私の興味あるものとないもの
最近、私の興味のあることとないことの境界線がはっきりしてきたので、書いてみます。
私が興味のあること:魂の牢獄から解放すること、認識・意識・視座を広げるもの・こと・人。私が得意なのもこちら。
私が興味のないこと(あるいは嫌悪を覚えるもの):人を狭い枠組み・牢獄に閉じ込めるもの全般。管理、命令、束縛、抑圧、搾取、暴力。
私は教育や心理学や身体運用や神秘学に興味があるのではなくて、その時々で、意識を広げるものが、教育や心理学や身体運用や神秘学の姿をしているだけです。
だから、「正しい○○」というのにも興味がない。
正解・規則・手続きへの過剰なこだわりは、人を生き生きとさせるものの真逆ですから。
それに、自然の前では、人間の重んじる規則・手続きなど、無力です。
興味のある分野、ない分野
前者で教育について言えば、シュタイナー教育に興味がある一方、後者の受験教育とそれに付随する塾・予備校関連には全く興味がない。
これが、教育のある分野に興味を抱き、別の分野に興味がない理由。
同じことは心理学でも神秘学でもあります。
心理学で興味があるのは、ユング心理学、ジェイムズ・ヒルマンの魂のコード、プロセス指向心理学、アドラー心理学かな。
反対に実験心理学とか、統計心理学、あまりにこの世的な心理学には興味が持てません。
哲学で言えば、「哲学書を読んでいる」というとしばしば勘違いされるので、最近は、具体的な名前――ソクラテスとか、ニーチェとか、シュタイナーなど――を言うようにしています。
何かむずかしい話とか、哲学史に興味があると思われるのです。全くそんなものには興味がない(笑)
ソクラテスは、中学生でも読めますが、非常に平易に、深い話をしています。
ソクラテスを読むと、「人類はほとんどまったく進歩していないな」と思わされます。
余談ですが、ソクラテスの時代、今の政治屋みたいなのは、ソフィスト(弁論家)と言われていました。
その人たちの言っていることについて、ソクラテスが素朴に疑問を投げかけると、真理に全く裏打ちされていないから、全員自爆するんです。
ソクラテスは「それはどういうことなのか?それは本当にそうなのか?それは真理なのか?」と問いを投げかけているだけです。
でも、それに答えようとして、自分でも根拠薄弱なことに気付いて、弁論家は結局、自爆します。
だから、ソクラテスは恨まれたわけです(笑)
山下和美さんの『不思議な少年』という漫画の2巻で、ソクラテスが描かれていますので、一読をお勧めします。
多分、真摯に、真理を求め、問い続ける人は、意図せずして、他人が捉われている枠に気付かせるだけでなく、自爆させることも、意図せずにやってしまうのでしょう。
( ´∀`)あなたのことですね。
そ、そうね・・・(笑)
就職支援プログラムでのこと
去年の後半に通っていた就職支援センターでは、予備校・塾の職員という求人を出されました。
全く興味がなかったので、履歴書の志望動機欄はパンチの効いたものになりませんでした(今思うと、私をよく知らない他人に相談したのが間違いだったとも言える)。
担当カウンセラーにそれを何度も言いましたが、「いいから、これにしなよ。有利だから」というアホなことを言うだけで、全く人の話を聞きませんでした。
相手を流れで見ることができず、俯瞰もできず、傾聴できず、説得してしまう人は、カウンセラーには向きません。そういうキャリアカウンセラーが多いですが。
自分のパターンが見えてきた
自分の傾向に気付いてみると、見事に「意識を広げるものには近づき、取り入れるが、意識を狭めようとするもの・こと・人からは離れるか拒絶する」というパターンが見えてきました。
これが、私の「魂のコード」(ジェイムズ・ヒルマン)なのでしょう。
だから、7京年に一度のサイクルを扱う天縄文理論に今、惹かれているわけです。
これは、宇宙をものすごく広い視座で捉え、人類に今、起きていることを、とてつもない規模で俯瞰させてくれるからです。
詳しくはこちらをお読みください。
逆に、こうなると、占星術が非常に狭く見えてしまうので、興味がなくなってしまう。占星術はせいぜい200年ぐらいで、空間的範囲は太陽系までですから。
ただ、天縄文理論も、「経済から恵財へ」といっていて、お金から完全に離れてはいないので、「これも充分ではないかもしれないな」と感じています。
金の悪魔的働き
お金の悪魔的な働きはともかく、視野を拡大してくれるもの、自分に見えていない枠に気付かせてくれるものに、私は惹かれます。
地球楽園化計画に見る「皇の時代」の片鱗
この「地球楽園化計画」に書かれているテクノロジーは、天縄文理論の「皇の時代の三種の神器」でいう「器(うつわ)」を思わせます。
過酷な労働から解放されれば、おそらくほとんどの人は、魂の牢獄からも解放され、それぞれが好きなことをして、他人に感謝されながら、調和的な生活を営めるようになるでしょう。
小山内洋子さんが研究されている天縄文理論には、それが感じられるので、私は惹かれるのでしょう。
言ってみれば、私は「プリズンブレイカー」なのでしょう。
自分で視野を広げるものを求めるだけでなく、人との語らいの中で、その人が捉われている枠に気付かせ、もっといろんな面を自由に表現できるように助ける。
そんなことも、振り返ると、何度かやってきたことに気付かされます。
これが、一体、どういう仕事になり得るのか、現時点では全くわかりません。
ともあれ、自分の傾向が、一応、言語化できたことを、今は言祝ぎたいと思います。
自分の光を輝かせ続けるだけでいい
「何かができる」という視座で何もできてなくても、自分の光、自分の周波数を発し続けるだけ、それでもいいのです。
私同様、宇宙的な働きをしている人は、地球の狭い社会では、「何もしていない」かもしれません。立派な地位・職業にも就いてないかもしれません。
でも、それでいいのです。
あなたはもっと違うこと、偉大なことをするために、ここにいるのですから。
いや、既にしているのですから。