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先生は1年親は一生②

前回の続きです。

② 脳科学的に見た影響

✔ 「恐怖記憶」と脳の反応

・先生に注意された時、息子の脳の扁桃体が「危険」と認識して、心臓がドキッとしたり、胸がザワザワした。

・このとき、扁桃体が活性化すると、「やばい!次は間違えないようにしなきゃ」と防衛的になる。

もし何度もこういう経験をすると、海馬が「間違えること=怖いこと」と記憶してしまい、新しいことに挑戦する意欲が低下する。

✔ 「心理的安全性」と学習能力

・脳の前頭前野は、論理的思考や自己制御を司る部分で、安心しているときに活発に働く。

・でも「間違えたら怒られるかも」と思うと、ストレスホルモン(コルチゾール)が分泌され、前頭前野の働きが抑制されてしまう。

・結果、「考えて発言する」よりも「間違えないようにする」ことを優先するようになる。

つまり、叱る先生の態度って子どもの学習意欲や自己肯定感を下げるリスクしかないって事。

あるあるなんよねぇ、『先生に怒られるから〇〇しなきゃ、とか〇〇しない』って子どもたち。

③ 「小さな傷」の積み重ねが与える影響

先生のそんな何気ない言葉がけ、「大したことない」って思われがちやけど、子どもたちにとっては 「自分が出来る出来ないに関わらず、存在承認されているか」を決める大事な瞬間になる。

映画『小学校』のシンバルの女の子もそう。

あの場面を「成長には必要」と肯定する人たちって、「ストレスに耐えれば強くなる」と思いがちやけど実際には、

✅「理不尽な経験=成長するチャンス」ではなく、「理不尽な経験=自分の意見を言わないほうがいい」になりやすい。

✅ そういう小さな傷の積み重ねが、「学校(社会)は安全じゃない」「先生(大人)の前では本音を言わないほうがいい」という学習を引き起こす。

✅ これはトラウマレベルではなくても、「学校(社会)に適応できない」と感じる要因になるし、意識化、言語化できない子にとっては自己否定につながる。

✅「出来ること=承認」「出来ないこと=承認しない」っていう構造って、要するに「価値のある人間と、価値のない人間を分ける」ことにつながる。これって、優生思想の根っこにある考え方やんね。

で、これが進むと何が起こるかっていうと、

✅「生産性の無い人を切り捨てても仕方ない」という価値観が当たり前になる。これよく政治家の失言で聞こえてきますね。
✅「成長のためには厳しさが必要だ」「できない人間は自己責任だ」っていう論理に。
✅「学校で評価されない=社会でも評価されない」という自己否定につながる。

これ、めちゃくちゃ怖い話やけど、実際に今の社会で起こってることやんね。

映画『小学校』のあの場面を「成長のため」と肯定する人たちが無自覚に支えてるのは、こういう「選別の思想」やと思う。それを「必要な経験」として肯定すること自体が、教育の暴力やん。子どもたちは考える機会を与えられず、大人たちの作った枠の中で競争させられ選別される。子どもの主体性ってなんやろうね。


映画の女の子の場面を「成長には必要」とする考えは、「子どもが傷つくことを軽視する態度そのもの」 や。

息子が何とか生き残ったことや、あの女の子が乗り越えたことがそのまま、「だからあの厳しい指導は必要」って言ってるうちは不登校の問題なんて解決するはずがないし、子どもたちどんどん追い込んでいくよ。

次回はじゃあなんで先生たち、親たちはつい叱責してしまうの?について。

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