【読書感想】息が詰まるようなこの場所で・外山薫
そろそろ梅雨ですね。
前回感想に書きました、「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」からすっかり虜になってしまった「タワマン文学」。
どんな部分が好きなのかと問われると、その人物が自らの状況を既に察していながらも、その状況から出ることのできない事実とそこにある何とも言えない空虚さ、圧倒的な世界観です。
尚且つニュースなどで見るような事象についても触れられている様な所も、このジャンルは現代社会から切り離せないのではないかと思ってしまいます。
さてこの本の題名「息が詰まるようなこの場所で」ですが、作中で4回この一句が登場します。しかし、この4回は全て違う人物の言葉なのです。
この本のメインの登場人物は、湾岸地区にあるローゼスタワー低層階に住む銀行員夫婦、事務職の平田さやかと一般職の健太、その子である充。ローゼスタワー最上階に住む開業医の高杉徹、その妻であり元アイドルの綾子とその子である秀才の隆。平田家夫婦と高杉家夫婦の4人の目線で物語は進んでいく。
この4人は、住む階層こそ違うものの、共通点がある。
それは、全員が部分的に強烈な負の感情を持っていること、もう一つはそれぞれがそれぞれの地獄にいるという事。これは高杉徹の言葉で、それぞれが毎日何かに脅威やストレスを感じるながら生きているということに対しての一言であり、自分の生活も形容しているかのようだった。
息が詰まるようなこの場所で私たちは何を求め、何のためにここにいるんだろうか。冷たいコンクリートに覆われた湾岸に聳え立つローゼスタワーで人々は何者かになろうとしている。
それは果たして、本当にしたかったことなのだろうか。
もうここまで進んできてしまった。ここまで来てしまったから、自分は間違ってなかったと言い聞かせる毎日。そんな毎日が細かく描写されており、4人の目線の違いもあいまってとても深く表現されています。
「息が詰まるようなこの場所」でというこの上ないタイトルとこの一文が作中に出てくる描写。親、子供、お金、地位、嫉妬、プライド、すべてが混ざり合った壮絶な一冊。
最後に、4回出てきたうちの一つの「息が詰まるようなこの場所で」を紹介したいと思います。
この後に、とんでもなく空虚で美しい文章が続いています。
ここで紹介するにはあまりにもったいないので、是非ご自身で読んでいただけると幸いです。
是非「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」を読んでから。
海沿いのタワマンの近くに散歩でも行こうかな。