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マトリックスにつながれた人々は、われわれの敵ではない
“マトリックスはシステムだ。そして、そのシステムが敵なのだ。
内側にいるとき、周りには何が見える? ビジネスマン、教師、弁護士、大工。
われわれが救おうとしているのはまさにこの人たちの心だ。
だが、それがかなうまでは彼らはシステムの一部であり、つまりわれわれの敵ということになる。
ほとんどの人間はまだプラグを抜かれる準備ができていない。
そのことを君は知っておく必要がある。
それに多くの人はあまりに……救いようもなくシステムに依存している。
だから、それを守るために戦おうとするだろう”
(映画『マトリックス』モーフィアスのセリフより)
デーヴィッド・アイクは、『マトリックスの子供たち 下』で、このセリフを「洞察力に富んだ言葉」(p,419)と評しています。
なぜなら、「私たちが直面するジレンマを要約している」(p,419)からです。
まず重要な点として、マトリックスに繋がれた人々――洗脳から目覚めていない人々、眠っている人々、羊など――は、皆さんの個人的な敵ではないということです。
なぜなら、もし「この話を「私たち」と「彼ら」の対立・戦争と見なすと、単に私たちがどれほどそこに繋がれているかを確認するだけになってしまうから」(p,419)です。
これは、「「戦い」と捉えるべき種類のものではない」と、アイクは指摘します。
「なぜなら、戦えば、私たちも彼らと同質のものになってしまうから」(p,419)です。
続けて、アイクはこう指摘します。
“だが、マトリックス的思考の人びとが自由の敵であるのは間違いない。彼ら自身の自由の敵であり、「大いなる幻想」の内に存在するすべての人びとの敵である。彼らはマトリックスの門衛(ゲートキーパー)であり、私たちのみならず彼らをも自由にする思考を、希望を、人びとを、情報を抑圧する。”(p,419)
とすると、どういうことになるのか。
“私たちが自由であるためには、すべての人を自由にする必要があるのだ。羊であることをやめるなら、牧羊犬であることをやめなくてはならない。何とも単純なことながら、目下のところ催眠状態にある人間には実に困難に感じられる。だが私たちは、自分が牧羊犬であり、他人の人生や思想を支配したいという欲求に目がくらんでいることに気づいて初めて、牧羊犬であることをやめられるのだ。
(中略)
マトリックスの門衛は誰か? 牢獄の看守は、大いなる幻想の境界監視者は誰か? それは、私たちなのである。”(p,420)
真実を伝えた相手から、「狂人」「変人」「おかしい」「カルトにはまってる?」と言われても、その人たちは「敵」ではない。
また、「彼ら」と「自分」という対立構造で考えるのも、マトリックスの支配を強化することにしか、ならない。
『マトリックス』は映画の必要上、主人公ネオと、マトリックスのエージェントが戦うシーンがありますが、現実の我々には、そういうことはまず起こり得ない。
強く、自分の情報を否認する人に対して無理に関わる必要は全くないですが、そうではなくとも、意欲を挫かれて、彼らを「敵」とみなす思考に陥りやすい状態になることがあります。
そういう時は、モーフィアスの言葉を思い出し、冷静になって、休養を取りましょう。
ある人が、私の伝えた情報を真逆に受け取っていることに、意気消沈していた時に、このモーフィアスの台詞を見ました。
時にこういう、自分が何を相手にしていて、何をしてはいけないかを思い出させてくれる言葉が必要です。
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