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アレクサンダー教育と草むしりと保育園の仕事

コロナのためにあれよあれよというまにプレスクール(保育園と幼稚園の中間みたいな子どもたちの学びのば)での仕事(非常勤)がなくなりました。そして、夢中になって通っていた近所のダンス教室も閉鎖されました。

やることがだいぶ減った・・・コロナの自粛の間は、グレグのオンラインアレクサンダーコースに通ったことが主なイベントだったかもしれない。アレクサンダーの原理を生かして、ピアノの練習も超マイペースに毎日するという方法を見つけられたことがうれしかったな。おかげで初級のピアノ練習曲と、それよりもう少し難しい坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」を毎日15分から30分くらい練習することが趣味になりました。

わたしは何度でも音を間違えるし、楽譜を読むのが苦手というのは子どもの頃から変わらないので、楽譜がしんどくなったら、YouTubeで戦場のメリークリスマスの弾き方を見ながら自分の出している音があっているのかを時々確認するようにしています。ピアノを弾いていると、自分の出す音に癒されるのがわかる。ピアノセラピーということを言うひとがいるのはよくわかるような気がします。

アレクサンダー以外にやっていたことは、庭の雑草を思いっきりむしり、伸びすぎた南国のダイナミックな木の枝もずいぶん切ったということ。ガーデニングがはかどったことがよかった。草をむしっていると、知らないところに石垣が出てきたり、階段が出てきたのでびっくり。(写真をご覧ください)この家に引っ越してから10年経ちますが、今までそこは草がぼうぼうに生えた崖やと思い込んでいたからです。

さすが3次元のことは、めんどくさくなる自分らしいわという出来事でした。

しばらくアレクサンダーを解剖学の立場から理解するというのをやっていて、最近・・・どうも頭・脊椎という体に意識を向け、肉体の中に自分を位置付けるのがめんどくさくなってきました。解剖学に自分を照らし合わせすぎたからだろうか。

学者でもあるグレグのところに集まる人はインテリが多い。知的に優れた人がお互いの動作についてどこの骨が動きにくいとか押し下げられているかを延々と分析していく。生徒さんのポストを読んでいても、こうした分析がスマートに書かれていることが多い。頭と脊椎の関係性をクリアに把握することが基本のアレクサンダートレーニングの中では身体の動きの分析が必須なのはわかる。しかし私にとって分析は、楽譜を読むのと似ていて、おもしろいと思っている間はいいけど、頑張って理解しようとすると、急に自分の魂がそっぽを向いてしまうらしい。ものすごいはっきりしてる〜

解剖学的なアレクサンダーはピアノの練習と同じくらい気長にやるしかないやろうと思った。

話は変わりますが、先週の月曜日、朝10時ごろに急に自宅から車で8分のところの幼稚園から電話がかかってきて、先生の一人が今日は急に来れなくなったからあと1時間後に幼稚園に来てくださいと言われました。

う〜ん、いきなり言われてちょっと自分のスペースを邪魔されたような気分になったけど、今日やるつもりの用事の中に何も緊急なものはないと思ったので、「はい、行けますよ」と返事しました。

それで幼稚園に行ってしばらくこどもたちのおやつの時間の準備を手伝っていると園長先生からいきなり
「木曜日から正規の職員さんになってくれませんか」と言われました。

正規の職員というのに今までなったことがなかったわたしにはとっても新鮮だったので、「はい、よろしくお願いします」とその場で返事しました。仕事時間も2週間に5日間というちょうどいいペース。園長先生は、私を思いきっりハグし、「うわーい!おめでとうございます」と言ってくれました。

これでまたブランコに乗っている子供たちと一緒にお話を作ったり、かくれんぼしたり、子どもたちの口論の仲介とか、まだ確立していない英語でふわふわと話す子供たちの話の聞き取りと理解につとめる生活が始まりました。

アレクサンダーはとても良いものだけど、それとはちょっと違う混沌とした夢の世界こそが私の性質には合っているのだろうな〜。

石の階段

草をむしっていたら出てきた石の階段




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