【世界史】大王の後継者たち~ディアドコイ戦争~第15章 アレクサンドロス大王の母
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RAPSCALLI😊N です。
皆さまお元気でしょうか?
ディアドコイ戦争についての記事は今回で18回目になりました。ここまでの記事をまだ読んでいないよという方は是非下のマガジンにアクセスして読んでいただくこと強くおすすめします!
1記事1000-1500字程度と読みやすい長さになっているので、これまでの記事に目を通してから本記事を読むと大変分かりやすくなるかな思います。
ちなみに、このペースで行けば40~50記事で完結するかなと考えています。まだまだ道のりは長いですが、私も最後まで頑張って書きますので、今後ともよろしくお願いいたします。読んでくれる、スキしてくれる人が一人でも多いほど私のモチベーションも高まるので、これからも読んでくれると嬉しいです!
それでは、今日の本題にさっそく入っていきましょう!
反対勢力の一掃
苦しい情勢を見て、マケドニア帝国の二人の国王のうち、アレクサンドロス大王の異母兄であるフィリッポス3世はその妻・エウリュディケ2世の後押しもあってポリュペルコンから離反しカッサンドロスに味方することを決断しました。
しかし、エピロスの協力でポリュペルコンとオリンピュアスは二人を捕らえ、フィリッポス3世を殺害、エウリュディケを自死に追い込みました。
その後もオリンピュアスはカッサンドロスに味方する勢力を次々と抹殺していきます。
まず、カッサンドロスの弟・ニカノールを殺害し、もう一人の兄弟で数年前に亡くなっていたイオラスの墓を開けて汚しました。イオラスはアレクサンドロス大王の死ぬ間際の酌取り(君主の飲み物を注ぐ人)を務めており、オリンピュアスは彼が息子のアレクサンドロスを毒殺したと考えていたようです。
更にはカッサンドロスに近いと考えた100人のマケドニア人を殺害するなど、カッサンドロス派の人間を徹底的に弾圧しました。
同じマケドニア人を躊躇なく殺害を続けるオリンピュアスの横暴さを前に、多くの人民や兵士の心が離れていきました。
カッサンドロスの北進
マケドニア内部ではオリンピュアスによる反対派の弾圧が進む中、ギリシアではポリュペルコンの手痛い敗北をきっかけに次々と周辺のポリスがカッサンドロスに寝返り、その勢いそのままカッサンドロスはマケドニアへと進軍し、マケドニアの首都ペッラを制圧します。
また、オリンピュアスをピュドナという都市で追い詰め、長期の籠城のすえ、とらえます。
また、オリンピュアスの救援にポリュペルコンが向かいましたが、カッサンドロスの賄賂により多くの兵が寝返り、ポリュペルコンは僅かな手勢を率いてギリシアに逃げます。
更に、オリンピュアスの親戚が国王であったエピロスも軍を連れて救援に向かったものの、多くの兵が反旗を翻したため、オリンピュアスを助けることができませんでした。
ポリュペルコンとオリンピュアスのその後
オリンピュアスはカッサンドロスにとらえられ、カッサンドロスは部下に彼女の殺害を命じますが、偉大なアレクサンドロス大王の母親であったため、殺害に向かった兵士が恐れおののいて命令を実行できません。
そこで、オリンピュアスがそれまでに殺害した反対勢力の遺族らを集め、彼らにオリンピュアスの殺害を任せます。
こうして、当時世界最大の帝国を築き上げたアレクサンドロス大王の母が、自分が殺した人物の親戚に殺害される皮肉な結末を迎えます。
紀元前316年、アレクサンドロス大王の死後から7年がたっていました。
一方のポリュペルコンはマケドニアと摂政の座をを諦め、ギリシアに逃げました。ギリシアにはコリントスなど、一部ポリュペルコンに味方を続けるポリスが残っていたのです。
政治的・軍事的権力は地に落ちたポリュペルコンでしたが、その後もギリシアを中心に少なくとも紀元前304年まで活動を続け、90歳以上の老齢で亡くなったとされています。
こうして第二次ディアドコイ戦争の西側での争いは、カッサンドロスの決定的勝利で終わります。
とはいえ、東部ではこれと並行してアンティゴノスとエウメネスの戦争が行われていました。
果たして二人の勝負の結末はいかに?!
次回もお楽しみに!
また次回の記事でお会いしましょう!