シンガポールの生活感
シンガポールのミナミ③
シンガポールの、特にミナミを歩いていて気づくのは、生活感のなさである。
ショップハウスの建築は確かに美しい。
商店に溢れる骨董や、なんだかわからない商品も見ていて楽しい。
多様な宗教施設も興味深い。
だが、ここの人たちはどこで何を食べているのか。それが見えない。
洒落たレストランはあっても、東南アジアや中華圏では至る所にあった食堂の類が見当たらないのである。
興味関心だけの問題ではなく、私のような金のない旅人にとっては、死活問題だ。
その答えが、ホーカーセンターにあったのだ。
節約志向のシンガポール人は、あらゆるホーカーセンターに向かうのだ。
中華のホーカーセンター、マレーのホーカーセンター、インドのホーカーセンター…探せばなんでもある。
そして、だからこそ、ホーカーセンターにはこの街の息遣いがある。
ホーカーセンターのモーニング
ホーカーセンターの朝は早い。
私のような寝坊助が起きる頃には、もうすでにやっている。
泊まっていたのが河岸だったので、朝は華人街よりも広東街のホーカーセンターに通っていた。
客が食べるものを見てみると、実に多種多様だ。
朝から海鮮の福建麺を啜る人、正体不明の炒め物とご飯を食べる人、コーヒーだけで済ませる人…。
私は決まってコーヒーとトーストを頼んでいた。
なぜそんな、日本のモーニングでも食べられるようなものを食べるのか。
それが違うのだ。
コーヒーとは言っても、現地ではコピと言う。
どろっとしたコーヒーにコンデンスミルクを入れて作る。
ヴェトナムのコーヒーと似ているが、違いもある。
ヴェトナムのコーヒーがバターで焙煎しているのに対して、こちらは普通の焙煎だ。
だから、ヴェトナムコーヒーがチョコレートのようなこってりとした風味がする一方、コピはもう少しあっさりしている。
濃い紅茶を用いた「テー」という飲み物もある。
紅茶にコンデンスミルクを入れた様は、コピの見た目は変わらないが、香りはしっかり紅茶である。
ちなみに、コピやテーにOがつくと、コンデンスミルクではなく砂糖のみを入れたもの、Cがつくとコンデンスミルクではなく牛乳と砂糖を入れたものを意味するようだ。
なんだか記号化されていて面白い。
そしてトーストも一味違う。
ジャムやピーナッツバターではなく、カヤと呼ばれる甘いペーストを塗る。
カヤとは、ココナッツミルクをベースにしたものらしく、なんとも言えない素朴な甘さがまた美味い。
伝統的には、これに温泉卵をつける。
一度、マレーシアで、Half boiled eggという表記を見て、半熟ゆで卵と思ってオーダーしたら、温泉卵がでてきた。
卵をわり、ボウルに入れ、かき混ぜて、トーストを浸しながら食べようだ。
とはいえ、節約旅の私には贅沢品で、その一度しか頼まなかったのだが。
コーヒーあるいは紅茶、トースト、そして卵。
まるで喫茶店のモーニングだが、それぞれ違って面白い。
ホーカーセンターの昼飯
昼時はホーカーセンターにとってはかきいれ時だ。
どのホーカーセンターも活気が最高潮に達する。
私の昼はいつも華人街こと牛車水大厦のホーカーセンターだった。
ホーカーセンター数あれど、ここにしかない良さがある。
それは、アジア的熱気である。
シンガポールの華人たちが一堂に会し、豪快に食うもん食っては帰っていく。
特に東南アジアを旅した経験があまりなければ、ちょっと躊躇するような空間かもしれない。
だが、そのリズミカルでパワフルな食堂の空気にこそ、街の真実がある。
ホーカーセンターとは屋台の集合体である。
だから、雑然とした一階を抜けて、ホーカーセンターのある二階に上がって、まず目に入ってくるのは、多種多様な屋台の看板だ。
肉骨茶、海南鶏飯、叻沙(ラクサ)といったシンガポールの代表選手から、炒め物定食を出すような店(常に長蛇の列だ)、海鮮料理、大陸の東北料理、日韓の外国料理など…さまざな店がひしめき合っている。
特に変な勧誘がいるわけでもなく、とにかく足で回って、自分の探すべき食い物を探す。
そのストイックさは寂しくもあり、気楽でもある。
食事にありついたら、今度はテーブル探し。
屋台に取り囲まれるような形で、テーブルが所狭しと並んでいて、客はどこに座ってもいい。
だが昼時は、休日のフードコートよろしく、人も大勢いる。
現地人はもちろん、勇気と気骨のある観光客でごった返す。
席を探すだけでなかなか骨が折れる。
おじいさんのチキンライス
シンガポールといえばチキンライスである。
ケチャップ味のアレではない。
蒸し鶏と、その蒸し鶏を蒸した汁で炊き上げたご飯を一緒にいただく、通称「海南鶏飯」と呼ばれる食べ物だ。
真偽は不明だが、名前の由来となった海南島には、「海南鶏」はあれど、「海南鶏飯」はないという。
世界中どこにでも、ナポリタンみたいな食べ物はあるわけだ。
牛車水大厦のホーカーセンターにも、もちろん、海南鶏飯の店はいくつかある。
だが、初めてホーカーセンターに行った日は月曜だったからか、夕食どきだったからか、どの店も閉まっていた。
改めて昼時に行くと、古くからやっていそうな屋台が見えた。
ポップな「海南鶏飯」という煽り文句もなければ、写真すら置いていない。
ただ店名と、「鶏飯 3.5ドル/4.3ドル」とあるのみだ。
いずれにしても500円にも満たない。
行列もそれなりにできている。
この店に入らずしてどこにはいるというのだ。
私の番が来ると、店先に立つノースリーブ短パン姿の痩せたおじいさんが手招きをする。
「チキンライスを一つ」と英語で伝えると、
「4.5ドルね」と返す。
安いやつでよかったが、まあそういうなら仕方ない。
「そこにソースとか箸とかあるからテキトーにとりな」とおじいさん。
私は置かれていたトレイにスプーンとフォーク、ソースを並べた。
その間にもおじいさんはテキパキと、皿に蒸し汁のご飯と鶏肉を並べ、厚切りのきゅうりを散らした。
正直にいうと、鶏肉の見た目はぺろっとしていて、「まあこんなものかな」という感じがあった。
だが、席に着いて一口食べると、自分の初期判断が間違いだと気付かされた。
噛むたびに肉の旨みが出てくる。
あのぺろっとした肉のどこに隠れていたのか、というほどに。
結果的に、こちらがぺろっと食べてしまった。
伝統の叻沙
次の日の昼もホーカーセンターだった。
昼の華人街は雨模様。
カキ・リムと呼ばれるショップハウスの軒先の歩廊を伝って、牛車水大厦に辿り着く。
雨の日でも相変わらずの混みようである。
ホーカーセンターを徘徊していると、1949年創業と書かれた屋台が気になった。
シンガポールがマレーシアと共に、マラヤ連邦として英国から独立したのが1963年だから、独立前からあるということになる。
メニューを見ると「叻沙」の文字。
今日本でもインスタントヌードルで商品化されているラクサのことだ。
ここで決まりだ。
値段は、6ドルと7ドルがある。
7、800円くらいだろうか
私は安い「小」を選んだ。
ラクサはココナッツミルク味である。
麺は米でできた少し太めのもの。
上には油揚げの揚げ部分だけ取り出したような具と、魚の練り物、そして塩辛のようなものがのっている。
まずはスープを一口。
ココナッツミルクの香りと程よい辛さがちょうど良い。
麺を啜ると、くにゃっとし中にも絶妙な歯応えがある。
次は塩辛のようなものをいただく。
海外の食べ物で、少し生っぽい塩辛の類はあまりみなかったので、珍しい。
この塩辛は、貝とイカからできている。
貝は口にすると、ぷちっと弾けて口いっぱいに海の香りが広がる。
ちょうど海葡萄のような感覚だ。
賛否は分かれるかもしれないが、私は好きだ。
単調になりがちなココナッツミルク味の料理にアクセントが加わって良い。
隣で食べていたフランス人たちも、
「これはそんなに辛くない」
「これはうまい」
と口々に言っていた。
伝統が生き残るにはやはり理由がある。
ホーカーセンターに夜が来る
ホーカーセンターの夜の様相は場所により異なる。
例えば、観光客が多い、古い市場をそのまま使っているラオパサは夜こそ本番であり、建物の周囲には大きなサテ(焼き鳥)を売る市場が開かれていた。
私の宿のそばにある市場もバーなどが近いからか、夜中も営業していた。
一方、生活の場である牛車水大厦は夜の閉店時間が早い。
7時を過ぎればもう片付けが始まる。
そういう意味では使い勝手が良くないのだが、その中でも細々と営業を続ける店もある。
白肉骨茶
シンガポール到着後、私は散歩中に牛車水大厦を発見した。
フライトの関係で昼を食べていなかったのでかなり空腹だった。
目に入ってきたのは肉骨茶(バクテー)の文字。
肉骨茶というのは、豚のスペアリブを漢方スパイスの汁で煮込んだ料理で、マレーシアやシンガポールの伝統的な華人労働者の朝食として知られる。
私は、以前、日本のマレーシア料理店でこの料理を食べたのだが、口いっぱいに広がる漢方の香りに魅了され、自分でも作ってみたりしてきた。
だが、シンガポールの肉骨茶は一味違うと聞いていた。
マレーシア式のものは茶色いのだが、シンガポールでは白濁して白い。
人呼んで、マレーシアは「黒バク」、シンガポールは「白バク」という。
私は白の方はまだ試したことがない。
店先を見ていると老人がうまそうに肉骨茶と野菜の煮物を食っている。
肉骨茶だけで良いか、と思っていたが、一気に野菜も追加したくなった。
「肉骨茶と野菜の煮物をください」と、店のおじさんに尋ねる。腕っぷしの強そうな感じで、どことなくテレビドラマ「HERO」の田中要次を思わせる。
「あるよ」と言ったわけではないが、「ご飯もいるか?」と言う。
「お願いします」と答える。
値段は8ドル。
少し散財してしまったとは思うが日本で食うと1.5倍はする。
かつては豚のスペアリブと漢方は安価だったらしいが、今では違うようだ。
店の中を覗くと大きな鍋に肉骨茶が入っていて、そこから小さな土鍋に汁と肉を移して、火にかける。
米と野菜の煮物が置かれたトレイの真ん中に、熱々の土鍋にを置く。
見るからにうまそうだ。
席に着いて一口食べると、白胡椒の香りが口いっぱいに広がる。
なるほど、白バクテーの白は白胡椒の白なのだ。
漢方がすごく聞いているわけではないが、発汗作用があって滋味深い。
肉もニンニクもごろっとワイルドに入ってるのもまた良い。
食べ終わったら、トレイを回収先に持っていく。
クリーンシティ、シンガポールのルールである。
トレイを置いて、出口までの道すがら、店主にあったので、
「おいしかったです」と告げると、店主は親指を立てた。
中華系のホーカーセンターの話をしたが、もちろんインド系もあるし、マレー系もある。
でもその話は、キタの回でしよう。
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