個人史:いつ、虐待だと気づいたか
虐待は他人事だと思っていた
親から子への虐待というのは、随分、長く、私にとっては、どこか、他人事でした。
全く無関心だったわけではありませんが、どこか、遠い話のようにも思っていました。
いつ、自分が両親から受けてきたのが、虐待だと気づいたか。
きっかけは些細なことでした。
2016年2月のある朝に、あることが、起きました。
2016年頃の背景情報
その前に、いくつか、背景となる情報を記します。
当時、私は、ある出版社に勤め、楽しく仕事をしていました。
また、父は弁護士をしつつ、とある会社の役員をしていました。
私が出版社で働き始めてから2015年までは、両親と私の確定申告は、父が、自分の所属する弁護士事務所の税理士に頼んで、一括してやっていました。
気づいた時はいきなりそういうことになっていたし、便利だと思って、特に何も言いませんでした。(「気づいたら、そうなっていた」というか、私に情報が降りてこないまま、何かが変わっているというのが、よくあったことに、後々、気づくようになります)
2016年2月10日(水)朝に起きたこと
それで、2016年も、一括での申告をするのだと思っていましたし、直前まで、そんな話が出ていました。
2016年2月10日(水)の早朝、こんなことがありました。
朝食を食べ終わって、リラックスして、これから仕事に行くという時でした。
突然、父が、前置きもなく、書類を私の横から突き出し、「確定申告は各人でやることになった。これが書類。あとは自分でやれ」と冷淡な言い方で、言ってきました。
話の差し出し方があまりにぞんざいで絶句しました(もちろん、確定申告は自分でやりました)。
今でも思い出しますが、「なんでこのタイミングで、こういう言い方をしてくるわけ?」と、内心、仰天というか、困惑したのを覚えています。
いろんな感情が渦巻いていて、うまく言葉にならないながら、「どうしてそういう言い方をするのですか。もっと穏やかに、各人でやることに決まったと言えばいいじゃないですか。先週、税理士さんにお願いすると言ったのはどこの誰だよ」と言ったものの、息子が「わけのわからないことをゴチャゴチャ言っている」という冷たい眼差しで、両親ともに取り合ってくれませんでした。
これは、かなり、ゾッとしました。
この日は、一日中、心中、穏やかではありませんでした。
心がかなりざわざわするような、冷たい言動で、その理由が全くわからなかったからです。
夜、定期的に行っている講座がなかったら、爆発していたことでしょう。
爆発したら、両親は「息子がますますおかしくなった」とみなすであろうことがわかっていたので、抑えるのに苦労しました。(自分たちが原因だとは、多分、露ほども考えなかったでしょう)
この日を境に、疑問が渦巻くようになる
しかし、この日からずっと、「どうして、父はあんなに冷たい言い方をしたのか。母も取り合ってくれなかったのか。なぜなんだ」という疑問が、脳裏を渦巻くようになりました。
それ以前の人生で、親からの肉体的暴力は若干ありましたが、ほとんどは精神的暴力、皮肉や当てこすりを、何かの時、こちらが予期していない時にやられました。
予想していないわけですから、かなり傷つきました。
文句を言っても、それは傷つくといっても、「正しいことを言っているんだ。何が悪い」という態度で、非を認めませんでした。
仮に認めても、改めることはありませんでした。
読書、文章を書くこと、ピアノ、歌という自分からやりたいと言ったものは今でも続けていますが(音楽関係は物理的理由でできていない)、親が無理やりやらせたものはことごとく、途中でやれなくなりました。
成人してからも、何かをやれなくなると、続けてこられたことは無視して、「お前はすぐに諦める。だめな奴だ」と言われました。
先日の記事でも書いたように、教会に行けない事情を考慮されず、「お前はすぐにやめる。教会に行かなくなった」と言われる、そういうことが、振り返ると、よくあったと思います。
どの人の行動にも、何かしらの理由がある、という当然のことが、考慮されません。
親が勧めたものを続けられなかった、だから、駄目。
無茶苦茶です。
また、ずっと続ければ良いというものではなく、続ける意欲がなくなったり、その場が、学びにふさわしくないと思って退くのは、誰にでも、起こり得ることです。
とにかく、いろんな形の暴力を受けてきたことに気づくようになって、ショックを感じたものです。
“加害者の暴力をはっきり認めるようになると、被害者はショックを感じる。この思いがけない発見に、被害者は深い心的外傷を負う。また、このショックには痛みと不安がともなう”(マリー=フランス・イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメント』)
このイルゴイエンヌの言葉は、まさしく、その通りだと思いました。
まだはっきりとした自覚はなかった
とはいえ、まだこの時点では、はっきり”虐待”とは、自覚していなかったと思います。
丁度、いろいろなことを毎日、メールしている友人がいました。
この2016年2月10日の件も、伝えました。
2016年は私にとってとてもハードな一年でしたが、この友人をはじめ、何名かの方が、ジャッジせずに、親身に話を聞いてくれたおかげで、私は自分のことにじっくり向き合っていくことができました。
「真実はあなた方を自由にする」という、ヨハネ福音書にあるイエスの言葉だけを頼りに歩んでいました。
この日を境に、今まで充分な注意を払っていなかった、いろいろな暴力や、理不尽なことを思い出すようになりました。
小学3年生の時の記憶
先日の記事でも書きましたが、肉体的暴力で忘れられないことがあります。
今でも忘れないということは、子どもの私にとって、相当、ショッキングなことだったのでしょう。
小学3年生の頃、自宅から一分とかからない場所にある公園で、友人たちと遅くまで(18時頃まで)遊んでいました。
うちの門限は17時。
母が血相変えて「帰ってきなさい」と言ってきたのもあって、18時に帰りました。
すると、「さっさとシャワーを浴びなさい」と言って風呂場に連れて行かれ、風呂場に入ると、シャワーのヘッドで、私の首の後ろを殴りつけ、そのまま戻っていきました。
門限を遅れた罰としても、これはやり過ぎです。
当時は考えもしませんでしたが(突然の暴力にビックリしていたので)、もし母に「お母さん、これは暴力だよ。やめてよ」と反抗したら、更にひどいことになっていたでしょう。
実は、この後の記憶が、どんなに思い出そうとしても、思い出せません。
シャワーを浴びたのかどうか、服を自分で着たのかどうか、夕食を食べたのかどうか、全く完全に記憶がありません。
アリス・ミラーの本を読んで、自覚が芽生える
さて、先の友人に、この件も伝えると、アリス・ミラーの『魂の殺人』という本を勧められました。
丁度、少し前に手に入れていたので、読みました。
それを読んで、「あ、私が受けてきたのは、虐待だったんだ」と、気づきました。
それはそれでショックだった半面、自分が受けていたのが暴力・虐待だったと、はっきりわかって、自分を責める必要はないとわかったのは良かったです。
今回はここまで
とりあえず、今回はここまでにしておきます。
2016年2月の件とか、小学3年生の時の話などは、2016年8月に書いたある文章が元になっています。
今、読み返したら、持病の神経痛が腹部に出てきました。
やはり、今でも完全には払拭できていないことがわかります。
この虐待体験の記録は、多分、時系列で書くことはできないと思います。
なるべく、読む人がわかりやすいようにはしますが、そこは、どうか、ご容赦ください。