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桜が咲くと思い出す

 先日、新海誠監督の映画『すずめの戸締まり』が地上波で初めて放映された。そして、東京では桜が満開になった。この時期になると毎年あの作品のことが頭によぎる。僕が初めて見た新海監督の作品『秒速5センチメートル』である。僕が初めてこの作品を見たのは2013年の春、『言の葉の庭』の公開直前のことだった。

 第1話「桜花抄」では、中学生になった主人公の遠野貴樹が、小学校の同級生で栃木に転校してしまった篠原明里に会いに小田急線の豪徳寺駅から両毛線の岩船駅へ向かうシーンが描かれている。僕は当時埼玉に住んでおり、親の実家が両毛線の沿線にあった。つまり、貴樹が向かうルートの大部分は僕にとってなじみのある風景だった。武蔵浦和駅での埼京線の快速列車の待ち合わせ、大宮駅にある「まめの木」と9番線ホーム、カボチャ色をした115系電車、東武線への乗り換え客がたくさん降りる久喜駅、広い小山駅と少し外れた寂しい場所にある両毛線ホーム、車窓越しに見える小さな岩舟駅。こういったものが次々と美しいアニメーションとして目の前に映し出されてゆく。まるで、自分の幼いころの脳内の記憶を映像として見せられているようであった。当時高校生になったばかりの僕にとっても、貴樹が乗っている電車のあの空気や、両毛線ホームで強い風に吹きつけられることの辛さがまるで自分事のように強く感じられた。

 そして、第3話の「秒速5センチメートル」では大人になった明里が高樹とは逆のルートで東京へ向かう。今度は僕にとって祖父母の家から自宅へ帰るルートとなる。ボックスシートに座って窓越しに見る田畑と山並み、小山駅12番線ホームから見えるIto Yokadoの文字、上野行きのステンレスの新しい電車に乗り込む。そして流れる山崎まさよしの「One more time, One more chance」のボーカルと東京の夜景を背景に現れるタイトル。僕はもう、自分の心をどこに持ってゆけばよいのわからなくなってしまった。アニメーションを見てこれほど心が揺さぶられてのはこれが初めてだった。
 
 この作品を最後まで見終わった後に、もう一度初めのシーンを見ると、背景と登場人物の描き込みの緻密さが明らかに異なることに気づく。僕らは不完全でこの世界に完全溶け込めているわけでもない。人と人が出会い、別れる。時間と距離が離れてしまったものはどうしようもない。貴樹と明里が結ばれようとそうでなかろうと、世界が大きく変わるわけでもない。それでも、あの頃の経験は彼と彼女がその後の人生を生きていくうえでの大きな支えになっていたことは間違いないと僕は信じたい。あの風景の中にいたのは自分かもしれない。そう思わせてくれることが『秒速5センチメートル』に多くの人がひきつけられる最大の魅力なのかもしれない。また、この作品には新海監督自ら執筆した小説版も存在する。アニメでは深く触れられなかった部分について知る手掛かりにもなるので、そちらもぜひ読んでみることをお勧めしたい。

 最後に、僕が撮ったいくつかの写真を載せて終わりたいと思う。『秒速5センチメートル』が公開されたのは2007年である。僕は2014年に岩舟駅で下車してその周辺を巡った。しかし、既に述べたように岩船駅周辺以外は僕にとってあまりにも当たり前の風景だったので、ほとんど写真が残っていない。特に小山駅はこの10年ほどで大きく姿を変えてしまった。それでも、僕の記憶と作品の中には、あの頃見た風景が残っている。

小山駅両毛線ホーム(2018年)
岩舟駅駅舎(2014年)
岩舟駅ホーム(2014年)
駅前の商店(2014年)


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