備忘録「俺たちの箱根駅伝」を読んで
各自の自主練メニューを選手へ手渡した後の甲斐真人の言葉
・ランナーは、クリエイターじゃなきゃダメだ。現状を疑え。どうすればもっと良くなるか、あるいは、もっと良くなる方法が他にあるんじゃないかーそういうことを常に考えてほしい
・考える力は、打開する力になるからだ。いくら戦略を立てても、予定調和は常に成立しない。大なり小なり、必ず予測しなかった何らかのトラブルが起きると思った方がいい。そのとき、君らは自らの力でプランを組み立てる必要がある。狂った計画の中で、どこで抑えるのか、どこで仕掛けるのか、その見極めが勝敗を決める。そのとき必要なのが想像力であり、思考力だ。思考力のないランナーは決して成功しない。ただ速いだけじゃダメなんだ
⇒卓球について、対人競技のため予定調和が常に成立しないのは同様。例えデータを取っていたとしても、相手も同様に嫌がることをしてくる。卓球選手も、クリエイターである必要がある。試合中もだが、練習内容も同様。どれだけ想像力を膨らませ、必要な練習をするか。一見関係のないことでも、どれだけ卓球に結び付けることができるのか。
辛島文三が10年前に箱根駅伝に携わった際の演出に対する文句
・こんなものはお涙頂戴の三文芝居だ。
・北村さんには、ただ走っているだけの退屈な絵に見えたんだろうがな、だからって、家族の不幸とその日の走りを無理やり結び付けて、天国のお父さんが応援しているってそりゃねえだろ。選手はそういう悲しみを乗り越えて必死で生きてきたんだ。なのに、なんで赤の他人が知ったような口をきいてそれを蒸し返す?俺は感心しねえな
丸太が辛島を説得する台詞
・事実を事実のままに。事実以上でもなく以下でもなく伝える。
⇒事実だけで十分面白い。過剰な脚色は不要。メディアは事実を大きく映す嫌いがある、ただその事実だけで感動できるよう、選手として、人間として生きていきたい。
松木浩太
・いわば二流の自分たちが人並みの練習しかしなかったら、二流で終わる。
⇒格上に勝つには、質・量のどちらも求める必要がある。常にそのことを考えているくらいの精神状態
・高梨の履いているシューズがアトランティスの最新型だと気づいたのもその時だった。市販前のプロトタイプじゃないか、と浩太は疑った。
名門チームの有名選手である高梨には、おそらく一流シューズメーカーのフィッターがついているのだろう。
⇒卓球でも同様に、契約選手のみが入手できる用具がある。水谷隼が全日本の何度目かの優勝の際は、未発売のディグニクス80を両面に貼り、バタフライのホームページも未発売となっていた。隠れてやるならまだしも、表立ってそのようなことをするのかと、平等性の観点から苦言を呈する意見も散見されたし、私自身も同様だった(例えそのような用具を使っても勝てないのは重々承知)。
平川監督と甲斐監督の掛け声の対照的な違い
「高梨。お前、最後にこんな走りで卒業していくつもりか。ラスト三キロだ!関東大に追いつくぞ。お前ならいけるはずだ!」
「最後の三キロだ、浩太。気持ちよく走ろう。四年間、よく頑張った。この景色を目に焼き付けておけ。ここから、お前の新しい人生が始まるんだ」
選手への優しさ、勝負を超越した世界観に導くような言葉たちが、松木に力を与えたかに見える
⇒自分ならどのような声掛けを選手にできるだろうか。高島さんも、「ユニフォーム似合っているな」という声掛けをしていた。広い視野・視座で、大局的な見地で事象を俯瞰する必要あり。
選手が一番高いモチベーションを維持できるような環境づくりや声掛けなど、それぞれ個人に合わせたものを与える。
監督(マネージャー、管理職、上司)からの視点、選手(担当、部下)からの視点それぞれに通ずる普遍的なものが散りばめられていた。
池井戸潤×箱根駅伝、やはり最高だった!