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あの世は、この世が見るように、あなたを見ない

 うまく書けるかどうかわかりませんが、ふっとアイデアが降りてきたので、書いてみます。

 この世の成績評価の基準と、あの世・宇宙のそれは違います。

 これは、皆さん、何となくお感じになったことがあるのではないでしょうか。

ディケンズの『クリスマス・キャロル』で描かれるこの世とあの世の対比

 チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』に明瞭に、その対比は描かれています。

 スクルージの友人マーレイが幽霊(原語はGhostly。大文字なので、これはキリスト教でいう「聖霊」を示唆しています)になって、スクルージの前に現われます。

 そして、あの世に行って、後悔して、これではいかんと思ったから、友人であったスクルージに、生き方を変えてもらおうと思ったと、やってきた理由を説明します。

 それを聞いて、スクルージは、「でも、君は仕事をあんなに頑張ったではないか」と言います。

 すると、マーレイは「仕事だと?そんなものよりも、この世ではもっとやるべきことがあったのだ」と言います。

 "人間こそ、わしの仕事だったのだ。万人の幸福こそ、わしの仕事であった。慈善、情け、寛容、そして、思いやり――それらがみな、わしのなすべき仕事だったのだ。商売上の取り引きなんぞは、わしに課せられた仕事のすべてから見れば、大海のなかの一滴の水にすぎん!"

チャールズ・ディケンズ(脇 明子訳)『クリスマス・キャロル』岩波少年文庫、2001、p,47

 この世の基準というのは、「どれだけお金を稼いだか」「どれだけ仕事をしたか」、そしてそれに付随する学歴・経歴で、自分や他人、人生を測るものです。

 それが、どれほど人を苦しめ、追い詰め、時に死に追いやるものであるか。

 我が家も、こういう基準で物事を見ます。

 あの世に持っていけないものを、あまりに重んじることに、私は幼少期からついていけないものを感じ、また同時に苦しめられてきました。

 今も苦しめられていますが、多少、やり過ごす術は身に着けました。

善行をしても、金を稼いでいなければ、無価値と判断する価値観

 例えば、私が以下の行動のうち、どれか一つを、一日のどこかでしたとします。

・近所の公園のゴミ拾い
・困っている人の荷物を持ってあげたり、声をかけたりした
・道に迷っている人に、どう行ったらいいかを教えた
・誰かの相談に乗って、気持ちを楽にさせてあげた
・気功でヒーリングをした
など

 帰宅して、このことを、母に言ったとします。

 私は別に母に褒めてほしくて言っているのではなくて、一日、何をしたかを伝えているに過ぎません。もはや賞賛を求める年齢ではありませんしね。

 すると、大抵、母が言うのは、「そんなことより、仕事したら?」「それでいくらもらえるの?」「そんなことがお金になるの?」です。

 もう少し他に言うことはないのかと思いませんか?

 これは、ゆたかさんが何度かブログで書かれている、爬虫類脳の発想そのものです。

爬虫類脳とは動物的本能。

つまり『生存本能』や『防衛本能』です。

脳がサバイバルモードなんです。

だから『損得勘定』しかないんです。

エサ(金)を少しでも多く得るために、良い学校へ行って、良い会社に入ることしか考えていないんです。

弱肉強食の競争社会で勝つという動物的発想です。

爬虫類脳と人間脳の違い その1

 しかも、「エサを多く得る方法が、良い学校に行って、良い会社に入る」一択しかないという、トンデモ発想です。

 学校の先生も、どうやってお金を稼ぐのか、全く知らないので、教えられません。

 母はいまだに、「いい学校を出て、いい会社に入って、いい結婚をするのが幸せ」という、時代錯誤な発想をしております。

 もうこれが一昔前のモデルであり、今は多様なモデルがあること、また私自身がこのレールからズレていて、戻るつもりがさらさらないことを理解できません。

 これをお読みの皆さんの周りにも、こういう人はいるかもしれません。

 話を戻すと、多くの人は、お金の稼ぎ方を知りません。

 そして、半強制的に、「良い会社」に入って、心優しい人ほど病んで、壊れて、「お金を稼げない自分はダメだ」「社会になじめない自分はダメだ」と責めてしまいます(かつての私もこうでした)。大丈夫です、あなたがダメなのではありません。こういう社会がとてもとてもとても異常なだけです

 なお、「お金を稼ぐ」ことについては、本記事の範囲外なので、坂口恭平『お金の学校』(晶文社)をお読みください。 

爬虫類脳は脊髄反射のインスタント否定

 脊髄反射でインスタント否定というのも、爬虫類脳の発想です。

 相手の気持ちになって、考えられない。

・その人がどういう思いでその行為をやったのか
・その人がどういう思いで、それをやったことを伝えているのか

 これらを考えることができず、「お金」という基準で、全否定する。

 別に悪行をやったのではありません。

 客観的に見ても、善行だと思います。

 でも、「金になっていない=ゼロ査定」なわけです。

 そして、それがいかに異常で恐ろしい発想かに、全く気づいていない。 

ケモノ性とは『排他的』『攻撃的』『否定的』

頭も心も使わずにインスタント否定をするだけなんです。

人間なら、まずはジックリ話を聞いてみること、相手をよく知ること、理解することをします。

前傾ブログ

 この世の多くの人々は、爬虫類脳多用者ですから、どうしても人を見る社会の基準が、爬虫類脳的になります。

「今だけ・金だけ・自分だけ」は、宇宙とあの世から見ると異常

 しかし、金・経歴・学歴等々で人を見て、その人がどんな人かとか、本質や全体で見ないというのは、宇宙から見れば、狂気の沙汰であり、非常識な見方です。

 また、あの世も、金・経歴・学歴等々という見方では、その人間を見ません。

 むしろ、良い動機や意図をもって人々を助けたり、生命を大事にしたりすることが、高く評価されます。

 これは、聖書やシルバーバーチ、シュタイナーの本など、様々な本で述べられています。

 シルバーバーチは、「人のために生きる者こそ、最も神に近い存在」だと言います(この反対は、ケモノに近いということです)。 

永遠に変わらぬものは〝愛〟です。

人のために尽くしたいという願望から発する真実の愛です。私どもは肩書も党派も教義も宗派も興味ありません。その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。

 私どもにとっては〝人のために尽くすこと〟が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ、最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。

『シルバーバーチの霊訓(二)』一章 人のために役立つことを

 シルバーバーチは無料で読めるので、リンクを辿って、気になるところをお読みください。

 この世とは違う基準に接して、人によっては驚かれるかもしれません。

異なる世界の基準を知ることで、自分の基準を相対化する

 他の世界・文化を知ることで、自分の世界・基準を相対化できます。

 これはとても大事なことです。

 自分が普段知っている基準しかないと思うと、そしてそれが苦しみを絶え間なくもたらしてくると思うと、人は絶望するしかありません。

 しかし、それが普遍的なものではなく、ある時代・状況・世界でしか通じない相対的なものだと知ると、ちょっと息がつけるようになります。

 だから、いろんな人に会って話を聞いたり、いろんな本やブログを読んだり、異なる考えに触れることは、自分の世界を広げることにつながるので、良いことなのです。

 異なる世界を知ることで、生きる力が湧いてくることもあります。

 ゆたかさんがこの記事の最後で書かれているように、地球には、地球以外の情報(あの世・宇宙・宇宙人・他の星・神・天使などの情報)が圧倒的に足りません。

地球に足りないのは、地球以外の情報なのです。

地球しか知らない人たちばかりだから、地球の異常さに気付かないでいるのです。

このチッポケな世界だけが、全てだと思っている人たちが大半なのです。

だから、いつまでも金を崇拝し、権力者に盲従し続けているのです。

監獄社会で賃金奴隷にされていることに、疑問すら感じていないのです。

でも、他の世界をたくさん知ることで、この世界のことが見えてくるし、目覚める人も増えてくるはずです。

知りたいのは、そんなことじゃない


  私は地球になじもうと努力した時期がありますが、それは自己否定以外の何ものでもなく、辛さが増すことにしかなりませんでした。

 なじめなくていいんです。

 それは、あなたが愛溢れる世界にいたからこそ、強く感じるからです。

 今なら、当時の自分にそう言います。

 私自身は、インディゴチルドレンのブルーレイという種類だと思いますが、スターシードとしての記憶はありません。

 ただ、漠然と、「この社会・世界は異常」「なぜすぐに暴力・暴言が出るのだ?穏やかに言葉で言えばいいではないか」「なぜみんな金で自他を見るのだ?」という疑問・違和感は抱いていました。

 ただ、それらの疑問・違和感の源は、最近までは、はっきりわかっていませんでした。

 違う世界の基準を魂に刻印されているから、そことあまりに違い過ぎるものになじめないのです。

この星では、知性とは人や動物や全体の喜びと幸福のために使うものではないらしい…

そして、人を兄弟姉妹とは見ていないらしい…

一番驚いたのは、人が困っている姿を見ても何も感じない非情さと、何もしない薄情さだった…

後々分かったのは、この星では人を蹴落として人よりも多くを得た人、多くを所有した人、多くを搾取した人、多くを溜め込んだ人が立派と言われる謎の価値観だった…

私は、こんなトチ狂った世界で生きていかなくてはならないのか…

いったい… 何の罰ゲームだよ…

実話小説【生まれ変わったら、そこは異世界だった】第1話 ここはどこ?

皆さん一人一人がユニークな存在です

 スターシードであってもなくても、心優しい皆さん、社会のいろんな圧迫・暴力に押しつぶされ、苦しんできた皆さん、皆さんは全く異常ではありません。おかしくもありません。病気でもありません。

 この世界の基準が、あまりにあまりにあまりに狭いために、皆さんの真価を測れないのです。

 だから、簡単なラベルを貼って、安心したり、全力で否定して、ないことにしてしまおうとしているのです。

 皆さんが、この世的にたとえ何もしてなくても、一円も稼いでいなくても、あなたがこの世に生きている、そのことだけで尊いのです。
 
 なぜなら、宇宙にはあなたという人は、あなたしかいないからです。

 このことを祝福せずして、金や経歴や学歴を礼賛して何になりましょうか。

 私は多分、実家から完全脱出を図るまでは、親や他の家族などから、圧迫を受けるでしょうが、自分の信じるところに従って、歩んでいきます。

自分自身を愛しなさい。自分自身に対して賢いことを行いなさい。愚かにも自分の運命を捨てて、あなたから奪うだけの人間のために生きるのではなく、自分自身の中にあるより偉大な運命のために生きるのだ。そのような人間のために生きても、彼らは都合のいいときにあなたから去っていき、あなたは見捨てられたように感じるだけである。彼らは奪うだけ奪って去って行くからだ。愛がどこから生じるかを理解し、その愛になりなさい・・・

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