
喜びや思いやりこそが、我々のパワーの源である
「苦しみの意味」についてのキリスト教の本
約10年前、「苦しみの意味」について述べたキリスト教の本を調べ、読んでいました。
それぐらい、理不尽な目に遭い、また感じていたのです。
それに理由があると思いたかった。
これは、人間の自然な性だと思われます。
一応、もっともらしいことは書いてあります。
苦しみへのフォーカスは、レプティリアン血族の策略であった
でも、「苦しみに意味がある」というのが洗脳、つまり、我々の本来の力を発揮させないための策略であるならば、「苦しみの意味」を辿ろうとすることは、レプティリアン血族の策略にはまっているとも言えます。
「なんでこんな苦しみがあるの?⇒本を読む⇒ああ、こういう意味があったのか⇒「苦しむことがあっても、おかしくない」という信念の強化」
こういうループにはまりこんでしまう。
こんなtweetを目にしました。
苦しみには何らかの高い目的があるわけではありません。私たちを教育するものではありません。私たちを強くするものではありません。私たちを賢くするものではありません。
— COBRAインタビュー (@victorycobra) March 18, 2021
"苦しみには何らかの高い目的があるわけではありません。私たちを教育するものではありません。私たちを強くするものではありません。私たちを賢くするものではありません。"
これは、まことにその通りです。
あまりに苦しみが深くなると、人間や物事の見方が歪みます。
実際、そういう人たちを見てきました。
そもそも、根本に間違いがあるのではないか。
我々の知覚はハッキングされている
デーヴィッド・アイクによれば、我々は、「暗黒時代や戦争、苦しみや貧困などを経験するはずではな」く、「愛の世界、無限の世界を生きるはずだった」(『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない 下』p,430)という。
そうなっていないのは、レプティリアンによるハッキングがあるためです。
我々の知覚がレプティリアン血族による、多方面からの策略・攻撃・支配によってハックされているために、我々は、恐怖や苦痛を経験する羽目に陥っています。
苦しみや恐怖は、レプティリアンたちにとってのエネルギー供給源なので、意図的に作りだされています。
教育、宗教、メディア、エンターテインメントによって。
教育:長所を伸ばすのではなく、短所にフォーカスすることで、劣等感を植えつけられる。
宗教:正しいことをしないと、リーダーの言うことを聞かないと、神の罰があるとか、来世に行けないと脅す。
メディア:連日、様々な暴力、争い、おぞましい出来事を報じて、不安や恐怖を煽る。
エンターテインメント:暴力描写で、人間の本質についての信念を無意識に植えつける。
これらに触れ続けることで、「人間の本質は暴力であり、戦争だ」「人生は苦しみの連続だ」「それを変えるには、お前は無力だ」ということが、無意識に植え付けられていく。
こうした様々な策略によって、自分の苦しみが、あたかも「現実的」であると感じるように、仕組まれている。
そして、「苦しみに意味がある」、こんなことを思っていると、まさにそれを体験する現実が作られる。
宗教は、レプティリアンによる地球支配のためのツール
キリスト教をはじめ、聖書の宗教は、レプティリアンが作りました。
それは、彼らによる地球支配を強固にするための、また彼らにエネルギーを供給するためのツールでした。
人生の多くの側面で、苦しみにフォーカスしてくれれば、レプティリアンは常にエネルギーを得ることができ、地球人類を奴隷にしておくことができます。
だから、キリスト教の教えに、「苦しみの奨励」という面があるのは、当然なのです。
苦しむことがあっても、ゲームにとらわれない
しかし、こうした洗脳から覚めている人は、苦しむことがあっても、それにとらわれないということができるのだと思います。
これが、ゲームに過ぎないことを見抜いている。
「ただ愛を体現しなさい」というメッセージをずっと流している年輩の友人がいます。
おそらく、この人は、「苦しみに意味がある」という信念を超えたところで、物事を見ている。
苦しみにとらわれないためには、この世界の真相や背景を知ることに加え、喜びに意味を見出していく必要があるのではないでしょうか。
アイクは、先の本で、様々な不正に反対して抗議するのではなく、なにかを求めて活動してはどうかと提案します。
"戦争に反対するのではなく、平和を求めよう。新世界秩序やグローバル化に反対する代わりに、人類すべての自由と正義を求めるのだ。"(p,465)
きざな言い方に聞こえるでしょうが、そうではありません。
"言葉や力点の置き方を少し変えるだけでも、生成される知覚とエネルギーを根本的に変えることができる"(p,465)のです。
レプティリアンの嫌うもの
レプティリアンにとって、不安や恐怖、怒り、ストレスが好物ならば、彼らの嫌うものは何だと思いますか?
愛、平和、調和、気遣い、敬意、感謝、喜びです。
「心臓から脳へと向かう神経の方が脳から心臓に向かう神経よりも多く、心臓の電場と磁場は、脳の60倍も」(p,455)あります。
だから、「愛や感謝や思いやりは、恐れ、嫌悪、怒り、恨み、落胆、憂鬱の5000倍も強力」(p,455)なのです。
こうした感情によって、地球人類の心臓が一貫性を持つと、レプティリアンには太刀打ちできないから、彼らは必死になって、その真逆の感情を持つように仕向けてきたのです。
これからも、苦しいとか辛いと感じる経験をするかもしれません。
でも、それにとらわれて、レプティリアン血族にエネルギーを与えないために、愛や感謝や思いやりなど、心臓・ハートのパワーを強くするところに意識を向けましょう。
聖書の表現をすれば、「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。」(ローマの信徒への手紙12章17節)となります。
悪をされても、善に、自由に、正義に意識を向ける。
恐怖や怒り、不安を一瞬は感じても、そこにとらわれ続けるのではなく、喜び、愛、感謝、思いやりに集中する。
それこそが、今、必要ではないでしょうか。
心臓のパワーや、それを発揮するワークについては、こちらをご参照ください。
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