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日本の給食指導

「給食残したら、
『好き嫌いはやめよな』って先生に言われた」

「お腹いっぱいで給食残したら
『なんで食べんかったん?』と言われるから気持ち悪くても食べなきゃいけないの」

自分の過不足の体感を認めてもらえない、この指導。

子どもの権利侵害では???

私が小学生だった頃からは、給食指導は変化しただろうと思っていたけど、子どもたちの話を聞いていると、あまり変わらないんだなぁ…何故かなぁ。

という訳で、日本の給食指導が現在の形に至るまでには、歴史的、文化的、社会的なさまざまな要因が影響しているのですが、以下にいくつか取り上げてみました。


歴史的背景


まず、第二次世界大戦後の食糧難が大きな転機となりました。戦後の日本は深刻な食糧不足に悩まされ、食べ物を無駄にしないという意識が国民に強く根付きました。この時期に学校給食が始まり、その主な目的は子どもたちの栄養補給でした。食べられるだけでありがたいと思える時代ですね。(戦後のパンの小麦粉や牛乳の話については色々考察がありますよね)


高度経済成長期、工業化の波で日本は急速に経済成長を遂げ、効率性と規律が重視される社会へと変わりました。給食も例外ではなく、効率的に栄養を摂取するための画一的な指導が一般的になりました。

文化的要因


日本社会は集団主義的な傾向が強く、この価値観が給食指導にも反映されています。

「みんな一緒に」「同じように」

という考え方が、個々のニーズよりも重視されることが多いのです。また、「もったいない」という教えも重要視していて、食べ物を無駄にしないという伝統的な価値観が、子どもたちに完食を求める指導に繋がっているのでしょう。


日本の学校教育は規律と秩序をとても重視します。この傾向が、給食指導においても画一的なルールの適用に繋がっていると思っています。

2005年に制定された食育基本法以降、学校での食育が重要視されるようになりましたが、その実践方法が時に過度に厳格になり、結果として子どもの人権を侵害する事に繋がりかねないのです。

社会的要因


現代の教育現場では、教師の業務が昔よりも過多になり、個別対応よりも一律の指導が選ばれることが多くなっています。また、保護者の期待…というか学校へ丸投げの姿勢も一因だと思っていて、子どもの食生活改善を学校に期待する声が、厳格な指導を後押しすることに繋がるのでしょう。

子どもの気持ちは尊重されず、置き去りにされてしまう…私たちが望む豊かな社会ってこんなでしたっけ??

まとめ


これらの要因が複雑に絡み合い、現在の日本の給食指導の形が形成されてきた様です。だけど現代では子どもの権利や個別性への配慮が求められて久しい。現状の教育現場が抱える課題を理解しつつも、より柔軟で子ども中心の指導方法への早急な移行を期待します。小さな権利侵害を許容することは、より大きな問題を見逃すことにつながる可能性があります。子どもの権利はまだまだ理解されていない気がしてなりません。

社会全体で子どもの(全ての人の)権利に対する意識を高め、子どもたちが安心して自己表現できる環境を作ることが急務です。これは単に子どもたちのためだけでなく、将来の社会全体の健全な発展のためにも不可欠な課題だと言えるでしょう。

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