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『考えて』
わが子が「国のための民」、つまり
1ピースとして扱われ、教育が支配構造を生んでいたとしたら?
これまでの学校制度を、当たり前のように受け入れてきた私たち。今の日本の状況を感じながら、『これからどうなっていくんだろう…』そんな時に観た2つの作品↓↓
映画『小学校〜それは小さな社会(英題は日本人の作り方)』は、熱意ある教師の奮闘や、子どもたちの努力と成長を描き、「学校は素晴らしい」というメッセージを押し出す。きちんと並べられた上履き、苦手なことに挑戦する姿。多くの人々が涙した。
そこにいる子どもたちは「先生に導かれる存在」として描かれ、均一化されていた。まるでお行儀良く下駄箱に並べられた靴のように。
切り取られたシーンでは、教育の問題は限定的かつ「現場の努力で解決できるもの」で、大人たちの理想とする学習環境が設定されていた。
一方、ドラマ『御上先生』は、そもそも教師の役割とは何か、教育のシステムそのものに問題はないのかを問いかける。子どもたちは自ら「考える」主体として描かれていて、「教育は社会課題と繋がっている。再構築されるべきではないか」と示唆される。
もちろんドラマ故、そこに描かれているのは、進学校のエリートたちで、『考える』事が可能な人たちだ。
ここでみなさんに“考えて“欲しい。
「学校は…」というメッセージの裏にあるもの。
今の学校は全ての子どもたちにとって「最適な学びの場」なのか。
先生に指導されることは、本当に「学び」なのか。
教育の最上位の目的は、子どもを「立派な社会の一員」にすることなのか。
子ども自身が自由に思考し、自分の道を切り拓いていくことなのか。
そもそも学校は必要なのか。
私たちは、子どもをどこに連れて行こうとしているのか?
『考えて』
常識という枠を外して考えてみて。
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