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踊りっぱなしギネス記録はナイジェリアの女の子で137時間

西アフリカのヨルバのダンスは、空中への上昇を目指すのではなく、生命の源である大地を踏みしめている。

この点から、バレエとは逆の発想ではあるが、霊的な世界と無縁だとは言えない。

ヨーロッパにおける聖と俗の分裂は、ヨルバ族には無く、生きているものが住む現世と、神、先祖、霊が生きる、もう一つの世界があると考えられている。この宇宙観は二つの世界が密接に関わっており、見えない世界の大元に神聖な創造者がいると考えられ、生命の源と考えられている。

そんな見えない世界と交流する踊る肉体が、二つの世界でそれぞれと出会うすべを持つのである。

ヨルバ族もダンスを通じて、霊を呼び体に憑依させる儀式を行ない。みんなで参加して、太鼓を叩き、踊り、神々への崇拝の歌オリキを唱える。神殿には、400以上の神々が祭られていて、オリシャは聖人化された祖先であった。

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これは二つのグループに分けられて、「つめたいもの」は川の神オスンのように基本気まぐれは起こさない神と「あついもの」は危険な光の束を振り回す気まぐれな神サンゴなどと分けられている。どんな神を信じる時も(単数も複数も)人々は唱え、お供えをし、占い師に意見を委ね、どんな踊りをすべきかを問う。大掛かりな季節祭では一週間以上続く地域もあり現世への利益を求める。人々を守ってほしい、病気を治してくれ、子供が健やかに育つように祈る。これらを定期的に行わないと、「死ぬ」。「人なければ神なし」と考えられている。

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稲妻の神サンゴも踊り好きとされるが、これは17世紀から18世紀にかけて、ナイジェリア南西部を支配したオヨ王国に起源がある。現在もサンゴは土地全体で崇拝され、アメリカへ渡った西アフリカの人々の子孫も似た儀式を行なっている。

オヨの王は、頑固者で浅はかな知識しか持たないのに魔術にてを出してしまい、稲妻の留め金を外してしまった。子供達は死に、妻も一人を残して皆亡くなってしまった。彼は後悔のあまり首を吊って死んでしまった。しかし家来たちは死後の彼こそを雷神として、サンゴの力でなだめようとした。現在でも、子宝の神、浮気者を罰する神として崇められ、「犬は主人の心を知らぬまま、主人の家に住む。羊も主人の心を知らぬまま主人に養われる。我々はサンゴを知らぬままサンゴを崇めている。サンゴと共にいることは容易いことではない。」との諺が残る。

サンゴの司祭たちは「踊り棒」と呼ばれるものを持ち、この棒には踊る民衆が描かれている。ファッションもさながら、外套を脱ぐタイミングまで全てに意味がある。サンゴのダンスを、地獄、つむじ風、めまい、混乱、足を交差する踊り、痙攣する肩の動きと特徴を表したカンザス大学の教授もいる。

対して、オスンは病気を治し、子宝に恵まれるとし、豊穣の女神とされる。オスン川との関係もあるようで、しなやかなで流れるような動きで表されることが多いとある。

オスンフェスティバルは現在でも開催されているし、様々な変化を見せていると思うが、薬草、薬効の入ったボウルを使ったり、女司祭たちの肩は聖なる存在に向けてあらわにされ、短いステップを低い姿勢で行ないながらも、手首から手を回転させ動きは滑らかかつ優雅に、円運動を見せると体を短く震わし、ゆっくりな動きから突然停止したりする。これも意味があるのだと思う。

この対照的なダンスを踊り営む国民、ナイジェリアの人々は、小さい頃から踊りや音楽、儀式とふれあい生活している。それも要因なのか、ナイジェリア人ダンサーのOdumewu Debbieさんが「1人で長く踊るダンスマラソン」に挑戦し、現在ギネス世界記録に登録されている。先日インド人ダンサーの123時間15分を上回る137時間を達成したらしい。(すご!!まる5日間よ、体力とバリエーションに脱帽)ブラジルのカーニバルダンサーとの耐久ダンスバトルを、ライブ配信で見たいと思うのは、私だけではないであろう。

最後にナイジェリアのストリートチルドレン・ダンスチーム

「ドリームキャッチャーズ」の動画を乗せておく。

我々日本人ダンサーにとって大切なものを気づかせてくれる、そんなダンスではないでしょうか?

本日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


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