見出し画像

【世界史】大王の後継者たち ディアドコイ戦争 第6章~第10章 訂正・補足・追加説明など

こんにちは!
こんばんは!

RAPSCALLI😊N です。

皆さまお元気でしょうか?

はやくも、ディアドコイ戦争についての記事は今回で13回目になりますが、ここまでの記事をまだ読んでいないよという方は是非下のマガジンにアクセスして読んでいただくこと強くおすすめします!

1記事1000-1500字程度と読みやすい長さになっているので、これまでの記事に目を通してから本記事を読むと大変分かりやすくなるかな思います。

それでは、今日の本題にさっそく入っていきましょう!

第6~10章のまとめ

ペルディッカスの暗殺後、帝国の新たな摂政と領土の再分配を決定するため、帝国の有力者がトリパラディソスに集まり会議を行いました。

これをトリパラディソスの軍会と言います。

この会議ではアンティパトロスが後継者と決まり、帝国の領土が有力な家臣によって分割されました。

そして、ペルディッカス派の残党、特にカッパドキアを領有しているエウメネスは反乱者として認定され、アンティゴノスが彼の討伐を任されました。

アンティゴノスは軍を引き連れ、エウメネスと激突。
裏切りにあったエウメネスは敗走し、ノラという場所で包囲されます。

包囲戦が続く中、アンティゴノスは軍の一部を率いてペルディッカスの弟の軍を破ります。

味方もおらず、追い詰められたエウメネスはアンティゴノスと交渉し、エウメネスの才能を見抜いたアンティゴノスは彼と和解します。

アンティゴノスとエウメネスが和解した一方、マケドニアでは摂政として絶大な権力を誇っていたアンティパトロスが亡くなります。

彼の死後、摂政の座を巡って新たな争いが勃発します。

訂正

ポリュペルコンがギリシア都市国家を味方に引き入れた、という話をしました。訂正というほどではありませんが、少し誤解を招く表現だったかもしれないので補足します。

当時のギリシアではほぼすべての都市国家がコリントス同盟という同盟に属しており、実質的にマケドニアの支配下にありました。

ポリュペルコンはコリントス同盟の都市国家での民主政治を認めるなどして味方に引き入れましたが、コリントス同盟に入っていなかった唯一の都市国家・スパルタは相手にされず、孤立したままでした。

また、後の記事でも判明するように、全てのコリントス同盟に属する都市国家がポリュペルコンを支持することになるわけではありませんし、このことが実は今後の戦いを大きく左右します。

現時点では他に訂正箇所は特に見つかってません。
万が一今後見つかった場合にはすぐに訂正してお知らせします。
また、もしミスを見つけた場合にはコメントなどで知らせていただけると大変助かります。

補足

第6章
・ペイトンはアレクサンドロス大王に仕えた家臣の一人で、メディア(イラン北西部を中心とする地域)の太守を任されました。

第8章
・アルケタスが逃げたテルメッソという街では、彼をアンティゴノスに差し出すかどうかで若者と長老が対立し、アルケタスが自殺した後に彼に賛同した若者を中心に墓が作られ、その一部が今に残っています。

第9章
・このとき、長い東方遠征を経て、エウメネスとアンティゴノスは約15年ぶりに再会しました。

第10章
・カッサンドロスはマケドニアを逃れ、アンティゴノスのもとに匿われていました。
・オリンピュアスはアレクサンドロス大王の妻・ロクサネと息子・アレクサンドロス4世を庇護していました。

最後に:参考文献について

最後に参考文献の話をしたいと思います。

まず、ディアドコイ戦争に関する英語の参考文献については、私の探せる範囲では信憑性のあるものがほとんど見つからないので、基本英語の文献や資料を使っています。

私は研究者ではないのでどうしても書籍や動画に頼らざるを得ないのですが、最近は古代ギリシャの歴史家・シケリアのディオドロスが執筆した「歴史叢書」の英語訳(シカゴ大学のサイトより)を用いて記事を書いています。

今後もよりよい文献や資料に基づいて精度の高い記事を書けるように尽力します。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?