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見えない壁を壊すために

世界にはたくさんの見えない壁がある。

今日、末っ子の療育でクリニックへ。
そこでドクターと、今いろんな課題を背負ってる子どもたちについて話しました。

睡眠障害だったり、ひきこもりだったり。それは、彼らが人の気を感じ過ぎたり、今の社会の在り方に息苦しさを感じていて、一種の防衛反応なんだよね。社会がもっと包括的なインフラや制度を整えていかないといけない、と話したら、ドクターがこんなことを教えてくれました。

「頑張って成功したり、頑張っても失敗したり、頑張らなくても成功したり、何も得られなかったり…色々ある。でも、頑張って失敗したことを損だと思う人は、何も得られない。失敗しても、それが糧になるんだよ。」

その通りだよね、マジョリティが中心の世界では。でも、「頑張ること」「頑張れること』そのものが、マジョリティの世界での基準なのよね。

例えば、私がいつも話すマジョリティの猿の話。この社会では木登りを覚えるのが「教育」。頑張ることって、あの木に登ってみるとか、あの枝に飛び移ってみること。でも、世界には猿だけじゃない、ゾウや魚、爬虫類だっている。いわんや魚にとって「頑張る」が木登りだとしたら、無理ゲーでしょ?でも今の社会は木登りしかないし、猿だけの社会だと思い込んでる人がほとんどで、魚が「海に帰りたい」って言えば無視されるかバカにされるのが現状。

それって、競争社会や偏差値教育が当たり前で、それに優劣を付け続けてきた結果だよね。今、不登校の子どもたちが増え続けてるって言って騒いでるけど、文科省も社会も「子どもたちのせい」とか「幼保連携の課題」って言うだけ…でも本当は違うよね?

社会全体がどんな子も、その子の才能を伸ばせるインフラやマインドを整えてないからなんだよ。もっと言うと、寝たきりの子だって生まれてきた使命がある…その子がこの世界にいる限り社会はその子に寄り添った支援をするべきなんだよ。それが出来ないと思ってるそのマインドこそが優生思想。

そんな話をドクターにしたら、「まあ理想かもしれないけど、僕らが生きてる間には実現しないかもね」とか「お母さんがそれまで元気でいないとね」って言われたんだよね。私は「そうですよ、私には仕事がたくさんあるからまだ死ねないんですよ」ってめんどくさいからそう答えたけど、本質はそこじゃない。

親が元気でなきゃ、子どもたちが生き延びる事の出来ない社会を、本当にこれからも築きたいのかな?「実現が難しい」って言ってもう既に何十年も先延ばしにして来てこれからもそのままにするの?そのままどころか、そんな社会いずれ崩壊するよね?

人間はみんな脆弱であり、同時に屈強な存在だよ。そんな凸凹がバランス取っていくのが持続可能な社会なんじゃないの?

私は自分が元気でいる限り、自分がしっくりくる方法で動いたり止まったりするけど、もし私が倒れたら、この国は子どもたちを見捨てるのか?見捨てないまでも不幸な生き方しか出来ないのか?お金がなければ選択肢がないのか?そうだとしたら変えるべきじゃない?

元気な人しか幸せに生きられない社会、そんな社会を根本から変えていかないといけないんじゃないの?

私たちは今、声を上げて、行動して、変わっていく過渡期にいる。社会は、木に登れない魚も、空を飛べないゾウも、本来みんながそれぞれの方法で生きられる場なんだよ。どんな状況の子どもたちも尊重され、支えられる環境を整えるのが大人の役目でしょう?

親が倒れたら、自分が病気になったら未来を閉ざされる、そんな社会であってはならない。子どもたちがみんなで支え合い、自分らしく生きていける社会を作っていくことが、私がここにいる理由だってことが、ドクターとの話し合いで改めてわかった🙏✨感謝🥲

人生に起こること、全て意味がある様でない様で曖昧。結局全てシナリオ通りに進んでるだけなんだけどね😚

#日本 #アンラーニング #不登校 #学び #シチズンシップ教育 #子どもの権利条約

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