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「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(良弁)
良弁(ろうべん)(689年〜774年)
東大寺は金鐘寺(こんしゅじ、きんしょうじ)から始まったとされます。728年に聖武天皇の第一子の基皇子が5歳の若さで亡くなりました。弔いのために建てたのが金鐘寺です。
金鐘寺創建時に法華堂があったのか分からないですが、大仏殿や戒壇院が建つ前、法華堂(三月堂)辺りに建立されたのが金鐘寺です。東大寺は法華堂から始まったとも言えそうです。
その後、全国に国分寺を配置する時に大和国の国分寺になり金光明寺と改名、大仏殿の建立に合わせて東大寺に改名しました。
金鐘寺の僧侶として選ばれた9人の内の1人であり、東大寺になった時に別当に任命されたのが良弁です。
別当とは、律令制のある組織の総責任者を意味していて朝廷から任命される役職です。当時のお寺が朝廷の管理下にある一つの部署のような扱いであったことの表れでしょうか。東大寺、興福寺、四天王寺くらいでしか使われないようですが、お寺のトップの僧侶を別当と呼ぶ場合があるようです。いわゆる住職ですが現在でも東大寺では別当と呼びます。
東大寺で良弁が初めて別当と呼ばれるようになり、他のお寺でも使われるようになりました。
奈良時代以降の東大寺は何度か戦に巻き込まれていて結果として多くのお堂を失っています。今のお堂の多くは江戸時代の再建ですが、法華堂は奈良時代に建立されて現代に残る数少ないのお堂です。
法華堂の本尊の背面には執金剛神が祀られています。執金剛神は金剛力士と同じと考えられていて名前は違っても厳密な違いは分からないようです。
金剛とはとても硬い物を指し一般にダイアモンドと説明されます。硬い意志を金剛心といい硬い意志の象徴として金剛杵(こんごうしょ)を手に取る神や仏を金剛神と呼びます。
金剛杵を手に執っているので執金剛神と呼ばれていて金鐘寺の時代の良弁の念持仏だと伝わります。
飛鳥時代の天部と異なり日本独自の写実的な姿で製作された初期の仏像として極めて貴重です。また、東大寺開山堂には良弁の坐像が納められています。両方とも国宝に指定されていて現在は秘仏です。12月16日の開山堂の法要後1年に1度御開帳されます。石山寺にも良弁ゆかりの執金剛神が祀られています。
良弁の僧侶としての活躍は多くは伝わっていないのですが、東大寺の建立に尽力し初の別当になっただけで凄い僧侶であったのだろうと想像します。