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転機は経験値を上げるもの【お客様サポート紹介-森田眞理-(前編)】

今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジお客様サポートとして活躍する森田眞理。求職者のお気持ちを言語化する丁寧な電話対応が好評です。前編では、そんな森田の学校中退の経験や就活における葛藤を語ってもらいました。


根っからのお姉さん気質

3兄弟の長女で、末っ子とは9つも歳が離れていたので、幼い頃から母の代わりに寝かしつけなどのお世話をしていました。当時から「下の兄弟のお世話を任されるのはお姉ちゃんだから当たり前」と思っていましたし、母から頼られて嬉しい気持ちが強かったので、親と一緒に末っ子の子育てをしている感覚でした。


祖母の看病ため突然の引っ越し

中学3年生の半ば、最初の転機が訪れます。父方の祖母が体調を崩してしまい、近くに親族が誰も住んでいなかったことから、両親は私達家族を連れて祖母が住む町に引っ越すことを決めました。
もちろん私も祖母の体調は気がかりでしたが、私にとっては卒業間近で、受験の直前という大事な時期に引っ越すことを突然決められたので「親の都合ばかりで、私のことは考えてくれていないんだ…」とショックを受けました。
引っ越すことで友達と離れなくてはいけないですし、思い描いていた高校生活を送れないかもしれない。家庭の事情とはいえ、強引に決められた引越しに不安と複雑な想いを抱えながら、転校と高校受験を迎えました。


束の間の高校生活

その後、無事に私立の高校に進学しました。徐々に友達も作れて楽しい高校生活が始まり、「卒業間際の引っ越しを乗り越えて、やっと充実した生活がスタートしたんだ」と安心した矢先のこと。
看病をしていた祖母の介護施設への入居が決まったことで、私の人生が変わり始めます。



家族のために高校中退を決意

祖母のために引っ越しを決意するほど親孝行な両親だったので、高額な費用がかかる施設を入居先に選びました。ところが、我が家には施設入居のための助成金が出ませんでした。
費用を工面するためにも両親共に正社員として働いていましたが、介護費だけではなく、順調に成長する私達3兄弟の学費も家計を圧迫します。特に私が私立に通っていたこともあり、徐々に学費を支払うことも苦しくなっていきました
そんな様子を長女として当事者意識を持って目の当たりにしていたので、2年生になったある日、両親にこう伝えました。

「進学も考えていないし、高校辞めて働くね」


折り合いなんて簡単にはつけられない

今振り返ると、高校中退の経験を通してメンタルが強くなりましたし、「これが人生のターニングポイントだった」と、こうして人に伝えられるほど自分の中で折り合いをつけられるようになりました。
ただ当時は「辞めない方がよかったかな…」と、自分の選択に自信を持てずにいました。理不尽な引越し後、せっかく掴んだ楽しい高校生活を手放すことは後悔が残りましたし、就職の際に少なからず苦労するであろうことを理解していました。なによりも「人生が変わってしまった」と将来への不安でいっぱいでした。
だから、自分の経歴をなかなか人に言えなかったですし、自分の中で折り合いをつけられるようになったのは、ずっと後になってからでした。


「経験値を上げるため」と自分を鼓舞する

ただ、後ろばかり見ていては前に進めないですし、中退したからといって人生が終わるわけではありません。逆境にめげずに頑張る自分を誰かが見ていてくれるでしょうし、中退の経験そのものが自分の経験値になるかもしれません。
だから、中退を決めた過去の自分に後ろめたさを感じるのではなく、「就職するために何ができるか」を考えました。やむなく決断した中退の経歴を企業にわかってもらえるようなアプローチ方法を考えたり、いざ面接に辿り着けた際は、事情を説明した上で「だからこそ入社させていただけたらこの会社で一生懸命に働きます」と、面接官の目をしっかりと見て伝えました。
そうやって自分を鼓舞することで、「逆境もターニングポイントになる」と学びましたし、転機を前向きに捉えられるようになりました。

だから今この仕事をする中で、学校を中退した方の不安なお気持ちは非常に共感できますし、共感できるからこそ「就職するために何ができるか一緒に考えましょう」と心からお伝えしています。



ハードワークなホテル業務

そうして無事に、ホテル業界で正社員としての雇用が決まりましたが、結局1年半で早期退職をしました。
フロント担当として採用されたものの、家族経営の小さな会社であったことから常に人手が足りず、メイン業務外の宴会のアテンド担当も任されるようになりました。朝早くからフロントに立ち、夕方から宴会会場を走り回り、夜遅く片付けが終わってからまた翌朝早くにフロントに立つ。朝から晩まで働き続けるハードな日々でした。


耐えられず早期退職へ…

加えてノルマも厳しい社風だったので、おせち料理販売の個人目標が達成できない場合は、ひとつ25,000円もするおせち料理をすべて買い取ることもありました。稼ぐために正社員として就職したのに、若さゆえの基本給の低さやノルマのせいでなかなか貯金もできません。
給与明細の寂しさと、ハードワークが重なり「このままではやっていけないかも…」と意気消沈していきました。だから心身共に耐えられなくなり、せっかく採用していただいた手前心苦しかったのですが、退職を決意しました。



アルバイトでも充分に稼げる

退職後は、フリーターとしてアルバイトに励みました。正社員就業は大変でしたが、一度正社員として働けたことが「職歴に書ける」と自信になっていましたし、まだ10代だったので「いつでも正社員に戻れる」と心の余裕がありました。
加えて残業代無しでいくらでも働かされていた正社員時代とは違って、アルバイトであれば時給で働いた分だけお給料をいただけますし、時間外の稼働は残業代も出ます。与えられた仕事以上の成果は求められませんし、ノルマもありません。
仕事を覚えてからはシフトを多く入れてもらえるようになり、アルバイトながら正社員時代と同じだけ稼げるようになっていたので、アルバイトとしての雇用形態に満足しながら一生懸命に働いていました。


気軽さよりも将来の安定を選択

この頃、後に夫となる人に出会ったことで、将来について真剣に考えるようになりました。

「フリーターとしての働き方は気軽であるけれど、もし今後結婚して子供に恵まれたとしたら、収入が安定しない立場であることを後悔する日がくるかもしれない。」

そう不安に駆られたので、「将来のことを考えて、やっぱり正社員として働きたい」と、再度の就職を決意しました。


2度目の就職活動をスタート

就職を決意したものの、中退をした経験はまだ自分の中で折り合いがついていなかったので、「自分の経歴を受け入れてくれる企業なんて無い」というネガティブな気持ちで就活を始めました。
だから書類選考が通った時は「中退した経歴を理解いただいた上で面接に呼んでくださっている」とわかって嬉しかったですし、「もし採用していただけたら、とにかく一生懸命に働かせていただきます!」と、未来の話を面接官に熱く語りました。
結果、医療事務として内定をいただいた時は、喜びと驚きで胸がいっぱいになりました。



【続編に続く】

学校中退、ハードな正社員経験、フリーター生活を経て、将来のため再度正社員として就職した森田。ところがその後、再度転機が訪れます。
後編では、自身の数々の転機を乗り越えたからこそ「何か力になれるかもしれない」と入社したジェイックでの就職支援に懸ける想いに迫ります。



後編はこちら!


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