【世界史】大王の後継者たち~ディアドコイ戦争~第16章 エウメネスがアンティゴノスを裏切った理由
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RAPSCALLI😊N です。
皆さまお元気でしょうか?
だいぶ涼しくなってきましたね
体調にお気を付けてお過ごしください
なお、この記事は連載記事の一つです。ここまでの記事をまだ読んでいないよという方は是非下のマガジンにアクセスして読んでいただくこと強くおすすめします!
1記事1000-1500字程度と読みやすい長さになっているので、これまでの記事に目を通してから本記事を読むと大変分かりやすくなるかな思います。
ちなみに、このペースで行けば40~50記事で完結するかなと考えています。まだまだ道のりは長いですが、私も最後まで頑張って書きますので、今後ともよろしくお願いいたします。読んでくれる、スキしてくれる人が一人でも多いほど私のモチベーションも高まるので、これからも読んでくれると嬉しいです!
それでは、今日の本題にさっそく入っていきましょう!
エウメネスとアンティゴノスの和睦
これまでの記事でも解説したように、トリパラディソスの軍会の後、エウメネスはマケドニア帝国の反逆者として扱われ、討伐を任されたアンティゴノスの猛攻を受け、降伏します。
ここでアンティゴノスにすればエウメネスを獄に入れたり、処刑をするという選択肢も考えられたと思いますが、アンティゴノスはエウメネスを許し、元の領土のカッパドキアの支配をそのままエウメネスに任せてしまいます。
この当時、アンティゴノスは約60歳、対するエウメネスは約40歳。
二人ともアレクサンドロス大王とその父親・フィリッポス2世に仕えてきた帝国の重臣で、アンティゴノスはエウメネスの才能を認めていました。
アンティゴノスとしては無駄にエウメネスを殺したりするよりも、彼を味方に引き入れ、右腕として活用しようと考えたのです。
砦を囲まれ、他に打つ手のないエウメネスはこれを喜んで受け入れます。
こうして、エウメネスとアンティゴノスの敵対関係は終わり、二人が和睦します。
ポリュペルコンからの誘い
こうして和睦した二人でしたが、同時期には摂政のアンティパトロスが亡くなり、その後継を巡ってポリュペルコンとカッサンドロスが対立し、双方が味方を集めていました。
カッサンドロスは早速アンティゴノスを味方につけたため、ポリュペルコンはこれに対応してエウメネスに寝返るよう働きかけます。
エウメネスはアンティゴノスと和睦したばかりのため、彼を味方に引き入れるには相当の良い条件を提示する必要がありました。
そこでポリュペルコンはエウメネスにキンダ(Cyinda)にあった帝国の国庫を利用することを許し、さらにそこに駐在していたアリュギュラスピデス(銀楯隊とも)という歩兵隊を使うことも許します。
銀楯隊は、いわば帝国のベテラン兵からなる精鋭部隊で、アレクサンドロス大王の東方遠征にも従事し、度重なる戦闘で並外れた経験と技量を身に付けていた、帝国内でも最強の部隊だったのです。
更にこれに加え、エウメネスにはアジアの支配を認めるなど、なんとしてもエウメネスを味方につけるような条件を提示します。
帝国の財源と最強部隊の使用をエウメネスに許可する代わりに、アンティゴノスを裏切るよう働きかけたのです。
オリンピュアスからも働きかけ
ポリュペルコンだけでなく、彼と共謀していたオリンピュアスからも手紙がエウメネスのもとに届きます。
その手紙には、エウメネスだけが頼りだと書かれており、オリンピュアスがどのような行動をとるべきかアドバイスを求めていました。
アレクサンドロス大王の母のオリンピュアスからもこのような手紙をもらい、エウメネスはアンティゴノスを裏切る覚悟を決めます。
アンティゴノスとの決別
ポリュペルコンとオリンピュアスのはたらきかけに応じ、まだノラに立て籠もっていたエウメネスはこっそりと抜け出し、キンダに進軍、そこで帝国の精鋭部隊・銀楯隊の3千の兵と合流します。
エウメネスの裏切りを知ったアンティゴノスは軍を率いて討伐に向かいます。
帝国の東半分を巻き込んだ二人の老将の対決がいま、はじまります。
最後に
最後までよんでいただきありがとうございました!
次回からアンティゴノスとエウメネスの対決が始まるのでお楽しみに!
では、次回の記事でお会いしましょう!