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マチネの終わりに―すれ違う愛の物語

平野啓一郎さん著『マチネの終わりに』が映像化される――最初にそれを耳にしたとき、正直なところ「え、あの作品を誰が? どうまとめるの?」と思っていました。

でもキャストと脚本を見て「コレは見ねば!」と固く心に誓って公開を心待ちにしていた私。そんなタイミングで、SNSでnoteユーザー限定の試写会のお知らせがあり、迷わず応募→めでたく当選!

あらすじ

あらすじはこんな感じ。

世界的なクラシックギタリストの蒔野聡史は、
公演の後、パリの通信社に勤務するジャーナリスト・小峰洋子に出会う。
ともに四十代という、独特で繊細な年齢をむかえていた。
出会った瞬間から、強く惹かれ合い、心を通わせた二人。
洋子には婚約者がいることを知りながらも、
高まる想いを抑えきれない蒔野は、洋子への愛を告げる。
しかし、それぞれをとりまく目まぐるしい現実に向き合う中で、
蒔野と洋子の間に思わぬ障害が生じ、二人の想いは決定的にすれ違ってしまう。
互いへの感情を心の底にしまったまま、
別々の道を歩む二人が辿り着いた、愛の結末とは―

「未来は、過去を変えることができる」

この作品に通底しているのが、「未来は、過去を変えることができる」という言葉です。一般的には「過去は変えられないけど、未来は変えられる」と認識されているけれど、それは違うのではないか――物語の最初のほうで、福山さんが演じる蒔野が語るこの言葉は、物語の中で重要なキーになります。

映画では原作と違っている箇所や出てこないシーンがありますが、予告編の中で石田ゆり子さんが涙している石のベンチもその1つ。「未来は、過去を変えることができる。変わってしまうというのかな」というセリフが出てくるシーンと対になっていて、井上さん(脚本家)、スゴいな……と唸らされます。

ネタバレになるから詳しくは伏せますが、2人の関係を大きく変えるキッカケになった出来事も、それを数年後に知ったことによって(=未来)、その出来事を起こした相手と積み重ねてきた関係(=過去)も変わってしまったのかな、と。

「孤独」に関する表現

「未来は、過去を変えることができる」が作品全体の根底に流れる言葉だとしたら、ここで挙げる「孤独」に関する表現は、すごく個人的に響いたポイントです。

原作にも出てくるこの表現、後半は省略されていましたが、映画でもしっかり使われていて嬉しかったな。

脚本と石田ゆり子さん

先ほども「原作とは異なる部分がある」と書きましたが、ネタバレにならない範囲でいうと、作品の時間軸がそもそも違います。原作はもっと長い年数をかけた物語になっていますが、映画はそれをギュッと凝縮した感じ。

そう聞くと原作ファンは不安になるかもしれません。ありますよね、映画と原作、どっちを先に見るか問題。でも大丈夫。もちろん個人的な感想にはなりますが、ものすごくしっくりくるし、違和感ナシです。さすが井上由美子さん(井上さんは、NHKの朝ドラや大河ドラマ、「きらきらひかる」「GOOD LUCK!!」「緊急取調室」シリーズなど、数多くの作品を手がけられている方です)。

そして特に素晴らしかったのが石田ゆり子さんでした。
キャストが発表されてから原作を再読しましたが、映画を見てますますキャスティングが素晴らしいなと思いました。もう小峰洋子は石田ゆり子さんしかあり得ない!

ゆり子さんが感情を露わにするシーンもありますが、多くは感情を抑えた静かな場面。でも彼女の瞳の揺らぎ、眉をしかめるところ、控えめに微笑むシーン……挙げるとキリがありませんが、1カット1カット、抑えた演技なのに感情がスッと届く感じ。

Twitterにも書きましたが、ただただ美しいものを見た……という感じでした。

noteさん、貴重な機会をありがとうございました!
はー、サントラ聴こっと。


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