生徒に誠実であるため、教員志望から民間就職へ【就職アドバイザー紹介-片桐嘉人-(前編)】
今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジ®でアドバイザーとして活躍する片桐嘉人。「選択肢を広げる」をテーマに元人事と営業の経験を活かしたカウンセリングが好評です。
前編では、進路に悩む生徒のために教員志望から民間就職に進路を変えたルーツに迫ります。
クラスの中心人物な幼少期
家の周りが山と田んぼに囲まれた田舎で育ちました。幼少期から活発で目立ちたがり屋な性格で、習い事を同じ時期に4つ掛け持ちしたり、学級委員長を率先して立候補したり、高校の入学式では学年を代表して祝辞を読み上げるタイプの子供でした。
ちなみに高校最後には、本来は担当外だった卒業証書を受け取るクラス代表の役割に、同級生からの投票で選ばれるような、いわゆる「クラスの中心人物」として子供時代を過ごしました。
選択が限られた中学時代
部活は野球部に入りました。ただ、元々野球に心血を注ぎたかったわけではありません。田舎ではあるあるでしょう。「数少ないこの部活の中でしか選べない」という状況で選んだのが野球だったのです。
本当は、元々習い事をしていた剣道やスキーを続けたいと考えていました。ところが道具の整備や遠征費用は、気軽に用意できる額ではありません。親から「家計のために頼むから諦めてくれ」と頼まれたことで、子供ながらに渋々気持ちに折り合いをつけ、限られた部活の中から野球を選びました。
この「選択肢が元々少ない環境だから諦めるしかない」と、心に小さな傷を作った経験が、現在「選択肢を広げる就職支援」をテーマに掲げるジェイックでのアドバイザー業に繋がっています。
恩師に憧れて
田舎ゆえに思うように選択できない苦い経験は何度も味わいましたが、人には恵まれていました。特に中学の担任の先生は、大人からは煙たがられる「ちょっと変わった先生」でしたが、当時子供だった自分にとっては、「生徒と真摯に向き合ってくれる先生」でした。
例えば休日に、自分のように進学を希望する生徒達を自宅へ招いてもらい、勉強に没頭できる環境を用意してくれました。一方で、進路を考えられないほど素行が荒れている生徒達には、「どんな仕事があるかいっしょに見に行こう」と積極的に外へ連れ出していました。
このように生徒ひとりひとりに合わせて選択肢を提示して、進路を広げようとしてくれる先生の教育方針に次第に惹かれていきました。だから「自分も人の可能性を信じて、一緒に選択肢を広げられる学校の先生になりたい!」と、教育学部に進学しました。
教育実習で感じた違和感
しかし教育実習に参加すると、ひとつの違和感を覚えました。「生徒の選択肢を広げる教師になりたい」と理想を掲げたものの、実際は「いかにテストで良い点数をとってもらえる授業をするか」という点が重視されたのです。
進路指導の先生であれば、恩師のような関わり方ができるでしょうが、当時はまだ教育実習の学生の身分。どうしても関わり方が一方通行に感じてしまい、自分のやりたいことの実現は難しいかもしれないと感じたのです。
当時の指導教員にも、こんなことを言われました。
胸に引っかかって取れなくなるほど的を得ていた指摘に、「『選択肢を一緒に広げる関わり』の対象は、子供だけではないかもしれない」と、教員志望が揺らぐようになりました。
曖昧な回答は誠実か?
結局現在、教員ではない道を歩むことになった、大きなきっかけがありました。それは教育実習中に、とある生徒から進路相談をされた時のこと。
「進学すべきか就職すべきか悩んでいる。先生はどうするべきだと思う?」と真剣に相談をしてくれた生徒に、ベストな回答を返せなかったのです。
進学については、現役大学生としてメリット・デメリットなどのリアルな情報をありありと語れます。ただ、まだ就職を経験したことがない自分には、就職の良し悪しはイメージが湧きません。生徒への誠実な想いゆえに、答えに詰まってしまったのです。
だからその場では「進路相談室の先生に一度相談してみたらどうかな?」と曖昧な回答に留めましたが、内心はショックでたまりませんでした。
ずっと目標にしていた場面にいざ立ち会うも、実際に自分の口から出てきた言葉は、人任せなものでした。もちろん、大事な生徒に誤った情報提供はしたくないので、あの選択が間違っていたとは思いません。ただ、自分の口からは何も語れませんでした。
もし自分が就職をしていたら。
就活を経験していたら。
なにか答えが変わったかもしれない。
自分の経験不足ゆえに、理想と現実のギャップを突きつけられたことで、「思い描いた理想の先生にはこのままでは到底なれない」と思いました。
そう決意し「教師ではなくまずは就職しよう」と、大学4年生のタイミングで、民間就職へ進路変更しました。
様々な選択肢を知るために
就職活動では「様々な選択肢を知る」ことに重きを置き、新卒募集で多い総合職(営業職)をメインに様々な企業を見て回りました。その中でご縁あってジェイックに出会い、人材教育が事業のベースにある点や、会社のビジョンやミッションに惹かれて入社を決めました。
社会人、そして人事へ
ところが入社後は、同期の大半が営業職に配属される中、新卒一年目にも関わらず人事部に配属されました。ほんの数か月前までは自分が採用される立場だったのが、入社後は採用する立場へ逆転したので、寝耳に水な配属でした。
社会人としての仕事が初めての状況で、手探りな業務内容。しかも単月での成果は出にくいことから、なかなか目に見える評価を得ることができずに悩むこともありました。
しかし、当時の上司にかけてもらった「見ている人は見ているし、しっかり評価されてるよ」という言葉を信じて、まずは目の前の仕事に取り組むぞと気持ちを切り替えました。そしてコツコツ人事の経験を積み重ねていくうちに、広告営業部への異動が決まりました。
実は元々、人事へ配属される段階で「さらに社会経験を積んでもらうために、3年後に営業へ異動させる」と聞かされていたので、満を持しての辞令でした。「教員以外の仕事を知りたい」という想いから民間就職をしていたので、新しい仕事へのチャレンジはワクワクしました。
新しい選択肢に触れる経験
ところが広告営業職に異動すると、ギャップの連続でした。これまで人事として毎日学生と接していたところから、企業の採用担当と接する日々。学生と接していた頃は、「可能性を広げる関わり」を毎日のように行っていましたが、営業はなかなか学生と接する機会がありません。人事の仕事を離れたからこそ、「学生・求職者と関わりたい」という想いが日に日に強くなっていく自分に気付きました。
結果的に「進路に悩んでいる人の可能性を広げる仕事がしたい」と、現在のアドバイザー職へ異動させてもらうことになりますが、営業として経験を積んだからこそ、私自身が渇望していた選択肢に気付くことができました。
だから、営業職時代は良い経験だったと言えますし、「仕事は選り好みせずにまずは飛び込んでみた方が、自分の選択肢は広がる」と自信を持って語れます。
しかも恵まれたことに、採用担当を相手にした営業を経験したからこそ、「採用担当はこう考えている・こんな求職者を求めている」とリアルな声を数多く得ることができました。元人事・元営業として「採用する側」のポジションを経験したことで、求職者の就活サポートをする上で大きな武器を手に入れました。
後編に続く
教師を目指して教育学部に進学したものの、生徒の相談に真摯に答えるために民間就職をした片桐。就職後は人事・営業とキャリアを重ね、現在はこれらの経験を生かした就職アドバイザーとして活躍しています。
後編では、そんな片桐の経歴を活かしたカウンセリングスタイルに迫ります!
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