広東の風、イポー
イポー①
要領を得ない街?
「なぜイポーなんだ?何があるって言うんだい?」クアラルンプールの宿で知り合ったカナダ人のベンは尋ねる。次の目的地はイポーだと告げた後のことだ。
「それは…ペナン島までの特急に乗るより、うまくやれば、イポーを挟んだほうが安くなるから…」私はモゴモゴと答えた。
事実だった。マレー半島の、中部とも北部ともつかないマレーシア第3の都市イポーに何が目的があるわけでもなかったのだ。
「それと、ご飯が美味しいと聞いて」と付け加える。イポーは美食の街で知られる。だが、名物料理は調べても、点心、鶏肉、もやし、水がうまい、と要領を得ない。
「白コーヒーも有名だよな」とベン。
私は初耳だったので、尋ねると、「白いんだ」とか、「でもコピ(マレーシアのミルクコーヒー)ではない」「だけどそんなに違わない」とやっぱり要領を得ない。
そんな要領を得ない街イポー行きの切符を買った。
ルールは知らないので経験論なのだが、マレーシアの都市間鉄道(インターシティ)は、出発日前日になると安い列車の切符を売り出す。
だから、早めに買うと損で、直前に買うと得になる。
とはいえ、これはすぐに売り切れるので当日に買おうとすると売り切れていることがある。
案の定、思いつきで駅まで来た私に安い切符は残されていなかった。
イポーに期待もしていなかったので、翌日のペナン島(正確には対岸バターワース)行きの切符を買ってしまうことにした。
焦りにまつわるエトセトラ
だが、ペナン行きは人気で、安いチケットは夜22時40分着のものしかない。
夜遅くに着くのは問題ないが、ペナン島まで行く船が23時までらしく、列車が遅延したら、安く島に行ける手段を失うのは痛い。
少し高い額を払って朝の列車に乗るか、安い夜便に乗るか…
逡巡しているうちに、どうせ夜便なら、本日中にペナン島に行ってしまうのもいいんじゃないかという気になって来た。
クアラルンプールでうだうだしていた罪悪感もあり、私は当日日付のバターワース行きチケットを発券し、プラットフォームへ急いだ。
問題はイポーの宿を昨日テキトーにおさえてしまったことだ。
当日キャンセルはできないらしい。
車窓
イポーまでの道のりは、椰子の木のプランテーションと大小様々な池に彩られる。
19世紀後半、マレー半島での錫の採掘が始まり、その拠点となったのが先ほどまでいたクアラルンプールと、これから行くイポーである。
どうやら池もまた、採掘によって生まれたらしい。
ガタンゴトンと列車に揺られ、車窓を眺めているうちに、だんだんと、急がなくても良い気がしてきた。
せっかく終わりの決まっていない旅なのだ、ゆっくりと北上しよう。
それに、損得という意味でも、この馬鹿げた強行軍を諦めた方が良さそうだった。
調べるとマレーシア国鉄の切符は時刻変更まではできないものの、出発時間までにキャンセルすればいくらか返金されるらしい。
返金込みの損失と、宿代では、宿代の方が倍近く高い。
人間、焦って良いことは一つもないのである。
イポー駅
イポーは終着駅である。
さすがは第3の都市だけあって、ほとんどがイポーまで乗っていく客だった。
コロニアル様式の真っ白な駅舎は小さく、降りる客でいっぱいになる。
駅で切符を変更した。
試しに日付を変えられないか聞いてみたが、できないらしく、一度キャンセルしてから翌日の切符を買い直した。
だがあいにく、明日も遅い時間の列車しかなかった。
とにかく、思い煩いは解消である。
勢いよく駅を出ると、眩しい光に目を瞑る。
駅舎、市庁舎は真っ白で、南国の太陽の光を受けて眩しく光っている。
白い街
イポーの街は東西を流れるキンタ川によって、新市街と旧市街に分かれている。
ヨーロッパなどの感覚とは異なり、駅から近い西側地区が旧市街で、遠い方が新市街である。
しばらく勘違いしていた。
勘違いには理由がある。
双方建物に目立った違いはなく、古い華人のショップハウスが並び、高層ビルの類も新市街にはなかったのである。
ただただ、旧市街の方が観光化されていて、新市街はナイトマーケットの界隈以外裏寂れているだけである。
もちろん、理解してから街を歩くと、旧市街には華人たちの会館(同郷のコミュニティの中心)などの古い建築がたくさんあると気づくのだが。
旧市街、特に駅前には英国統治時代の建物が多い。
ドームが印象的な駅舎、旧郵便局を利用した市庁舎、英国統治の象徴だった時計塔…
どの建物も真っ白である。
夜になると、赤や緑のライトがあたり、怪しく光る。
こうした建築が並ぶのは、スルタン・イスカンダル大通りで、この大通りは川を越えて新市街まで到達するメインストリートになっている。
イポーにはもう一つメインストリートがある。
スルタン・イドリス・シャー大通りである。
イポーの街は南のイスカンダルと北のイドリス間に栄える。
リトルインディア
私の宿は駅前を南北に走る大通りを南に下った少し静かな界隈にあった。
だが、道路一本隔てた先にはリトルインディアがある。
宿から街への行き帰りにそぞろ歩けば、そこにはディワリの時期の賑やかさがあった。
ディワリは、ヒンドゥー教最大の祭りで、買い物をすると御利益があるらしく、おかげで市場が賑わうようだ。
お祭り飾りを売る店や、色とりどりの衣服を売る店から、果てはタミル系の有名俳優ヴィジャイのグッズを並べる店まで、なんでもござれである。
旧市街の街並み
リトルインディアを抜ければ旧市街だ。
旧市街は入り組んだ道が多く、細い道には観光客向けの店や、ストリートアートがぎっしりとしている。
イポーに限らず、マレーシアはストリートアートに力を入れているようで、壁には散歩をしながらアート鑑賞ができる。
どうやら、かつては保守的な価値観から、こうしたアートは良しとされなかったらしいが、今ではアーティストの尽力の賜物か、変わってきたようだ。
広東の風
イポーの街を歩いていて気づくのは、この街は歌人が多いということと、そして、その華人のほとんどが(おそらく)広東語を話すということだ。
レストランやカフェでたむろする老人、道を歩く人々から聞こえてくるのは、かつて香港やマカオで聞いた言葉の響きだった。
ここは錫鉱山の街だから、英国統治下に流入した広東系の華人が多いのかもしれない…
そんなふうに考えてみると、合点がいくことがあった。
それは、イポーの名物料理として必ず登場する「点心」であった。
香港じゃあるまいしなどと思っていたが、ここの文化的ルーツがまさに広東だったのだ。
港式鶏飯
残念ながら、気軽に食べられる点心に巡り会えず(食堂でも見かけたのだが、そのときは腹がいっぱいだった)、点心は食べていない。
だが、香港式のチキンライスを売っていたので、朝ごはんとして食べることにした。
チキンもイポー名物である。
海南式は鳥が白いが、香港式は茶色い。
もちろんそういう品種なのではなく、塩で味付けする海南に対し、香港では醤油ベースのタレをつけて焼いている。
チャーシューという言葉も広東語由来だが、チャーシューの鶏バージョンをイメージしてほしい。
さわやかな若い兄ちゃん二人が鶏肉を包丁でカットし、ご飯を皿に載せ、鶏肉を載せ、スープをつけて、サーブする。
手際が良い。
香港ではご飯に甘い醤油の類をサッとかけてあるイメージだったが、ここのは鶏の出汁で炊いてあるから茶色い。
全体的に茶色い。
そして、茶色いものはうまい。
別れ際、「んごーい(ありがとう)。ほうせっ(美味しかったです)」と言うと、
「多謝(ありがとうございます)」と二人は照れ笑いをした。
白いコーヒー
イポーはカフェの街でもある。
クアラルンプールのベンも言っていたように、「白珈琲」が有名だ。
第三の都市はどこも白と黒を喫茶店で出したがるらしい。
なぜ白か。
はじめてイポーの白珈琲を売りにしたという長江白珈琲という店の冊子に面白い話が載っていた。
かつて、イポーの華人労働者の間でコーヒーがよく飲まれていた。
とある店のコーヒーは、焙煎が甘かったのか、コーヒーが「白く」、店の小僧はよく文句を言われていた。
逆ギレした小僧は、「このコーヒーは白珈琲なんだし!」と開き直った。
これが始まりだそうだ。
マレーシアのコーヒーはコンデンスミルクを入れるので大抵は白いのだが、おそらくそういう意味ではないのだろう。
長江白珈琲の白珈琲は、すごく泡立っていた。
まるでカプチーノである。
味は軽やかに甘い。泡も軽やかだ。
とはいえ、あまり甘すぎない。
色は確かに、通常のコピより明るい気もしないでもないのだが…気のせいだと一蹴されたらどうしようもない。
長江白珈琲はあくまで白珈琲を広めた店であり、実を言うと、元祖ではない。
元祖は南香珈琲という喫茶店らしい。
あいにく混みすぎていて入らなかったが、次があれば白の秘密を探しに行きたいものだ。
イポーという処方箋
イポーは静かな街である。
ジョホールバル、マラッカ、クアラルンプールと回って来たが、イポーはそのどこよりも穏やかだと言っていい。
そぞろ歩きの途中で喫茶店に入り、時々宿に帰り、広東風の味を食べる。
そんなシンプルな時間を味わいたくなる街だ。
これからの旅路を思い、焦りを感じていた私にはちょうどいい。