最近の記事

  • 固定された記事

『楽しむ』=自分軸ってことなんだ

Newjeansのプロデューサーのミンヒジンさんのインタビューを最近読んでいたんだけれど 『楽しむこと』の重要性をいつもNewjeasnに説いてるんだとか。なんでかっていうと、『お金や成功することも大事、だけど楽しまないと何事もつらい』『どんなことも楽しみながらやれば見ている人たちにもその楽しさが伝わる』って言ってて。 確かに、他のスターたちが、『成功しなければ』『勝たなければ』『うまくやらなきゃ』『認められなきゃ』『舐められたくない』って焦ってる時って、当然だけど本人も

    • 『自分をよく見せる』というよりかは『相手にどれだけメリットを残せるか』

      『自分を売り出す・アピールする』って 営業みたいで 媚び売ってるみたいで嫌だし、苦手だわーと思ってたんですよね。 でも当たり前なんですけど 自分からアピールしないと、 相手も『??良さがわかんねえ』ってなるじゃないですか。 え、じゃあ明から様に、能力ひけらかさないといけないの? わざとらしいって思われたら嫌だな、、、 それって損得考えてる嫌なやつみたいじゃないか! と思われるかもしれないんですが、 そうじゃなくて 相手の立場、相手にとってのメリットって、なんだろう?と

      • コンプレックスを体験したという事実がコンプレックスを薄めるかもしれん

        私は、志望大学の受験に落ちたのがきっかけで、 資格取得とか、テストで合格するとか、 とにかく『採点される』『評価される』ってこと自体がとにかく怖い時期があって。(今でも、好きではないけど、、笑) 『資格取得なんかしても意味ない』 『本当の実力はそんなものでは、はかれない』(←まあ、これは一理あると思うけど) とかいう中々パンチの強い考えを持ってたんだけど、 数年前、韓国語を勉強を始め、 『せっかく勉強したし、検定、取ってみようかな』っていう気分になって、テスト受けてみた

        • 上手くやれるか?好きか?でなく、『あなたが誠実になれること』は何か

          Xで みたいなことを聞いて、すごいしっくりきた。 私はここ何年も 天職探しジプシー、自分探しジプシー状態で 自己分析しすぎて気づいたのが、 『私は得意なことしかできない』 『自分の性質に、適正/合ってる、こと以外はやっちゃだめ、 やっても無駄、意味ない』 っていう思い込みが強まると 物事が長く続けられなくなるし、 損得に敏感になっちゃうんよ。 まあもちろんやる前から『私はこの分野で成功するは絶対上手くいくわ』とか事前にわかることってほぼないだろうけど、 『これな

        • 固定された記事

        『楽しむ』=自分軸ってことなんだ

        • 『自分をよく見せる』というよりかは『相手にどれだけメリットを残せるか』

        • コンプレックスを体験したという事実がコンプレックスを薄めるかもしれん

        • 上手くやれるか?好きか?でなく、『あなたが誠実になれること』は何か

          勝利を分かち合うことで勝利する人

          世間的に人気があったりとか、みんなから支持されてる人、何かで1位になった人とか。こんな感じで、わかりやすく成功した人が『勝者』だって思われる風潮が、今までの時代は強かったけど、 影の勝者タイプ というか、 名を捨てて実を取るタイプの活躍や貢献が、最近、ようやく日の目を浴びてきてる感じがするんですよね。(SNSのおかげもある。) でもこう言うと、『じゃあ影の勝者、名を捨て実を取るタイプは”勝つこと”には興味ないんだ!素晴らしい!』と思われがちだけど、意外とそうじゃなくて、

          勝利を分かち合うことで勝利する人

          大事なことならそもそも迷わない

          大事なことならそもそも迷わない

          『あわよくば』で生きるのを卒業する

          ハッとした。 なんで私はいつも被害者なんだ、 なんでこんなことを言われなきゃいけないんだ、 なんでこんな理不尽な目に遭わなきゃいけないんだ、 なんでいつも私ばかり損しているんだ、 と感じるのか。 自分の選択を妥協しているからで、 『あわよくば』で生きてるからだった この『あわよくば』というフレーズが目に入った時に 『得たいものがあるなら、 いちいち遠回りせず、 正面から堂々と手に入れろよ』 『妥協して中途半端に 周りに合わせてんじゃねえよ』と喝を入れられた気が

          『あわよくば』で生きるのを卒業する

          理不尽は自分の心に従うことで避けられる

          理不尽な経験ほど嫌なことってないですよね!?笑 だって自分が特になにもしてないのに、知らない人から怒りをぶつけられたりしたら、『は??????』って感じじゃないですか。笑 しかも、そういう理不尽なことって、自分が予想してないタイミングで唐突に雷のように落ちてくるので、言い返すにも言い返せない。びっくりしちゃって。 で、この理不尽なことをなるべく避ける方法はないのか!? ってずっと考えてて。ハッと気づいたことがあって。それは、 自分の心に従うことです はい。笑  ちょっ

          理不尽は自分の心に従うことで避けられる

          社会のために自分らしさを捨てるのではなく、むしろ自分らしさを発揮することで社会に居場所を作る

          周りに合わせて自分を押さえて押さえて、自分の居場所がどこにもないように感じてしまうことって、今までは結構、『それがフツーでしょ、それが社会で生きてくってもんでしょ』って感じで受け入れられてた、やって当然だと思われてたことで。 でも、 そんなどこにも所属できないような どこにも馴染めないような やり場のない自分自身の個性や感情を 思いっきりどこかで、自分だけの方法で表現することで 社会の中で同じように寂しい思いをしてる人たちに居場所を作ってあげることこそ、 社会に

          社会のために自分らしさを捨てるのではなく、むしろ自分らしさを発揮することで社会に居場所を作る

          迷いすぎる時、本当はどっちでもいいのかも

          迷いすぎてる時って、損得とかメリットデメリットで考えすぎてるってことに気づいた。 あまりにも長い時間、悩んで悩んで、 いつまで経っても、迷って決められないのだったら、 もはやそれは『どちらを選ぶか?』自体が重要なのではなく、 もっと別に重要な『盲点Z』みたいな(?) ところに大ヒント、があるんじゃないかと思う。 どっちか良い方を選ぶ! ということだけが重要なんじゃなくて、 もっと根本的なところに問題があるのかもしれない。 どっちに転んでも、学びがあるかもしれないし、

          迷いすぎる時、本当はどっちでもいいのかも

          極限まで超えるとその特徴は、真反対にいく。究極のネガティブ思考は不自然なポジティブさ(現実逃避)になるし、究極のリアリストは、非現実的な理想主義になってしまうことがある。

          極限まで超えるとその特徴は、真反対にいく。究極のネガティブ思考は不自然なポジティブさ(現実逃避)になるし、究極のリアリストは、非現実的な理想主義になってしまうことがある。

          自分を愛していない時に出る言葉は人を傷つける

          自分を愛していない時に出る言葉は人を傷つける

          将来が不安だけど、今を楽しみたいという葛藤を解決する方法。

          ここ数年で、思うことなんですが、 将来のことを考えすぎて今を楽しめないのもいやだし、 今だけを享楽的に生きすぎて後でしっぺ返しきてもいやだな。 という。要するに、人生のバランスが取りたい。 例えば、老後の資金、将来の不安、具体的には、子供ができたら養育費どうしようとかマイホームとか、、。心配は、確かにある。 でも、若い頃だけにしかできないことや、今を楽しむことを犠牲にすればいいのか? それはそれで『若い時にもっとこうしていれば』と後悔するのでは?老後のためだけに生き

          将来が不安だけど、今を楽しみたいという葛藤を解決する方法。