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眉毛の動きだけで七種類

観客の心を高揚させなくてはならない。つかの間の歓喜だけでだけでなく、万人に共通する「宇宙の心理」を引き出す。

そのような言葉をサンスクリット語ではラサと呼ぶ。

それは8つに分類される。愛、ユーモア、哀愁、怒り、英雄的感情、恐怖、嫌悪、驚き、そして最後に平和が入り、現在は9つになっている。

劇の狙いは観客をラサにすること。その他の33の感情は個人的な感覚である。ラサは美味しいものを食べることに似ていると言う。インド南部はスパイスが豊富で香りもきつい、また何種類もの味が含まれている。これを総合的に味わうものだ。確かな目をもつラシカ(観客)もまたそのような体験をするのだと言う。

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※南インドのカレーはシャバシャバタイプが多く、北はその逆でドロドロタイプが多いとされる。どうでもいいかな。

この、いろんな味の詰まった劇をカレーに例えたのが、ナーティヤ・シャーストラに書かれていたようで、これを現実にするには、役者も観客も共に努力しなくてはならない。演者が神とともに一心になる時、ラシカも演技の微妙なところまで観察して、声や身振りで反応を示さなくてはならない、まさに最高のガヤを演じるところまで、それが役者に伝わり、踊りが一層強まっていく。立場は違えど両者は助け合う関係にあり、共にラサを体験する共通認識があるのだ。

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※この芸術のラサに詳しく記載されている。

身体をコントロールすることが役者の努めではあるが、西洋文化では考えられない技術が継承されている。


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例えば、ナーティヤ・シャーストラに記されているのは、眉毛の動きだけでも7つある。

瞼の動きは9つある。

ラサを引き起こすために、これらを正しく行う必要があるのだ。

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※1240年インド東部コナーラクにある、スーリヤ寺院は、有名なヒンドゥー教寺院であり、エロティックな彫り物が多くある。太陽神スルヤを奉り。神社の壁は日の出を迎える、数切れないほどのダンサーとミュージシャンの姿で覆い尽くされている。

「バラタ・ナーティヤム」と呼ばれるダンスは10世紀から続く南インドの寺院で続いていたもので、聖像に向かって踊られ続けていた。インド南部タミル・ナードゥ州では寺院がもっとも栄えた頃、デーヴァダーシと言う聖職女がいた。修道女のような神と結婚した女たちを示すものであった。これらが口伝し今に至る。ここで寺院の踊りがパトロンや貴族たちにも求められるようになり、高徳を積もうとした金持ち信者により、400名も踊り手を抱えた寺院もあったようだ。

後世になると、彼女たちは王宮舞踏も演じるようになる。ダンスだけでなく、音楽や文学についても高い教育を受けていたので、王子、廷臣、学者などの交際相手として引っ張りだことなる。「聖なる娼婦」がインドにもいたかどうかは学者に任すところとして、いずれにせよ、寺院の踊り手と報酬をもらい観客の為に演じる踊り手との区別は難しい。デーヴァダーシたちの評判も時代によって様々なのである。

追伸。この連載を始めてからお友達になった「奇祭ハンターちよ子さん」からコメントいただきまして、インド・プリカリのタイガーダンスはシヴァの奥さんドゥルガーの乗り物説もあるとのこと。いやー勉強になります。

ありがとうございます。

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