コンプレックスを乗り越えて【お客様サポート紹介-福島あゆみ-(前編)】
今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジのお客様サポートチームに所属する福島あゆみ。就活への最初の一歩が踏み出せない求職者の方に寄り添った電話対応が好評です。前編では、そんな福島の幼少期や波瀾万丈な社会人経験を語ってもらいました。
極度の人見知りだった幼少期
元々極度の人見知りでした。自分から友達に声をかけることもできなければ、祖父母に対しても1週間会わないと話せなくなるほどです。自分から何かを発することがとても苦手で、親の後ろに常に隠れているタイプでした。
夢中になった新体操
そんな臆病な性格の子供時代でしたが、たまたま興味を持って始めた子供用の体操教室で新体操に出会ったことで、人前でパフォーマンスができるほどに変わります。「先生に誘われたからやってみた」という気軽な気持ちで始めたものの、徐々に夢中になっていきました。そして練習を重ねるうちに「やるからには勝ちたいし、1番になりたい」と強く思うようになります。新体操の技が上手くなればなる程、上のレベルのクラスに上がることができたので、一生懸命に練習しました。
という先生の言葉がとても印象に残っています。次第に、私もこの競技に対して誇りやプライドを持つようになり、「やると決めたからには上を目指す」という負けず嫌いな性格になっていきました。
中学時に新体操の全国3位に
本気で新体操をやりたかったので、新体操の強豪チームがある中高一貫校に進学しました。高校生チームは全国大会の常連校だったので、中学生チームでも深夜23時まで練習するようなハードな生活が始まりました。練習は非常に大変でしたが、遅くまで練習することに何とも思わないほど、新体操の魅力に取り憑かれていました。
そして、練習した分だけ結果がついてくるという「苦労が報われる快感」を知って、ますます新体操にのめり込みます。遂には全国中学校体育連盟主催の新体操の全国大会で3位にまで上り詰めました。
高校時にインターハイ3位へ
中学からエスカレーター式に進学した高校でも、新体操の練習が中心の生活を送りました。周りも「全国に行くのは当然」という共通認識で、ミスすら許されない環境でした。そんな練習漬けの日々が功をなして、2年時には全国のインターハイで団体部門3位を獲得します。
燃え尽きた気持ち
華々しい功績を手にすることができたものの、この時点で新体操に対して燃え尽きたような気持ちも抱いていました。今まで全てを捧げていた新体操をやりきったことで、引退後は空っぽな気持ちで過ごし、進路を考えられないほどでした。それに加えて両親が離婚してしまったため、進学は考えられず、「高校卒業後は就職をしよう」と漠然と考え始めました。
しかし高校は普通科に通っていたため、商業科に比べて求人がまったく回って来ず、就職先を探す初期段階で苦戦しました。しかし、最終的には周囲の助けもあってなんとか就職先を確保します。
社会人初日に電話を取らされる
1社目は食品業界の事務職として入社し、10年間勤めました。比較的大きな会社でしたが、新人研修や電話対応のレクチャーなどは無く、入社1日目から「ほら、早く電話取って!」と言われる、昔ながらの「上司先輩の背中から学ばなければいけない古風な社風」でした。
求人票と現実のギャップに違和感を抱きながら
それに加え、事前に見ていた求人票の内容と現実にはギャップがありました。例えば、求人票には「週休2日制」と書いてあるのに、実際は休みの半分は出勤しなければならず、実質「週休1日制」でした。また、「毎年昇給がある」と書いてあったのに、10年間在籍してお給料はほとんど変わりませんでした。
今振り返れば「早々に転職すべきだった」と思えますが、当時初めて飛び込んだ会社だったので、「これはおかしい」と違和感を抱いても「これが普通だろうから我慢するしかない」と思い込んでいました。
情報不足への後悔
高校生の時にもっと進路について考えられていて、たくさん情報収集ができていれば、もっと違う会社に入っていたかもしれないですし、より早い段階で違和感が確信に変わったかもしれません。エージェントのような就職のプロの存在を高校生の頃から知っていれば、早い段階で相談して、10年も悩むことなく転職できていたかもしれません。
でも就活の情報が少なすぎる高校生の内に就活をしたがゆえに、結果として、世間一般の会社事情について知らないまま10年過ごすことになりました。それゆえに私は高卒で就職した経歴にコンプレックスを抱いていました。
見極める力を身に付けていただきたい
ちなみに今こうして、お客様サポートのスタッフとして求職者の方のお話を伺う中で、「1社目の職場が異常だったとしても、閉鎖的な環境下に置かれている内はなかなか異常性に気付けない」とおっしゃる方のお気持ちは、自分が経験したからこそよくわかります。
だからこそ「一番若い今のうちに、ジェイックを通して就活の情報収集をして、見極める力を身に付けてほしい!」という想いで、求職者の方に関わっています。
転職後、初めての電話研修
無知ゆえに「この環境を変えることはできない」と10年間思い込んでいましたが、ご縁があって2社目の不動産業界の事務職に転職しました。
私はここで初めて電話対応の研修を受けました。話し方や声のトーン、わからなかった時の対処法など、今まで知らなかった電話対応のイロハを教わりました。
社会人10年目にして初めて電話対応のマナーを知って感動したと同時に、「今までお客様に誤った対応をしてしまっていたんだ…」と気付いて、反省したのを覚えています。だから求職者の方にも、「後で後悔するから、社会人の基礎の研修はなるべく早いうちに受けた方がいい!」と熱を込めて伝えています。
2度目の退職と新たなコンプレックス
この時期に良いご縁があって夫と出会い、結婚・出産をしました。産後も私はこれまで通り正社員として働き続ける決意を固めていましたが、子供ができた事によって社内での見られ方は一変しました。
なんと第2子を妊娠後、育児休暇を会社に申請したところ、こんなことを言われたのです。
子供がいては満足に働けない?
確かに子供はよく体調を崩すため、急な欠勤や早退が起こりがちです。子供の症状によっては、何日も仕事を休んで看病をしなければならないこともあります。それが2人になると、仕事に穴を空ける頻度が増えるであろうことは、容易に想定できます。
でも今まで一生懸命に働いてきた私の働きぶりを無視して、「子供が増えるならもう無理でしょう」と決めつけられたことが、何よりもショックでした。
しかし、会社から退職を勧められてしまった以上、図々しく残り続けることはできません。子供を抱えながら仕事をする自分に、またコンプレックスを感じつつ、泣く泣く次の職場を探しました。
パートとして入社したはずが…
2社目のことがあったので、3社目は正社員ではなく、パートとして社労士事務所に入社しました。パートであれば正社員に比べて求められる仕事は少ないですし、シフトで決められた時間だけ働けばいいので、育児に時間を費やしながら働けると思ったからです。
しかし実際に働いてみると、入社当初は大勢いた従業員が、職場のいじめが原因でどんどん辞めていきました。加えて、私と同じようなママ社員が多く、子供の急な体調不良で毎日誰かしらが休んでいたので、現場は常に人手不足でした。だからパートメンバーも正社員並みの仕事量を求められ、それゆえに毎日残業がありました。
子供と過ごす時間が減っていく
子供との時間を確保するためにパート雇用にしてもらったのに、やっている仕事は正社員と変わらない。しかも17時半退勤のはずが、毎日19時退勤を強いられていたので、保育園のお迎えは家族に頼むしかなく、子供と一緒に過ごせる時間はほとんどありません。
「さすがにこのままではいけない…」と危機感を覚えながらも、仕事と育児の両立のため、心も体もいっぱいいっぱいでした…。
【続編に続く】
高卒の経歴や、子供を抱えながら働くことにコンプレックスを抱きながら、パートとして働き始めるも、待っていたのはハードワーク。心も体もいっぱいいっぱいで限界を迎えかけていた頃、長女にある異変が生じました。
後編では、自分自身の気持ちを整理した結果たどり着いた、ジェイックでの就職支援に懸ける想いに迫ります。
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