「じゃがいも」のお寺話26 塔、仏足石、法輪
お釈迦様が涅槃に入られた後、お釈迦様の遺骨は仏塔(仏舎利塔 ストゥーパ)に祀られました。在家信者はお釈迦様の仏塔を参拝することで良い果報が得られるとされていました。仏教の象徴的な場所でありお釈迦様を思い出し懐かしむ場所でしょうか。
お釈迦様の時代は信仰の対象として仏画や仏像を拝むという行為はなかったと聞きます。お釈迦様の姿を何から形にするのは失礼な行為であるという意識があり、自灯明、法灯明にある通り、より所とすべきはお釈迦様本人ではなくお釈迦様の教えとの考えが影響していると説明されます。お釈迦様自身が偶像崇拝を否定していたとも言われます。
時代が進むと、お釈迦様の教えを残し伝えるために経典が作られていきます。文字では難しいので直感的に伝わるように徐々に図解もされていったようです。
お釈迦様自身ではなく足跡(仏足石)や菩提樹や台座などお釈迦様の姿を想像しやすい物を描いたり立体で作ったりし始めるようになります。仏教の教えの象徴として法輪も描かれたり作られたりしたようです。
ちなみに、
塔という漢字は明治の時代にtowerに対する漢字として当てられ今の日本でタワーと塔はほぼ同じ意味だと思います。明治以前は櫓などの漢字が使われていたようです。
お釈迦様の遺骨を祀るストゥーパがお釈迦様以外の高僧に対しても作られていき、時代と地域によって背の高い構造物になりながらストゥーパに対して中国で卒塔婆(そとば)という漢字が当てられました。
卒塔婆の塔だけが残り、形を変えて日本では七重塔、五重塔、三重塔などの塔になり、五輪塔のような供養塔になります。
五重塔や五輪塔などを卒塔婆とは言わないですが一番簡略化されたお墓に立てる木の板の塔婆(卒塔婆)にはストゥーパがそのまま残っているのが不思議です。木の板の塔婆は五輪塔の名残りのような形をしています。塔婆はお墓に立てて故人の追善供養を目的としているようです。即席の五輪塔でしょうか。
五重塔のような塔や五輪塔を供養塔とするのは密教との関わりがありそうで、法隆寺、興福寺、薬師寺のような飛鳥•奈良時代の大きなお寺を除くと、五重塔、三重塔、多宝塔などの塔がある有名なお寺は真言宗が多いような気はしています。もう少し細かく調べてみたいです。