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【世界史】大王の後継者たち~ディアドコイ戦争~第3章 プトレマイオスの裏切りとペルディッカスの死

こんにちは。こんばんは。
RAPSCALLI😊N です。

今回もディアドコイ戦争について話していきます。

アレクサンドロス大王の死後、バビロン会議で帝国を家臣団の下で分割統治すること、アレクサンドロス大王の異母兄・アリダイオスが即位してフィリッポス3世として跡を継ぐこと、そしてその摂政としてペルディッカスが政治の実権を握ることが決まりました。

しかし、衝撃的なタイトルからわかるように、全てを手に入れたと思われたペルディッカスは数年もたたないうちに全てを失ってしまいます。

いよいよ、第一次ディアドコイ戦争の幕開けです。

バビロン会議の後、ギリシャなどで反乱が起きたものの、すぐに鎮圧され帝国内に束の間の平和が訪れました。

そこでペルディッカスはバビロンに安置されていたアレクサンドロス大王の遺体をマケドニアに移送することを決めました。

しかし、そこで事件が起こります。

ペルディッカスに権力が集中し過ぎていることに不満を持ったエジプトのプトレマイオスが、マケドニアに移送される途中の遺体をさらって、エジプトに持ち帰ってしまったのです。

もちらんこのような行為をペルディッカスが許すわけがなく、プトレマイオスに宣戦布告し、彼のいるエジプトに進軍します。これが第一次ディアドコイ戦争の始まりです。

ペルディッカスに反旗を翻したプトレマイオスですが、ペルディッカスにうんざりしていたのは彼だけではありません。

フリュギア の統治を任されていたアンティゴノスなどもペルディッカスに協力することを拒否します。

なぜアンティゴノスがこのような行動を取ったのかや、その後どうなったかは次回の記事で話すので、今回はペルディッカスとプトレマイオスの対決に焦点をあてて話します。

さて、大軍を引き連れてエジプトに侵攻したペルディッカスですが、ナイル川を挟んでプトレマイオス軍と対峙します。

ペルディッカスは安全に川を渡れる場所を探し、象や馬を川に配置することで川の流れを緩やかにして渡ろうとしましたが、結局失敗して多くの兵を失います。

戦いが長期化し、何の成果も得られず多くの損害を出したペルディッカス軍では、兵士の不満が高まっていきました。

このままだと兵士の怒りをこれ以上抑えられないと感じたセレウコスなどの部下は、最後の手段に出ます。

セレウコスらはペルディッカスのテントを襲い、何と彼を殺害してしまうのです。

このようにエジプト遠征が失敗し、兵士の信頼を失ったペルディッカスは、マケドニア帝国の摂政であるにも関わらずあっけなく殺されてしまったのです。

完全無欠、戦場では無敗のアレクサンドロス大王の下で長年戦ってきたマケドニアの兵士にとっては、ペルディッカスの一つの失敗も許すことができなかったのでしょう。

彼がいなくなったことで覇権をめぐる争いはさらに激化し、多くの戦争を生んでいきます。

ディアドコイ戦争はまだまだ続きます。

参考文献(日本語文献などがあまりなくごめんなさい、今後充実させます)


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