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未来の自分宛の手紙が書けなかった話

▼転送


 東京都内のとある博物館。おそらく江戸東京博物館。いつだったか定かではない。

 未来の自分に宛てた手紙を書いて、指定した年数が経過したのちに開封する、というタイムカプセル形式のコーナーが設けられていた。

 親に言われるがまま、かつ未来の自分に多少興味が湧いた私は鉛筆を持ち、封筒に郵便番号と住所、名前を記入する。10年後の遠い未来に生きる自分宛とした。

 記載例を見ながら文章を思案して書き出した。
だが、鉛筆を握る手がいまいち鈍い。何故か泣きそうになり、それを誤魔化すための欠伸を連発する。

 隣で見ていた親は呆れて「書かないならもう帰るよ」とその場を去ろうとする。鉛筆を置いてついて行く。少し涙を浮かべた小柄な子どもの顔には安堵の表情が浮かんでいただろう。

▼ポスト

 ◯年後と書かれた引出しに手紙を入れる。そんな形式だった気もする。

 足は遅いままで運動は全般的に苦手。野球は中学まで。小学校低学年から続けた割にはね、というレベル。プロなんて言うまでもない。でも嫌いにはならなかった。
 当時の仲良し組とはそこまで話さない。中学に入って何かが変わった。勿論、自分もそうだ。
 大切な両親や祖父母は概ね健康なのが救いだろう。ただ、手紙には書かなかった方の祖父母は後年現実を叩きつけてくる。
 おまけに引っ越すことになる。転校はしなかったが。いつかもう一度住みたいと思って、事あるごとに様子を見にいく。家賃を調べてみたりする。今でも同じ部屋は空いていない。

▼お土産


 「ちょっと子どもっぽいと思うよ」
いつでも優しい祖母が堅い表情で言った。両国国技館の売店にあった紙相撲キットが欲しかったのだ。

 多少は理解していたでしょ。
 不安や懸念を跳ね返す力は弱いって。
 将来の夢もそんなになかったでしょ。
 だから泣きそうになったんじゃない?

当時の私に返事をするなら。
と、ここまで文章を打ち込んで手が止まる。
欠伸が出るのは眠いから。眼が赤いのはドライアイ。

手紙を書かなくてよかったのか。
書いたら何か違っていたのか。
"未来の自分"を想像したくないのは、
本質的に変わらなかったのだ。


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