吉田直樹の異常な愛情 ~または私は如何にして心配するのを止めてFF14を愛するようになったか~
僕の今年のマイ・フェイバリット・ゲーム、あるいはマイ・フェイバリット・ストーリーは月姫になる予定だった。つい一ヶ月前まではそれを半ば確信していた。だが魔物は年末に潜んでいて、FF14がすべてを攫っていった。
僕の情緒は完全に破壊され、今までの人生で最も多く涙を流す羽目になったストーリーになった。
このドキュメントは、そんな僕が年末で暇な時に書いているものだ。暇が続いたらFF14暁月の終焉について聞いて感じて考えた事を他にも記すかもしれないが、ここでは僕がどうしてそんなに感動したかを残そうと思う。
あるいはこの文章は人にFF14というゲームを薦める性質を帯びるかもしれないが、最新話の暁月の終焉までの話についてネタバレについて一切の配慮をしない。お話の詳細について説明することもないだろうが、ネタバレが怖い人は読まない事を薦める。
これは自分が主人公の物語
僕の読み手としての性質を最初に説明しておきたい。僕は映画、小説、漫画、ゲーム……あらゆるコンテンツのお話に対して、基本的に主人公に感情移入したりタイプの人間ではない。とはいえ感情移入しない訳ではなく、僕は常に神の視点でお話を俯瞰し、その中であるキャラに感情移入したり、展開について論じたりするタイプだ。
ギャルゲーのようなお話だったとしても、その主人公は自分が選択肢で行動を選択するとしても、主人公のキャラ性を読んで、自分と完全に違う人格として考えている。
だがFF14に関しては、主人公である光の戦士は、半ば僕の半身だと思っている。
これは僕がFF14を何度かの引退をはさみながらも新生開始時から足掛け8年半付き合ってきたキャラクターだからでもあるだろう。
FF14はストーリーが大変強いのだが、それ以外を過ごす時間の方が圧倒的に長い。零式を攻略したり、ギャザラーしたり、フレンドと観光したりみたいな時間を過ごすからだ。その間、主人公は意思を表明しない。僕のコントロールするままに動き、失敗し、成功してきた。しかもそのキャラクターの容姿だって自分が設定し、衣服だって自分の趣味で選択している。
だからこそFF14はそのストーリーの感情起伏がダイレクトに刺さった。
ガレマルドでは姉妹が死に絶えている現場を目にした時、ひどくがっかりした気持ちになったし、軍団長との対話や挿話については考えさせられた。『寒夜のこと』ではヒカセンの体を操られる事に強い嫌悪感を感じた。
ラザハンでは人が獣に転じたりする様にどうにもならない無力感やパーラカに駆けつける時の歯を食いしばる気持ちにさせられ、マトシャ君が獣に変わりそうなところで強い焦燥感やその後の救いで一気に脱力して涙が出てきてしまった。余談だが、僕はマトシャ君のような素朴なキャラクターが大好きだったりする。
8年の時間が暁を「ただのNPC」から「仲間」にした
単純接触効果というものがある。書いて読んでの如く、人はその事物に触れている時間がながければ愛着が湧くというものだ。
8年というか8年半。僕はずっとではないが大体4ヶ月に一度のペースで暁の血盟の仲間と旅をして来た。
新生時代を思い起こすと彼らはあまり好ましい人物たちではなかった。
いきなり呼び出されるし、現場に到着したら先輩に顎で使われ何もしない。最後には体を乗っ取られて牙を向いてきたり最悪だった。とはいえ、当時はMMORPGのストーリーってこんなもんよねって思ってあまり気にしていなかったが。
それが新生で崩壊し、蒼天で再結集し、顎で使われる環境ではなく共に旅する仲間になり、紅蓮で共にアラミゴを開放し、第一世界ではついに世界の命運をかける戦いを駆け抜けた。その間に、彼らはエリート集団っぽい感じから多くの失敗や挫折、無力感と戦い抜き、克服したり、あるいは犠牲や脱落を、そして救った人間の加入を経て、今の形になった。
このNPCたちの道程を見ているからこそ、彼らの人生を知っていて、強い信頼の念を覚えている。その言葉よりも、行動よりも、人を信じている。ウリエンジェはもう裏切らないと思いながら追跡したり、サンクレッドが第一世界を救えない事を知ったあとどう行動するか分かった。
そしてキャラもその信頼に答える。ウリエンジェを追いかけた先で「やはり追いかけて来ましたか」と僕の行動を読んでいたし、月を方舟にして脱出するという話を聞いた時「じゃあサンクレッドは許すわけないじゃん」と容易に想像できたし、実際にサンクレッドは自分が思っていたようにその結論を否定する。
だからこそ、ウリエンジェとレポリット、ムーンブリダのことで涙してしまったし、ラハがラザハンで水晶公に戻って指示する姿にその100年の人生の重みで安心を得ると同時に情緒が破壊された。
ハイデリンと戦う時、8人で戦えると知って歓喜し、自分と同じような速度でギミックを習熟していく仲間に強い一体感を感じた。
人相手に感じたことはあっても、NPCと一体感を、仲間と認識したことは無かった。戦いながら泣けてきたのは始めてだった。
8年間の重みで僕の心はぺしゃんこにされた。
感情曲線の制御が上手
感情曲線というのは主に創作する上で作品を閲覧している人の感情の高まりを設計したり分析したりする時に使うツールだ。
ガレマルドで身につまされる出来事が続いた後にレポリットの純粋に人を思う心に癒やされ、ラザハンで絶望に歯噛みして対抗し、エルピスで疑念こそあれどその穏やかさに安堵を覚える。そしてシャーレアンで勇気をもらい、ウルティマトゥーレで心を砕かれ、逆転する。
情緒破壊のジェットコースターだ。
その癖、ちゃんとお話にケリをつけ、伏線を回収しつくす。そしてそれもまた、感情曲線に寄与していく。
作品の設計として、8年の物語にここまで上手にケリをつけられる作品があっただろうか。
劇伴が素晴らしい
暁月はとにかく劇伴が素晴らしかったと思う。歌付きの曲数や物語を貫くテーマからアレンジで聞かせるいつもの手管もきちんと刺さったが、感動的なシーンでそれをマイナーアレンジでガッツリ泣かせにかかったりというのが今回はめちゃくちゃ良かった。
だが、何よりも良いなと思ったのだが、とにかく今までよりBGMの制御がかなり良かったと思う。ラザハンで終末に抗う時はずっとあの焦燥感を煽るIDの曲を流すし、ガレマルドではあのラジオが第二次大戦末期のナチスドイツのような滅びに向かう感じを演出している。そしてそれまで焦らせた後に流れるエルピスの曲の緩やかさ。それが「ここは終わった世界」というメタ情報と相まって楽園の安堵感と虚無感が混在していて、エメトセルクとヒュトロダエウスの登場という最大のサプライズを演出していた。そしてハイデリン戦では前に進む力を力強い『Your Answer』で勇気をもらった。
そして最後のIDでドラマティックなBGMを流して終焉を渡り歩き、ラスボス戦では、祖堅氏お得意の過去曲のアレンジで全ラスボス戦BGMをミックスして流し、メーティオンにゴールを示すFlowはテーマに沿ってマイナー調でガッツリ泣かせにかかってくる。
そのすべてが渾然一体となったウルティマトゥーレで過去の重みにボロボロになる
ここまで上げた要素で取り上げてないところがある。それはウルティマトゥーレだ。もうおわかりかもしれないが、ここがとにかくヤバかった。
自分が今まで8年間ともにしてきた仲間がそれぞれの想いで絶望に抗う事を選んでデュナミスに飲み込まれ、ウルティマトゥーレの劇伴が変わっていく。お話を俯瞰する僕は、エスティニアンが飲み込まれた時に「あ、これ全員飲み込まれるやつだ」って分かっているというのに、道行くを僕はその事実を認めたくない気持ちが強く同居する。ラハが飲み込まれて「Close in the Distance」のアルペジオが流れ出した時、背中を優しく押されるような気がしてきて涙が止まらなくなった。双子と水晶の道を往く時、歯噛みして涙を流しながら、それでも進む自分がいた。
最後、二人が飲み込まれる前、僕のヒカセンは僕の中で「昼行灯でやれやれ系でふざけてばかりだけれどやる時はやる奴」みたいな設定なんだけれど、そんな自分じゃ絶対選ばない「もう、やめてくれ」という選択肢を選んでしまった。
そして一人になり、Endwalkerのデバフをまとって歩く時、涙を流しながら、不思議と絶望は感じなかった。かけられる言葉は不思議とどこのセリフか自然と思い出せて、それらが一人の道行きを孤独にさせなかった。その事にとにかく涙が止まらなかった。
その時、僕は殆どヒカセンそのものだった。仲間を救うためにボタンを押して脱出装置を手放す時も、僕が思ったヒカセンの行動そのものだったし、その事にもこのキャラは自分自信なのだという確信めいた思いが湧いた。ここまで自分を投影したキャラクタなんて始めてだった。
始めての体験だったと思う。
今年の、いや、今までのゲーム体験として最良のものとなったと断言できる。
吉田直樹の異常な愛情 ~または私は如何にして心配するのを止めてFF14を愛するようになったか~
ここまで色々書いてきたが、それを支えたのは「ゲームが続いてきてくれた事そのもの」だったと思う。
月額課金のゲームで厳しいスタートからはじまった。最初ストーリーも全然おもしろくなかったが、あらゆる要素でプレイヤーをひきつけ、プレイヤーの要望を叶え続け、バランスを維持し、ディレクションもプロデュースもしてきた。
FF14は運営が上手なMMOだと言われているが、僕が見てきたところ、炎上した事もかなりある。プレイヤー同士の諍いやマウンティングはずっとあるし、打てば響く運営だからゴネまくるプレイヤーに左右されて内容が変わっていくのも見たことがある。
それでも、一番えらい人が常にタンクを貼り続け、運営し続けた。その結果、どんどん良くなっていった。
FF14の最も良い点は、これに尽きる。とにかく、コアな体験はどんどん良くなっていく。もちろん全てではなく悪くなった点は数しれずある。しかしそれでも長く運営を続く中で見事にバランスを取り続けた結果、全体としてはどんどん良くなっている。
そしてついに決着にたどり着いたのだ。
辛く長い道程は、Endwalkerの道程そのものと重なる。
それを支えたのは、僕はスタッフの頑張りと、愛情、とりわけ吉田直樹が掛ける情熱と愛情に、異常とも取れる愛情に支えられてここまで来たのだと思っている。
僕は最初に書いたとおり、FF14は楽しみにしていたけれど、今年のストーリーのベストは月姫リメイクの、『旅の終わり』になるだろうと思っていた。
なぜなら漆黒があまりに良すぎたからだ。
大体のお話において、良すぎるお話が来た後は、伏線回収などが大枠になり、お話としては面白みを失っていくことが多い。複数のお話に渡ると、どうしても広げすぎた大風呂敷を畳むことそのものが大事になるからだ。
だが、FF14は殆ど完璧な形でやり遂げた。
僕は、FF14において心配することはもうないんじゃないかなと思っている。離れる時が来ても、それは未来の展望に絶望して獣になってではなく、自分の選択としての結果になるだろう。
メインライターが石川夏子ではなくなるとしても、やはりどんどん良くなっていくと思う。
今後も、零式や絶含め、FF14と自分の距離感で付き合っていこうと思う。
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