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「じゃがいも」のお寺話60 円空

円空仏という仏像がとても有名だと思います。可愛らしく味わい深い独特の雰囲気をもった仏像が円空仏です。当たり前ですが、円空が彫った仏像なので円空仏です。円空は僧侶であり各地を遊行しながら遊行先で仏像を彫る仏師でもあります。
今でも5000体を超える円空仏が日本の広い範囲に残っているようです。現在確認できている円空仏が約5000体なだけで、円空が彫った仏像は12万体とも伝わります。

12万÷365日=328年 1日1体毎日仏像を彫って328年かかります。本当でしょうか。12万体が仮に過剰だとして、5000体だったとしても1日1体彫って13年8ヶ月くらいはかかります。本当か嘘かはどちらでもよく、円空はひたすらに仏像を彫った人生を過ごしたのでしょう。凄いです。

円空(1632年〜1695年)の生まれた場所や遊行に出るまでの記録がいろいろあり詳細はハッキリしないようですが、生まれた地は岐阜県の美濃と言われています。
円空は長良川の洪水で母親を亡くしたと伝わります。母親の死がきっかけかはわからないですが母親の死後に仏教の修行を始めたとされています。生まれ故郷の近くの粥川寺で仏教を学び始めたとされます。粥川寺は星宮神社の別当寺として建てらたお寺です。更に別のお寺に出向いて山岳修行、修験の修行をしていたという説明もあります。

円空の遊行の旅が始まり(1664年)ますが、仏像を彫り始めたのもこの頃のようです。どこかのお寺に属せず托鉢をしながらの遊行ですが、遊行の中で常に民衆の苦しみや悲しみに寄り添い、より所となる仏像を彫り始めたのだと思います。遊行先のお寺や世話になった一般人に仏像を授けていきました。

青森の弘前にしばらく滞在し、さらに北海道へ移動(1666年)しています。
この時の北海道での遊行が円空の作風に影響をしているとの文章があります。
北海道のアイヌには物には精霊が宿る(アニミズム)という文化があるようです。木の中に精霊や仏を見出し、木の中からその姿を露わにする。荒削りにも感じるが素朴で味わい深くエネルギッシュな円空仏の特長は北海道の遊行で得たとの説明ですが納得します。初期の作風からいわゆる「円空仏」に作風が変わって行ったとの説明でした。

北海道から本州に戻り名古屋で滞在し、その後は奈良の法隆寺に行ったり、滋賀の三井寺に行ったりと記録があるようです。
円空仏は全国残っていて、北海道、青森県から奈良県、三重県の間に約5000体あります。
愛知県がダントツで3000体超え、岐阜県が1000超え、あとは埼玉、北海道辺りに今でも多くの仏像が残っています。寺社の所蔵の他に個人所有の仏像も多数あるようです。

円空の故郷として郡上市やその周辺地域には円空ゆかりの施設がいろいろ建てられています。
星宮神社(粥川寺)の建つ場所には「円空ふるさと館」という施設があります。
晩年の円空は岐阜県関市の弥勒寺で過ごして母親への思いも重ねてなのか長良川ほとりで一生を終えたと伝わります。弥勒寺の近くには「円空館」という施設と円空のお墓があります。

円空の人柄は仏像に現れていると思います。人々から愛される方だったのだろうと思います。
江戸時代はガッチリと幕府の管理下にお寺が置かれていたため、アクティブな活動が抑制されていましたが、そんな時代に仏教の本質を貫いた僧侶の1人なのかなぁと感じています。

13世紀頃の京都太秦の広隆寺に円空という僧侶がいたようですがもちろん別人です。

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