音楽業界の厄と呪詛・第三話 「時代に取り残された侍たち」

前回の記事で

音楽業界の需要としては
質の良いクリエイターを求められている

のに対し

提供側のミュージシャンとミュージシャンを育成するほぼすべての機関は

音楽演奏の技術と知識の向上に
時間とお金と労力と
人生のすべてを注ぎ込んでしまっている

のが
そもそも悲劇。


音楽業界の需要側は
クライアントの需要ありきから
「現代最先端のマーケティング」
を求めてるのに対し

提供側は
なんかえらい影響力を持った人らしい人(多くはそういうスカウトがいると思ってる)がいるはずで
感動を与えるプレイが目に止まれば
「上様(レコード会社)に拾ってもらえるはず」
と思っている

剣術士官型の侍ビジネスを夢見ているのです。
(ちなみに僕もそうでした)
提供側は明治時代のビジネス手法と書きましたが

訂正します。
江戸時代ですね。

音楽業界をはじめとする芸能界と言われる業界での
提供者(プレイヤー)達は
江戸時代の士官型ビジネスを行なっているのです。

どんだけズレてるか?

て笑っちゃいますよね?
でも、

この笑っちゃうような事実が
現実起きていて

音づくりに真摯なミュージシャンほど
江戸時代です。

他の業界ではあり得ないこの構造がなぜ、継続しているのか?

というところがミソなのですが、

なぜか、というと
一部江戸時代のように引き立てられ特別待遇をされることが構造的にあったから

なんです。(後の記事で詳しくお話します)
戦後からバブル期の1990年代くらいの
音楽業界全盛期までが
そのモデルの花形でした。


その後、日本が不況に陥り
音楽業界自体の資金が枯渇して
ネット配信なども不況して
それまで放っておいても売れまくっていたレコードやCDがそのままでは売れなくなって

音楽業界の需要側には
マーケティングな工夫をしないと
生存できない状態が続きます。

その過程で出てきたのが
ミュージシャンの新しいビジネススタイル

クリエイター
と呼ばれる種族です。
主にDTMなどのデジタル音楽や
使い勝手の良いデジタルツールを使い

自身の演奏技術や専門知識をそれほど必要とせず
クライアントの需要に応えていくことで
売上が回復する人達が出始めます。

エンタメという需要を満たすためには
必ずしも高度な演奏力や知識を必要としない

ということが市場で証明されてしまったため
過去、日本中の人の強く記憶に残っていて

名前を出せば売れちゃう

人だけが士官型ビジネスに残り
あとは人件費削減と職人気質の使いにくさのため
どんどん演奏の仕事自体減っていきました。

これはまじめに音づくりに励んでいたサムライ達にはたまりません。

「なんで、演奏能力も技術もないヤツに仕事を奪われなきゃいけないんだ」

「世の中から本当に良い音の文化が消えていっている」

「俺たちがやらなきゃならない」

そういう憤りと一種の使命感もあり
サムライ達はもっともっと自己の研鑽に努めます。

でも、需要はサムライの研鑽を求めてるのではないので
仕事は売れません。

サムライはますます人生を音に捧げます。
長く音楽だけに集中してきたため
今さら他の仕事も人並みにやれる自信もありません。

好きなことをやればやるほど苦しくなっていく。
こうして呪いのような状況にハマってしまったのです。

では、ミュージシャンって
よく言うように
普通の人が目指した時点で
「人生詰む職業」
なのか?

結論、そうではありません。
そうではないですが
長年こり固まってしまった

厄と呪いから逃れる必要があるため
順序立てて、厄と呪いの話をしています。

このような厄が発生してしまった原因はなんだと思いますか?
それらを祓うためには?

大きい理由と小さい理由といくつか複合して厄ができています。

次回以降、
ひとつずつ丁寧にお話していこうと思います。

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