見出し画像

動画視聴チケット(2020年8月21日まで)発売中─「不安」の行方とその出口

2020年7月12日15時から約2時間に及んだトークイベント。児童精神科医・石川憲彦(1946年生)×社会学者・宮台真司(1959年生)の90分の視聴チケットを発売します。

対論の、さわりを少々。

この日の午前中、お子さんたちと虫採りに行って「クタクタ」という宮台さん。かたや、顔色もよく終始嬉しそうな石川さん。その石川さん、途中、寝たの? 寝ちゃったの? といつもの瞑想ポーズが始まりましたが、じつはこの宮台さんとの対話のあと、かなり粘っておられた「こころ学シリーズ3巻(発達障害とはなんだろう?」のエピローグを一気に書き終えるという快挙?がありました。宮台さん、そういう意味でもありがとうございました。

宮台さんも石川さんの「こころ学シリーズ1巻と2巻」を読んでくださり、対談終了後も、「石川さんと驚くほどシンクロしている」と。さらに、この対話の続きを思わせる「発達障害」の話とともに、ご自身を自己診断されていました。もし、お二人の対話の続きがあれば……どうなるでしょう。

参加された方の感想には、「こきおろすだけでなく未来につながるお話でよかった」から、「宮台先生の一貫した姿勢+石川先生の物凄い経験値+岡崎先生の現場のリアルなエピソード…教育・子育てだけでなく職場での「不安」との向き合い方について多くの示唆をいただきました」まで、そして、第二弾を期待する声が。

後半、宮台さんの「クソ社会」をお気に召した石川さんが「クソ社会」を連発するので、そこはシンクロしなくていいのに……と思いました。もうずいぶん前から、このお二人のお話を別々に伺うという恵まれていて、「あれ、どこかで聞いた」「だれかがまったく同じことを言っていた」と思うことしばしば。

宮台さんが言ってくださったように、なぜ、年齢はひとまわり違うこのお二人がこうまでシンクロしているのか。

今回のコロナ禍、対策禍のなかでも、お二人は一見まったく違う暮らし方をされていたようです。

石川さんはご年齢のこともあり、「完全装備」でお天気の日の外出にもビニール傘を持参し感染に警戒していたエピソードを語り、宮台さんはロックダウンの誰もいない深夜の渋谷の街の様子を語ってくれました。

石川さんは、そうした完全感染予防な暮らしは、セミリタイアした自分だからできたこと。医師であれば逃げている場合ではない。もはや不要不急の人に自分がなったとことを自覚し、せめて医療的に負担にならない、迷惑がかからないように感染予防を完璧にしようとした、と。

しかし、それは、これまで自分が問うてきた「障害者差別」の発想ではないか。自分の精神医療をふたたび考えることになっていると。

一方、宮台さんは「やっぱり社会はひたすらクズ」という言葉から口火をきられました。

「私たちが書き言葉に支配されるようになった3000年くらい前から、基本社会の中に人々が閉じ込められないと社会は回らなくなっている。人々が言葉の自動機械、法の奴隷、損得マシーンになってくれないと、統治ができない」。

「そのため、多くの人はそれに耐えられない。時々アジール、お祭りや性愛でパーソナリィシステムとしてバランスを取って来た。しかし、今日本に限って言うとは1980年代から、お祭りはしょぼいものになり、さらに1990年代からは、人々が感情的に劣化した」。

「つまり、クズになった。本当にマジガチで社会の中に閉じ込められて、社会の外に出る人間たちを名指しで非難したりしてきた。性愛からの退却や子どもに危険なことをさせなかったり」。

「文明社会はもともとクズなんですが、そのクズが増えたせいでクズでない人たちにとっては、とても生きにくくなってしまった……コロナ禍によっていろんな被害が生じたことは、痛ましく恐ろしいことなんだけど、文明論的に言えばpandemicというのは、ルーティーン。やっと社会がポンコツなんだと人々が理解する非常に良いチャンスが得られたなというふうに思います」。

進行役の小学校教員・岡崎勝さんが、こどもや親たちの様子、現場からの声を交えることで、社会文化批評に留まらないお話に深まっていきます。

じつは、対論が終わったあとのお二人の会話から、次回があるのでは? という期待が膨らみました。この秋刊行の石川さんのこころ学シリーズⅢ巻『「発達障害」とはなんだろう?』にお話が及び、宮台さんが自己診断に言及。

石川さんは宮台さんの自己診断を、ニコニコと笑って聞いておられました。発達障害もコロナ対策禍と重なる問題があるのでは……

まずは、その1をお楽しみください。




よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは子育てサークル、子どもの居場所などに『ち・お』『お・は』を届ける活動資金にさせていただきます。