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飛んでコンスタンティノープル

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書籍「コンスタンティノープルの陥落」(塩野七海)

ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル。そう言われても、「ん、どこのことだ?」と思う人もいるだろう。私もその一人だった。

ビザンティン帝国とは東ローマ帝国のことである。そして、コンスタンティノープルとは今のイスタンブールだ。たしかに遠い昔、高校でそう習ったような気がする。私の世代ならイスタンブールと聞けば、庄野真代が唄った「飛んでイスタンブール」を思い出す人も多いに違いない(庄野真代は不思議な色気のある歌手だった)。

庄野真代はこの際どうでも良いが、西暦395年に東西に分かれたローマ帝国のうち、西ローマ帝国が476年に滅亡したのに対し、東のそれは1000年以上も命脈を保ち続けた。

本書によれば、栄華を誇った6世紀頃は地中海世界を制覇するほどの領土を持っていたが、11世紀には半減。15世紀を迎える頃には首都コンスタンティノープルとその周辺等に僅かな領土を残すだけとなっており、衰退が著しかったようである。

したがって、1453年のコンスタンティノープルの陥落、ひいては東ローマ帝国、すなわちビザンティン帝国の滅亡は、時代の趨勢から不可避だった。いかに地中海世界随一の堅固な三重城壁を誇ろうと──。そう思うのは21世紀に極東で生きる者の後知恵だろうか。

それにしても、悲惨な結末が分かっている物語を読み進めるのは、なかなか辛いものがあった。どう彼らが奮闘しようと、いずれ無に帰すことがわかっているのだ。無に帰すどころか、戦争に負ければそこに待っているのは掠奪と凌辱である。

彼らはオスマン帝国(本作では単に「トルコ」と表記)によって、その憂き目に遭わされたわけだが、本質的にはキリスト教的価値観とイスラム教のそれとの戦いだったはずだ。したがって当然、ビザンティン帝国の皇帝は戦いが始まる前に周辺のキリスト教国に応援を頼んだ。しかし、それらの国々は自国のことで手一杯で、みすみす同じ価値観のビザンティン帝国を見殺しにしたのだった。

その辺りを読んでいて、現在のウクライナの状況を想わずにはいられなかった。彼の地も民主主義的価値観と強権国家のそれとの戦いと言われているが現在、前者の結束は大きく揺らいでいる。自国第一を唱える指導者が出てきたりしているからだ。ビザンティン帝国と同様、ウクライナも切り捨てられるのだろうか。そこに後知恵はない。

そう言えば、庄野真代は「飛んで……」の中で

〽そして性懲りもなく/直ぐに痛みもぼやけて

と唄っていた。

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