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クリスマス――正しさの先にあるもの

クリスマスの起源は悪魔崇拝かもしれないが・・・

 以前、「クリスマスの起源 // 古代ローマの悪魔崇拝とサタンのキリスト教会」という動画の書き起こしを掲載しました。

 クリスマスとは、「古代ローマのサートゥルナーリア祭に起源を持つ。それは、キリストや聖書と一切関係なく、キリストの名を利用して、人間に悪魔崇拝をさせるのが目的である」というのが主な趣旨です。

 その記事で示唆したように、クリスマスについてどう向き合うかというのは、私にとってそう簡単な話ではありません。

 確かに聖書には改竄の跡が見られるし、「イエスはこういうニュアンスで、このことを言わなかったのではないか」と思われる箇所がいくつかあります。

 また、牧師や学者や長く信仰生活を送った信徒の言うことを鵜呑みにするのは、非常に危険であるとも思います。

 少なくとも、ハートが凍り付いて、マインドでしか読まないような人の聖書解釈は何の参考にもならない。

 だからといって、聖書に記されていることの全てを嘘とみなすのは、あまりに乱暴ですし、またそれは、聖書を読み、感じ、生きてきた人たちの無数の思いに対しても、あまりに冷たく心無いことのように思われます。

 事柄の正邪が明瞭に見定められることよりも、そうでないことの方が、人生の多くを彩っているのではないでしょうか。

 矛盾とも何とも言い難い中を生きながらも、聖書に体当たりでぶつかり、そこから明日を生きる力を得てきた人たちの思いを無視し、踏みにじることこそ、誠実や正義に反し、またあまりに、非人間的な行為だと思われます。

 今回の記事では、三人の人の、クリスマスを巡る思いを取り上げたいと思います。

チャールズ・ディケンズ(1812-1870)

 最初は、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』からの引用です。

 “この精霊が登場する小さな本で、私は彼らにある理想を託してみた。そのことがどうか読者のみなさんの気を損ねることのないように。また、このことが不和の原因となったり、クリスマスに対して、さらに書き手である私に対して不穏な感情を生んだりすることがないように。願わくは、精霊たちが皆さんの家々に歓喜をもたらし、人々が精霊を退治しようとしたりすることのないように。

 I HAVE endeavoured in this Ghostly little book, to raise the Ghost of an Idea, which shall not put my readers out of humour with themselves, with each other, with the season, or with me. May it haunt their houses pleasantly, and no one wish to lay it.”

 これは『クリスマス・キャロル』の序文。日本語訳では光文社から出ている本にだけこの序文があり、他の翻訳にはこれがない。

 この序文でディケンズは、こう言おうとしている。「この『クリスマス・キャロル』という本を読むと、すぐには受け入れがたいこともあるかもしれない、不快に思うこともあるかもしれない、でも、どうか、読者の皆さんが気を損ねることのないように、精霊を退治しようとすることのないようにと願う。」

 『クリスマス・キャロル』には「教会」という言葉は出てくるが、教会で祈っている人の姿も教会も出てこない。

 ここには、ディケンズの明確な意図と教会への批判がある(後述)。

 「精霊」の原文” Ghostly”とは、キリスト教でいう「聖霊」(Holy Ghost)を指している。

 つまり、人生の意味を照らし出してくれる存在のことである。

“まず最初におことわりしておきますが、マーレイは死んでいました。そのことに、疑いの余地はありません。〔中略〕つまり、マーレイ氏が死んだことは、ドアに打った飾り釘が死んでいるのとおなじくらい、たしかなことだったのです。" (チャールズ・ディケンズ(脇明子訳)『クリスマス・キャロル』1843)

 この物語は死者を語ることから始まる。

 ディケンズにとって「死者」とは、幽霊と精霊の間の存在、彼方の世界を告げる者である。

“「お前たちのこの世には」と幽霊は言葉を返しました。「わたしたちと知り合いだなどと言いふらし、実際には自分の欲望や見栄、悪意や憎しみ、ねたみ、がんこさ、自分勝手などでやったことを、さもわたくしたちの名においてやったかのように言い張る者たちがおるようだ。そんな連中はわたしたちとも、(わたしの)親類縁者のだれとも、まだこの世に生まれていない者同様、まったく何の関係もない。いいか、そんな連中の行いの責任は、その者たち自身にあるのであって、それでわたしを責めるのはまちがいなのだ。」” (『クリスマス・キャロル』)

 ここでの「幽霊」という言葉は、原文では”sprit”である。

 日本の訳者はみんな「幽霊」と訳しているが、本当は「精霊」と訳すのが正しい。

 おそらく、この作品がキリスト教の霊性に裏打ちされた物語であることを、「幽霊」と訳す人々は把捉できていないのだろう。

 「お前たちの」、これは聖職者のことを言っている。

 当時の社会では、火を炊くのは労働に当たるというので、安息日に火を炊くのは禁止された。パン屋も火を止めてしまう。貧しい人たちはその余熱でパンを焼く。それを見て聖職者たちは「パンなんか焼いてないで、教会に来て献金しろ」と言う。「それは違うのではないか」と、ここでディケンズは言っている。だから、この物語には教会で祈る人の姿が出てこないのだ。反対に、教会に行けない人がたくさん出てくる。

 ディケンズのいうクリスマスとは、我々が教会に集う時ではなく、街に出て、苦しんでいる人や病んでいる人たちに手を差し伸べる時である。

 生活の困窮や貧困や病で苦しんでいる人の目の前を素通りするな、ディケンズはそう言うのである。

 20世紀フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスが、マタイ福音書25章41-46節を深い感銘を抱いて引用していたことを、ここに重ねたく思う。

 誤解しないでいただきたいのだが、ディケンズは、「クリスマスは教会に留まるべきではない。社会活動をしなければいけない」と言っているのではない、ということである。

 「クリスマスに教会に集う。『今日、ここに救い主が来られました』と言う。果たして、それが、イエスの、あるいは聖書の求めているのことなのか。それが、教会の業なのか」を、ディケンズは問うている。

 教会には毎週行っていた時期と、行けなかった時期と、そして、行かないと決めた時期がいろいろある。

 その全てを含めて感じるのは、教会が「非常に内向きな場」という印象である。

 「世の人々にイエスの福音を伝えたい」と言いつつ、発想が、非常に内向き、時にとても利己的ではないかと感じることが、一再ならずあった。

 キリスト教的な世界観と霊性に基づいて描かれたディケンズの『クリスマス・キャロル』が、多くの人々に読まれてきたのは、この作品が、とても外向きで、平易で、人の魂に訴えかける暖かさを持っているためだ。

 クリスマスをどう過ごすか。

 ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読み、彼がこの作品に込めた意図に思いを馳せる。

 そんな一日があってもいいのではないだろうか。

内村鑑三(1861-1930)

 強い文学嫌いであった明治のキリスト者・内村鑑三に魅せられた人には、文学者が多い。

 その内村が認めた唯一の例外がディケンズである。

“クリスマスはまた来たりました。悲しくもあります。喜ばしくもあります。
 まず、悲しいことから申しましょう。過ぐる年のクリスマスに私どもと顔を合わせて共に志を語りし私どもの友人にして、今はこの世にその影をとどめないものは幾人もあります。〔中略〕
 しかし世を逝った友人はあきらめることができます。あきらめんと欲してあきらめることのできないものは、いまだ世に存するも、一時のわずかな誤解のためにわれらをそむき去った友人であります。” (内村鑑三「クリスマス述懐」1903)

 クリスマスは、亡くなった人とだけでなく、今生きていて、私たちを去った人とも和解する時であると内村は言う。

“平和の君が世に臨みたまいしというこの時に、私どもは旧怨はすべてこれを私どもの心より焼き払わんと努めまするが、さりとてまたこの世はやはり涙の谷でありまして、悲哀をまじえない歓喜とてはない所であると思いますれば、クリスマスの喜楽(たのしみ)の中にも言い尽くされる悲歎(なげき)があります。”

 私たちの内にある離れた人への憎しみや悲しみを焼き払いたいと思うが、それは世が許してくれないと内村は言う。

“私は世に誤解された時(註:不敬事件のこと)にもっとも明白に来世の存在を認めました。私は骨肉友人の誤解をもっとも辛らく身に感じた者であります。私はその誤解を取り去らんために私の知る総ての方法を尽くしました。しかしそのまったく無効なるを知りまして、一時は非常に失望致しました。
 しかしながら聖書を読み、ことに黙示録を読みまして、しかる誤解の生涯がキリスト信徒の生涯であることを悟り、それと同時に神が私どもにより善き国を備えたまいしを知りまして、私の涙はぬぐわれました。私は眼に涙をたたえずして、いまだかつて黙示録の第二十一章を読んだことはありません。

 神、彼等の目の涙をことごとくぬぐいとり、また死あらず、悲しみ、痛み、あることなし。そは前の事すでに過ぎ去ればなり。(黙示録四節)

 ああ、これあれば足りるのであります。これあれば人に何んと思われてもよろしゅうございます。国賊として苦しめられましょうが、乱臣としてしりぞけられましょうが、不孝者として疑われましょうが、偽善者として遠ざけられましょうが、これあれば、私に痛み悲しみはありません。
 来世の希望が私に供せられた時に、私は始めて息気(いき)をついたのであります。この時に初めて私は人らしき人と成ったのであります。その時から宇宙も人世も私には楽しきものとなりました。” (内村鑑三『キリスト教問答』1905)

 ここに、シオラン『涙と聖者』の最初の一節を重ねてみたく思う。

“私たちを聖者たちに近づけるものは認識ではない、それは私たち自身の最深部に睡っている涙の目覚めである。そのときはじめて、私たちは涙を通して認識に達するのであり、そして人がひとりの人間であったあとでいかにして聖者になりうるかを理解するのである。”
 (E・M・シオラン(金井裕訳)『涙と聖者』紀伊国屋書店、1990(1986)、p,25)

 「これあれば人に何んと思われてもよろしゅうございます。」の「これ」――それが何であれ――をつかんでいれば、人にどう思われようと、頭がおかしいと思われようと、そして、先行きの見えない世界情勢・社会情勢だろうと、何の痛み悲しみがあるというのだろうかと、内村は言うのである。

 クリスチャンに対して失望したことは多々あるが、567対策禍における狼狽えぶり、そして、枠珍と黙示録を重ねて見ることのできないお粗末な聖書読解には、失笑を禁じ得なかった。

 「これあれば人に何んと思われてもよろしゅうございます。」と言う人は、おそらく、今は教会にすら、いない。

 “夜がきたらなければ森羅万象が眼に映らないように、つらい生涯の経験に会わざれば、来世は明らかに見ゆるものではないと思います。しかし、貴下(あなた)にもいつか、そのつらい、うれしい時が到来するでありましょう。” (内村鑑三『キリスト教問答』1905)

太宰治(1909-1948)

 内村はとても厳しい人で、もし内村が太宰治と会ったなら、多分太宰を厳しく叱責したであろう。

 そんな太宰は、内村が好きであった。

“昨年の暮、いたたまらぬ事が、三つも重なって起り、私は、字義どおり尻に火がついた思いで家を飛び出し、湯河原、箱根をあるきまわり、箱根の山を下るときには、旅費に窮して、小田原までてくてく歩こうと決心したのである。路の両側は蜜柑みかん畑、数十台の自動車に追い抜かれた。私には四方の山々を見あげることさえできなかった。私はけだもののように面を伏せて歩いた。「自然。」の峻厳に息がつまるほどいじめられた。私は、鼻紙のようにくしゃくしゃにもまれ、まるめられ、ぽんと投げ出された工合いであった。
 この旅行は、私にとって、いい薬になった。私は、人のちからの佳い成果を見たくて、旅行以来一月間、私の持っている本を、片っぱしから読み直した。法螺でない。どれもこれも、私に十頁とは読ませなかった。私は、生れてはじめて、祈る気持を体験した。「いい読みものが在るように。いい読みものが在るように。」いい読みものがなかった。二三の小説は、私を激怒させた。内村鑑三の随筆集だけは、一週間くらい私の枕もとから消えずにいた。私は、その随筆集から二三の言葉を引用しようと思ったが、だめであった。全部を引用しなければいけないような気がするのだ。これは、「自然。」と同じくらいに、おそろしき本である。
 私はこの本にひきずり廻されたことを告白する。ひとつには、「トルストイの聖書。」への反感も手伝って、いよいよ、この内村鑑三の信仰の書にまいってしまった。いまの私には、虫のような沈黙があるだけだ。私は信仰の世界に一歩、足を踏みいれているようだ。これだけの男なんだ。これ以上うつくしくもなければ、これ以下に卑劣でもない。ああ、言葉のむなしさ。饒舌への困惑。いちいち、君のいうとおりだ。だまっていておくれ。そうとも、天の配慮を信じているのだ。御国の来らむことを。(嘘から出たまこと。やけくそから出た信仰。)
 日本浪曼派の一週年記念号に、私は、以上のいつわらざる、ぎりぎりの告白を書きしるす。これで、だめなら、死ぬだけだ。(太宰治「碧眼托鉢――馬をさへ眺むる雪の朝かな――」1936)”

 1936年は太宰が最低の時であり、世に認められていない時である。

 こういう時期においてこそ、人の中で何かが育まれ、それが人生を決定づけていく。それが作品として結実するかどうかは、大したことではない。

“私は不器用で、何か積極的な言動に及ぶと、必ず、無益に人を傷つける。友人の間では、私の名前は、「熊の手」ということになっている。いたわり撫なでるつもりで、ひっ掻いている。塚本虎二氏の、「内村鑑三の思い出」を読んでいたら、その中に、「或ある夏、信州の沓掛(くつかけ)の温泉で、先生がいたずらに私の子供にお湯をぶっかけられた所、子供が泣き出した。先生は悲し相な顔をして、『俺のすることは皆こんなもんだ、親切を仇にとられる。』と言われた。」という一章が在ったけれど、私はそれを読んで、暫時、たまらなかった。川の向う岸に石を投げようとして、大きくモオションすると、すぐ隣に立っている佳人に肘が当って、佳人は、あいたた、と悲鳴を挙げる。私は冷汗流して、いかに陳弁しても、佳人は不機嫌な顔をしている。私の腕は、人一倍長いのかも知れない。” (太宰治「作家の像」1940)

太宰治の精神・文学が持つたった一つの長所を見抜いた司馬遼太郎

“昭和二十三年に太宰治が死んだとき、私はなりたての新聞記者でした。太宰治という字が読めなくて、「ダザイジ」と読んでいたぐらいで、それほど無知でした。太宰治の小説を読むようになったのは、五十歳なかばからです。以来、全集を五、六回読んでいます。
 得た結論は、彼は破滅型でも自堕落でもないということでした。太宰治の精神、文学がもっているたった一つの長所を挙げよといわれれば、聖なるものへのあこがれという一語に尽きるわけです。
 あの人は『聖書』が好きでした。クリスチャンではありません。ただ座右の書として置いていた。素朴に清らかなものとしてとらえていた。『聖書』の文体が好きでした。よく引用した。そこからなにか着想して短編を書いたりしています。破滅型な作品でさえ、破滅していく主人公の心には、実に聖なるものへのあこがれがあらわれています。” (司馬遼太郎講演「東北の巨人たち」1987『司馬遼太郎全講演3』)

 太宰治の精神・文学がもっているたった一つの長所が「聖なるものへのあこがれ」と指摘した人は他にいるのだろうか。

 ここに、批評家・司馬遼太郎がいる。

正しさは、人を動かさない

 最初に触れた「クリスマスの起源」の動画で述べられていることは、おそらく正しいだろう。

 だが、正しさは人を動かさないし、座っている人間を立たせることもないことを、動画の投稿者は見逃している。

 2千年にわたる、多くの人々の、クリスマスを思う暖かい心は、悪魔崇拝に利用されてきたのかもしれない。

 だが、だからといって、その心情の全てが誤っていたと言うのだろうか。

 人生がそう簡単であったら、人の世の悩みはもっとずっと少なかっただろう。

 ディケンズ、内村鑑三、太宰治の言葉は、正しいか否かという視座にこだわる人には見えない人生の境域を指し示しているように思われる。


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