離婚と失恋の辛さの種類の違い
離婚する夫婦で、離婚のその日まで全く予兆がない夫婦なんてまずいないでしょう。
よっぽど直接的理由が明白な場合(浮気とか)を除けば、離婚する夫婦のほとんどは「緩やかに離婚に至る」のではないでしょうか?
ウチの場合もそうでした。
まず、離婚する半年以上前から、休日の過ごし方が別々になりました。
日常会話も極端に減りました。
僕は離婚なんかしたくありませんでしたし、出来れば妻との関係を修復したかったので、食事時などはあれこれと話しかけたのですが、妻はほぼ無反応か生返事しか返しませんでした。
僕は妻との関係が冷え込んでから離婚に至るまでの数ヶ月間、休日はただただ一人で街を歩き回っていました。
一人で映画を観て、写真を撮って、一人で食事をして、一人でスーパー銭湯に行き、深夜に近い時間に帰宅しました。
妻には一応「今日○○って映画観てきたよ」と報告するのですが、「そう・・」とだけしか返ってこないことがほとんどでした。
その頃の僕の感情を思い出すと、ただただ悲しい・・ただただ悲しいばかりでした。
この結婚生活は恐らくもう長くはないだろう。
それは薄々分かってるくせに、修復のために正面から話し合うことから僕は逃げ続けました。
このままごまかしごまかし夫婦生活を続けていけば、いつか自然に妻も元のように明るく接してくれるのではないか?
そんなあり得ない希望にすがりました。
そして僕はひたすか悲しみを抱えたまま街を歩き続けました。
◇
離婚後もほぼ似たようなものでした。
帰る家が違うだけで、ただただ僕は悲しみを抱えて街をほっつき歩きました。
「人生にこんな苦しみがあるのか?」と思いながら暮らしてました。
何をしても楽しいと思えない。何をしてても心から笑えない。
それは今も変わりませんが、大きく違うところは、離婚後はただただ泣いてばかりいたことです。
離婚後、僕の心を覆っていたのはある種の諦観で、そこには激しい後悔や自己否定というものはあまり存在していませんでした。
離婚の話し合いの時、「もう一度やり直したい」と告げる僕に妻は「出会った時からやり直さないと無理よ」と告げました。
僕らは出会った時、既に、物凄く細かくたくさんついたボタンを一つ掛け違えていたのでしょう。
夫婦なんてしょせん他人ですから、そういったボタンの掛け違いは必ず存在するでしょうし、通常夫婦は長い時間をかけて、お互いの努力によってそのボタンを一つ一つかけなおしていくのでしょうけど、僕はそこから逃げてしまっていました。
そして15年の歳月の流れで、それによる綻びは全く修復不可能になってしまったのだと思います。
ですので、僕は(妻のことは大好きでしたけど)離婚後「復縁の可能性」というものを気持ちの上でもほぼ放棄していました。
まさに僕らは「出会った頃からやり直さなければ」いけなかったのです。
その諦観が僕に泣かせてばかりいました。
ただ泣けるというのは一種の救いでもありました。
よく言えば「自分に寄り添っていた」わけですし、悪く言えば「自分に同情していた」わけですから。
少し傷が癒えかけた時、僕は妻とよく出かけていた温泉に、当時行っていたのと同じ行程を辿って行ってみたりもしました。
途中思い出すのは、その時の会話や妻の様子で、僕はそんなことを追体験してまたボロボロと泣きました。
ただ考えてみれば、こういう行為は、ある意味「感傷を楽しんでいる」部分も少なからずあったでしょう。
そうやって泣くことで、僕は自分に同情し、そこには一種の自浄作用もあったのです。
映画を観て泣くように、自分の人生を俯瞰で見て感情移入して泣いてるわけです。
その頃の僕にそんな指摘をしたらムキになって否定すると思いますが、今思い返してみるとそういう節は多分にありました。
◇
対して、今の僕は泣くことはまずありません。
何故なら自分に寄り添ったり同情すべき点がほとんどないからです。
あるのは悔恨と自己否定・・・
離婚は、そこに至るまでの過程が緩やか且つ恒常的過ぎて、明確な「修復のポイント」というものが存在しませんが、今回の失恋はそれがあり過ぎる(むしろそこしかない)ため、「あの時ああしていれば」という意味のない悔恨が常に僕を襲い、それが僕を苦しめるのです。
離婚の時と違って、今は泣けない代わりに常に何かが僕に刺さっていて、それがギリギリと僕の胸を痛めます。
「辛くて泣ける」のは離婚時で、今は「辛くて痛い」のです。
そこには結構明確な違いがあります。
どちらが辛いのかは今の僕でも判断がつきませんが、離婚時は少なくともカウンセリングや心療内科に駆け込むという発想はありませんでした。
そこだけ見ると「今の方が辛い」と判断できるのかもしれませんが、もしかしましたら、離婚で壊れかけた心にさらに今回追い打ちをかけられ、その「蓄積の結果」なのかもしれませんね。
◇
失恋後そろそろ三か月になりますが、その過程でのアップダウンの中でも今現在はかなりダウンな方だと思われます。
先々週くらいは結構調子よく、食事もちゃんと作れていただけに「なんでまた?」という戸惑いが大きいです。
これは緩やかな上昇カーブを描く過程でのアップダウンかもしれまんが、恐らく前の記事に書いた「MさんとLINEをやめた」ことによる心理的ダメージが自分の予想を超えて大きく襲い掛かってるのかもしれません。
ただしあのままLINEを続けていれば、細かなアップダウンを繰り返しながらも結局は同心円状に同じ場所から動けなくなっていたのは確実ですので、今のこと辛さが「違う場所へ行くための一時的な痛み」だと思うしかありません。
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