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恥の多い人生も浄化されますか?

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書籍「自分史の書き方」(立花隆)


ここではまだ詳細を避けるが、当館ユーザーの半生記を編集・出版しようという企画が進行中である。この「自分史の書き方」という本はその一助に資するために読んだ。

これによると、多くの人は60前後になると「自分史」を書きたくなるものらしい。還暦という人生の節目を迎えて、「自分の人生とはいったい何だったのか」と自問したくなるのだそうだ。その問いに対する答えが自分史の執筆だと言う。当館で編集・出版しようとしている半生記を書くご当人も同じようなことを言っていた。

私も60歳を超えて久しいが、私はと言えば、未だそういう気にならない。おそらく今後もならないだろうと思う。

というのは、ひとつには自分史を書くとなれば当然、私のような見栄坊は自分の人生を肯定したいがために、こんな夢を実現しました、あんな目標も達成しましたという成功物語にしがちだ。しかしそれは、往々にして誇張と虚飾に満ちた年寄りの自慢話になる可能性がある。

それともうひとつは、必然的にこれまでの人生を詳細に振り返ることになるわけだが、それをしたくないのである。なぜなら私の人生は太宰治ではないが、「恥の多い生涯」だからだ。

自分の人生をあらためて顧みると、恥ずかしい思い出の連続である。なぜ、あのときあのような態度や行動をとったのか、どうしてあそこであんなことを言ってしまったのか──思い出すにつけ赤面するばかりか、いたたまれず死にたい気持ちになる。

それらをひた隠しにして今の私がある。普段は忘却の彼方に追いやっているから何とか生きていられるのだ。なのに、どうして無理やり思い出して、それを白日の下に晒さなければならないのか──。かといって、それらに触れないまま自分史を書いても、それはやはり嘘で塗り固めた自慢話と何ら変わらないではないか。

そこまで考えて、ふと思う。では、それを隠して生きている今の私は嘘で固めた自分ではないか、私の人生は嘘で成り立っているということにならないのか──。

その辺りについて著者は言う。嫌だと思っていたことや辛いと思っていたことが、自分史を書くうちに「次第に浄化され、すべて懐かしい思い出になっていく」と。それが本当なら私も書いてみたい。

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