないものの中に潜む豊かさや、それがあたえてくれるものの大きさを理解し、こわがらずにもう少し遊んでみようなどと試みます。
そうして帰宅した子どもたちは、翌日からオーラが一変します。
安心・安全・便利・快適ではないカオス的な世界を、畏怖を抱きながらも、自分の力で乗り越えられるということを知った自信です。
得たいのしれない世界を、肯定的なニュアンスをふくむなにものかとして、自分にとりこんでいける感受性。その獲得は小さな時分にしかできません。小学校高学年にもなれば、カオスはただこわいものになります。
今後の人生で、信義にもとる出来事が起きたとき、傍観するのか、抵抗するのか。抵抗すればカオスです。カオスのなかでも前に進まなくてはならないと思えるかどうか。そう思えるためには、世界への感受性こそが必要なのです。
こうしたことを、理屈としてはもちろん、みずからの経験として親が理解していなければなりません。さもないと、ケガをさせたくない、不審者がこわい、汚れるといった、もっともらしい動機が優先され、外遊びが優先順位の上位にすえられることはなくなります。
その意味では、1980年代以降に子ども時代を過ごした昨今の親に、あまり期待はできません。ダメな親や教員は、子どもを「うまく生きさせよう」として「まともに生きる」ことから遠ざけます。
「うまく生きる」とは、安心・安全・便利・快適なシステムに依存することです。それだと、システムが動かなくなったとき、生きられなくなります。(『ち・お』No.109「親がお疲れ? 忙しい? インドア派? こどもと外遊び!! 無理なく楽しむコツ」より)
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そして、宮台さんと『ち・お』編集協力人の児童精神科医・石川憲彦とのアフターコロナ世代の子育てをめぐる対談は、7月12日(日)今週日曜日の昼下がり、15時からオンライン異世代トークイベント第一弾で。
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